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おっさんだけど、仕事辞めてアジアでブラブラするよ\(^o^)/ Vol, 19 汗と夢

ラオス パークセー 3日目
2023 0616 Fri

東南アジアで自転車に乗る。
それは、ある映画を観たときからのわたしの夢でした。
その映画とはもちろん「地雷を踏んだらサヨウナラ」です。

ときは1972年、ところは内戦の激化するカンボジア。Nikonを首からぶら下げ戦場を駆け回るフリージャーナリスト、一ノ瀬泰造の生涯を描いた映画です。
映画の終盤、泰造は前線に赴くため、自転車にまたがります。ペダルが回り、クタクタに履き潰した半長靴のソールから泥がこぼれ落ちる…。印象的なテーマ曲とともにスローモーションで流れるそれらの映像は、わたしの心に刻まれました。

ラオスの晴れ渡った空と荒い舗装に似合うわたしのマシン。コンポーネントはシマノ・アルテグラで固め、フレームとフォーク、そしてホイールまでフルカーボン。車重は7kgを優に下回ります。

あれから、…調べてみたら24年前の映画だったんですね。
「地雷を踏んだらサヨウナラ」から24年後、日本を遠く離れたラオスはパークセーの地で、わたしは自転車にまたがりロングライドをしました。

「おい日本人、おまえどこに行くんだ?」
「Wat Phou(世界遺産に認定された遺跡)さ」
「Wat Phouだって! 冗談だろ? そんなオンボロ自転車でかい?」
オートリクシャーのおっさんたちに大爆笑されても、わたしはまったく堪えません。
なぜなら、いまのわたしは一ノ瀬泰造だからです。あいにく半長靴を履いてはいませんが、サンダルの裏には泥がびっしりとこびりついています。

朝の8時前に自転車をレンタルし、あちこちで聞きまわってようやくクルマの修理屋にたどり着き、ぺしゃんこだった前後タイヤは空気圧パッツパツのロングライド対応タイヤに生まれ変わりました。田舎のヤンキーみたいな低位置サドルもマックスまで引き上げ、5分丈ハーフパンツも提灯ブルマのようにたくし上げ、そしてマウンテンクライムに挑む自転車選手のようにアロハシャツのボタンをすべて外して準備完了です。

ミネラルウォーターを買ったお店のお姉さんにwi-fiをお借りし、ルートを再確認していざ出発。
頭の中であのテーマ曲が流れます。
サンダルの裏から剥がれ落ちる、赤茶けた泥。
少しガニ股になりながら、ゆっくりと、しかし確実にペダルを漕ぐ。
路面の凹凸にハンドルをとられながらも前を向き、そしてその表情は…。

水田(でいいのかな?)と水牛。いかにも“THE ラオス”ってイメージの写真が撮れました。
余談ですが、近くで見る水牛はでっかくておっかないです。

20分後、わたしはwi-fiを借りたお姉さんに「だから言ったじゃん!」という表情で再び見送られます。わたしが向かった先、それは高速道路の入り口でした。
さすがの泰造も、高速道路に自転車で侵入するわけにはいきません。
お姉さんの「こっちだよ」というgoogleマップと真逆の訴えは、「そっちは高速道路だから! あんたの自転車じゃ無理でしょ!」という真っ当なご指摘だったのです。

だいたいWat Phouどころかジャパニーズ・ブリッジを自転車で走ってる時点で変なガイジン扱いされるんだよな。ベトナムもそうですが、ラオスもインフラがバイク。自転車は極極一部のロードバイクを除いて見当たりません。もしかして自転車乗ってたらダサいヤツ扱いされるのかな?

時刻は午前9時半。仕切り直しです。
高速道路の最短ルートで片道40km。一般国道をメコン川に沿って走るわたしのルートではおそらく片道50km弱。
「イケるとこまで行こう」
軽い気持ちで出発しました。正直なところ、Wat Phouにそこまで興味があるわけではないのです。ネットで調べた感じでも「時間があれば行ってみたら」的な感じで書かれていることが多かったですし、アンコールワット規模ならまだしも、あんまりこじんまりした遺跡ってそんなに興味がわかないというかなんというか…。
遺跡にしろ建造物にしろ自然にしろ、なんせ圧倒的なものが好きなのです、わたしは。大昔に中国に行ったことがあるのですが、兵馬りょうとかぜんぜん面白くなかったです。逆に、天安門も含む紫禁城の圧倒的なバカでかさ、彼方まで続く万里の長城の圧倒的な長大さと書く場所がないくらいの落書きの量に、いたく感激した思い出があります。

午前9時くらいが境目ですかね、ラオスの頭上に輝く太陽は俄然その威力を増してきます。ギラつく太陽は容赦なく体力を奪いますが、それでも自転車のペダルを漕ぎ続けます。なんというか、嫌いじゃないんですよね、こういうの。牛でさえ木陰で休んでいるこの時間帯、国道を自転車で走っている阿呆はもちろんわたししかいません。がしかし、オートリクシャーでは見ることのできない穏やかに流れる景色が、好きな場所で好きに休憩できるのんびりとした時間が、わたしの両脚次第で可能になるのです。
たぶん視力自体も優れている地元の人々は、目敏くわたしを見つけます。
「なんか訳のわからんことしてるガイジンがいるよ」
くらいのしごく真っ当な表情で見つめてくるその視線に、身体中から汗を流しながら苦笑いで挨拶を返すのです。もうこのあたりでわたしは一ノ瀬泰造ではなく、なんなら観光客ですらなく、ラオスの国道をたった一人自転車でヨレヨレ走る、奇特な外国人になっていました。

こんなに暑けりゃ牛だって木陰で休みますよ。だって、牛だもの。
※ときどき指が映り込んでいる写真がありますが、要はそんだけ暑いってことですよ。

1時間に1度、休憩のたびに水道を借り、汗を流してつかの間の涼をとりました。
致命的ともいえるルートミスを犯して約1時間のタイムロス、そのあとにもルートミスを犯し約15分のタイムロス。しかしそんなことでわたしは動じません。ルートミスからのタイムロスなど、自転車乗りのあるある中のあるある。特にわたしのようなおっさんバックパッカーがルートミスとかタイムロスを気にするなど、ナンセンスも甚だしい行為なのです。
大河メコンを舟で渡り、船頭の
「いやいや、オートリクシャーで行けよ」
という真っ当なアドバイスも笑顔でスルー。
雨季特有のスコールも他人の軒下を借りてやり過ごし、15時15分、ようやくわたしはWat Phouに到着したのでした。

googleマップ通りに来てみたら、いきなりのメコン渡し。
特に定期便があるわけではなく、右端に見える漁師の舟に交渉して渡してもらいました。

Wat Phouの思い出といえば、自転車を漕ぐのが気持ちよかったこと、日差しが強かったこと、汗をかきすぎてズボンに塩が吹いたこと、水牛がデカかったこと、スコールが15分で止んだこと、通りをふさぐ牛は蹴って退かすこと、声をかけてくれる子供たちがいたこと、受付の姉さんが美人だったこと、帰りに喰った串焼きが異常に旨かったこと、…それくらいですかね。

おそらく鮮度が抜群に良く、噛みしめるごとに旨味が増す滋養の塊。
“柔らかい=美味い”という日本の価値観を真っ向から否定する、骨太仕様の串焼きです。

良いところですよ、Wat Phou。


なんというか、ほんとにイメージないんだよなあWat Phou。自転車とかメコン渡しとか道中が面白かったから良いものの、オートリクシャーで金バリバリかけて来るほどのもんじゃないですよ。


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