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おっさんだけど、仕事辞めてアジアでブラブラするよ\(^o^)/ Vol, 61 習慣

キルギス 
2023.0912 Tue

10代の終わり頃からですかね、喫煙が本格的に習慣化したのは…。
何気なく吸い始めたタバコ。
カッコいいから。みんな吸ってるから。タランティーノ映画で吸ってたから…。そんなテキトーな理由で始めたタバコにここまでの依存性があるなんて、そのときは思いもしませんでした。
止めよう止めようと思いつつ20年以上も吸い続けたタバコ。
40歳をいくつか過ぎた頃でしょうか、なにをどうしたか理由は忘れましたが、2日間くらいタバコを吸わない日が続きました(ちなみに、そんなことは初めてです)。
“ここしかない…!”
そう考え、それから意識的にタバコを吸わないようにしました。

ウインドーの上下ラインは水平が一番! 操安性の観点からもそう思うのですが…。
※画像と本文は関係ありません。

そこから約3カ月間、かなり酷い離脱症状に悩まされました。普通よく言われるのは『飯が旨くなりすぎて太る』というものですが、わたしの場合は真逆。飯を喰っても味がしなくなったのです。砂を噛む、という表現がありますが、“モソモソしたなにか”を口に入れて咀嚼しているような感じなのです、飯を喰っても。飲み込むにも時間がかかる。当然です、味がしないのですから…。
当時、牛丼の並を喰い終わるのに15分以上かけていました。いつもなら5分後には店を出ているのに…。
体調も良くなかったですね。そりゃそうですよ、20年以上、毎日せっせと毒物、少なくても異物を体内に取り込んでいたのです。そのうえで体調を維持していたのに、それがある日、ぱたりと止まってしまうのです。身体に異常をきたさないほうがおかしいでしょう。

イスラム教の影響か、タジクでは女性の喫煙をほとんど見かけませんでした。日本人はもちろんですが、世界的に見ても喫煙者は少なくなる傾向にあると思います。

ニコチン中毒。そうは思っていませんでした。
タバコ中毒。わたしの場合、その表現のほうがしっくりきます。
朝起きてタバコ。飯喰ってタバコ。水飲んでタバコ。酒飲んでタバコ。暇だからタバコ。なんとなくタバコ。考え事するからタバコ。嫌なことがあるからタバコ。良いことがあったからタバコ。暖気するからタバコ。運転するからタバコ。休憩するからタバコ。電車乗る前にタバコ。映画見る前にタバコ。眠れないからタバコ。眠いからタバコ…。
もう、生活にタバコが組み込まれてしまっているのです。もっと言うと、生活がタバコに縛られているのです。
マジな話、3日間を1500円で生活しなければならないとして、当時のわたしが真っ先にするだろうことと言えば、タバコを3日分買うことです。これは、喫煙者ならばほぼ全員が納得することだと思います。タバコさえあれば、飯などはとりあえず後回しでよいのです。
そういうことなのです、タバコを吸うということは…。
タバコを止めてもう5年以上経つはずです。喫煙を習慣化していた毎日は完全に忘れ去りました。飯を喰い終わっても、口や手が寂しくなることなどありません。
でも、しかし…。時々、本当に時々です。3か月か、あるいは半年に1回くらいでしょうか、タバコが吸いたくなるのです。
もしもあと1日で地球が消滅するとしたら…。もしかしたら、わたしは煙草とライターを買いにコンビニに走るかもしれません。

インドでさえ、喫煙者は3割くらいまで減ったイメージですね、25年前に比べて。20世紀の終わりごろ、インド人男性の喫煙率は限りなく100%に近かったですから。

パミールハイウェイTryが終了して3日。
Oshの超快適なホテルの庭で、昼間からわたしはビール片手に微睡んでいました。
これからどうすんの? 誰かからそう聞かれるたびに、
「I’m now thinking. ※1」
そう答えていました。
でも、いくらパミールで消耗しきったとはいえ、3日間もダラダラしていればいい加減思い出します。もともとわたしという人間は、計画を立てるのが超苦手だということを…。

12年もの間、世界を走り続けるアルゼンチン人が駆るヤマハ。細いタイヤとフロントフォークが激シブ! ちなみにガブリエルが所持する工具は車載工具のみ。スゲエぜYAMAHA!
※写真と本文は関係ありません。

結局行動するしかないのです。行動するうちに興味のあることや情報が向こうから飛び込んでくるのです。
問題は行動する方法です。バスか電車か、それともチャリか…? 
売っ払うかどうか、とりあえずチャリ屋まで行ってみよう。そう決めたわたしは、チャリ屋に到着すると迷わずこう言いました。
「この店にあるタイヤで、一番耐久性のあるヤツをちょうだい」
こうしてわたしのチャリ旅は再開したのです、キルギスの首都、ビシュケクに向けて。

『手持ちのカードで勝負するしかないのさ』by ワン公

2日目の今日、ゲストハウスに到着したのは夕方16時過ぎ。
昨夜はテント泊でシャワーを浴びていないので真っ先にシャワーを浴び、同時に洗濯をし…。それでも時刻は16時半。わたしは町に繰り出しました。お昼をレストランで食った1時間後にもう一度昼飯に“お呼ばれ”し、さらに“3時のおやつ”もご馳走になりました。腹はまったく減っていません。目当てはビールです。
目をつけていた大きなスーパーマーケットで聞くと、
「うちにはアルコールは置いてないよ」
とのこと。
2件目でもビールを探していると、主であろう兄貴がわたしに問い掛けてきました。
「なにを探しているの?」
「Beer」
なかなか伝わらなかったので、発音を微妙に変えて言うこと数回。兄貴はわたしの要求を理解してくれました。
「ああビールね、うちには置いてないよ」
余程がっかりした顔をしていたのでしょう、兄貴は少し笑いながらこう言いました。
「Why?」
いやいや、なぜって…。そりゃオレだって緩めたいよ。
そう言おうとして、ハッとしました。
“なんで緩める必要があるんだ?”

勧められたら『いただきます!』 これが奢られる側の矜持ってもんです。
『人の好意には全力で甘える』 それがダメ人間の生きる道です。

海外に出る前、わたしは仕事が終わって帰宅すると、用事がない限り、シャワーを浴び終わると同時に酒を一気飲みしていました。理由は、“緩めたいから” です。
嫌いなわけではないですが、決して酒が好きだからという理由ではありません。ただただ、“緩めたいから” 呑んでいたのです。

6月1日にホーチミンに出発して早3カ月以上。基本的にわたしはずっと “緩みっぱなし” です。
ベトナムで、ラオスで、タイで。わたしはよく道端や路面店でビールを飲んでいました。これは “緩めたいから” ではなく、単に暑くて汗をかいて、結果ビールがめちゃくちゃ旨かったから。これは良いのです。だって旨いのですから。
問題はインドです。インドでは基本的に “飲酒はあまりよろしくないもの” とされています。ですから地元民に飲酒の習慣はなく、酒を呑む場所は超高級&高額店に限られています。そんなところで呑む酒が旨いはずないのです、少なくともわたしにとっては。結果として別の “緩めるもの” を求め、それはそれでまあアレですわ、って感じでしたね。
そして中央アジア。スタン系の国はムスリムが多数派ですので、飲酒はあまり歓迎されません。しかし同時にスタン系の国は厳格に戒律を守る習慣がないので、実はこっそりビールを売っていたりするのです、普通の売店で。ウズベキスタンに到着したときは、夏真っ盛り。灼熱のサマルカンドで買うビールは、一瞬で胃の腑に消えていきました。酔うとか酔わないとか、そんなことどうでもよい。とにかく旨かったのです、ビールが。

東南アジアって、もともと豊かな国だったと思うんですね。20世紀はちょっと出遅れてしまったかもしれないけれど、21世紀はすでにガンガン来てますからね。
※画像と本文は関係ありません。

そして、朝夕に涼しげな風が吹くようになったいま。
キルギスのこの小さな町で、探し回ってまでビールを飲む必要なんてどこにもありません。
正直言って、いつもいつも毎日がサイコーに楽しいわけではありませんが、少なくても我慢を強いられる生活なんてしていない。好きな時間に起き、好きなだけ街をぶらつき、チャリに乗り、腹が減ったら飯を喰う。これ以上 “緩める” 必要などないのです。もうずっとずーっと緩みっぱなしなのだから…。

習慣…。ホント、怖いもんですね。

※1 『I'm not sure.』が正しいみたいですね、この場合。

別に酒好きではない。決して自分は酒呑みではない。そう言い続けていますが、実はもう、立派な酒呑みなのかもしれませんね、わたしも。

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