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おっさんだけど、仕事辞めてアジアでブラブラするよ\(^o^)/ Vol, 33 意義

インド ダラムサラ(マクロードガンジ) 4日目 
2023.0717 Sat

ドミトリーのドア真ん前の庭で2日連続サルサパーティーを開かれ、次の日は屋上で姉さん方が踊り狂い、そしてドミトリーではインド人ナードどもがお喋りを続け…。いずれも深夜の話です。
なにが言いたいかというと、2日連続でわたしは眠ることができなかったということです。サルサパーティー1日目では、二日連続の移動で超寝不足+αだったこともあり奇跡的に眠ることができました。しかし二日目は深夜2時前まで眠ることができず、3日目は19時半にはベッドに潜り込んだにもかかわらず0時過ぎまで眠ることができませんでした。

インドって広いから、たぶん街ごとに路面店や露店の商品に傾向があって、
それでマクロードガンジの路面店や露店はかなりチベット仏教色に溢れています。
※画像と本文は関係ありません。

インドでは “音楽はボリュームMAXでかけるべし” という不文律があるのかと訝しむほど、インドの人々、特に若者は音楽を大音量でかけます。いえ、別に自室で爆音にするぶんにはどうこう言うつもりはないのです、多少の音漏れくらいはわたしだってとやかく言うつもりはありません。問題は、公共の場でも爆音で音楽をかけるということなのです。カフェで、庭で、屋上で…。スピーカーを置くスペースさえあれば、奴らは爆音で音楽をかけるのです。たとえその場に爆音を苦々しく思っているわたししかいなくとも、奴らは爆音で音楽をかけるのです。ちなみにスマホの音量は最大ですよ、言うまでもなくね。
ホーチミンのブイビエン通りやタイのバッポン通りなど、それ系の場所なら爆音でもネオンでもフラッシュでもなんでも好きにしていただいて結構です。でも、カフェでの爆音はいかがなものでしょうか? いわんやホステルをや…。

初日に行ったホーチミンのブイビエン通りはマジで衝撃的でしたが、
やっぱりさすがにブイビエンは異常で、あれがベトナムなわけじゃなかったですからね。
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サルサパーティーを開きやがったホステルは、猛抗議の上あと2日泊まる予定をキャンセルし、そしてお喋りインド人ナードどものホステルはふて寝からの早朝チェックアウトで脱出しました。
朝5時半、その脚で町はずれにある滝に向かいながら…。
道中で考えました。なんのためにこの旅を続けているのだろう、と。
寝不足で重い頭と身体を引きずりながら、インドとしてはきれいでも日本的基準から言えばゴミだらけの道をテクテクと歩きつつ、わたしは溜息をつきました。
冷静に状況を鑑みれば、違う考え方もできます。サルサパーティーを開いたのはホステル側なのだから客に「時間を考えろ」と言うのはちょっと違うとか、あるいは10代後半から20代前半くらいまでの男女が騒ぐのは仕方がないとか…。要は、金を出してもっと程度の良い宿に泊まればよいのです、おっさんなのですから、わたしは。

この写真、好きなんですよね、なんか。お母さんの表情が好きです。
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この旅の意義。
そんなことに思考は向かいました。
仕事を辞めて外国に行き、その国の観光地に宿をとり、その街で観光をして飯を喰い、機嫌が良ければああ楽しかった、ってなんだそれ?
いえ、それでいいのです。そのために海外に出てきたのです。退屈で退屈で退屈で退屈で、退屈なのを退屈と感じなくなっている自分と自分の未来に恐怖し、海外に出てきたのですから。思う存分楽しんだら良いのです。
問題は、楽しめていない場合です。すべてを放り出してインドくんだりまで来ておいて、挙句の果てにガキども相手にふて寝ってどういうことやねん! ええ歳こいてなにしてんねん、おれは…。

滝に到着し、そしてあらためて辺りを見渡しました。滝のすぐそばにトタン屋根とレンガのみすぼらしい茶店を作り、そしてそのまわりはゴミがあちこちに…。滝そのものは悪くないだけに、環境の悪さが余計に目立っていました。
ホンマにしょーもないのう。わたしは独り毒づきました。

インドっていろんなことが日本と違い過ぎて、なにがなんだかわからないんですよね。
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そして登ってきた山道を下りつつ、目星をつけておいた景色の良い場所にある茶店の椅子に腰掛けました。その時点で朝7時前、もちろん茶店は無人です。
リュックからバナナを出し、その前に手でも洗おうかなと眼下の川を見遣ると…。川の真ん中の大岩に、背筋をピンと伸ばして胡坐をかく女性がいました。両の手は手印をかたどっています。連日の雨で増水した川、海抜2000mの肌寒い気温の中、女性は身じろぎもせずメディテーションを行っていました。我を忘れてわたしは彼女を見つめ続け、それからゆっくりと彼女から遠ざかりました。
見る間に広がりゆく雨雲、激しい水しぶきと轟音、それらをものともせず、冷たい岩の上で彼女は瞑想を続けていました。
猛烈にわたしも同じことがしたくなり、少し山道を上ったところに川へ降りられる場所を見つけました。川岸に降り立つと、普段は行けるであろう川中にある大岩へのアプローチが、水中に沈んでいます。わたしはサンダルを脱ぎ、雪解けかと思うくらい冷たい水に足を浸しながら大岩に上がりました。そして彼女を真似、背筋を伸ばして胡坐をかき、手印をかたどります。ゆっくりと目を閉じ、そして目を開きました。手印を解き、脚を崩し、手を後ろについて楽な姿勢をとりました。そして深く呼吸をしながらゆっくりと目を閉じました。

ふと後ろに気配を感じ振り向くと、岩の間から男性の姿が見えました。男性は裸でした。ドレッドヘアを振り乱し、水中に沈んでは飛び出しを繰り返していました。激流は、文字通り身を切る冷たさです。濁りはとれたもののそれでもなお勢いに余りある激しい流れは、轟音をたてつつもそこにはある種の静寂があり、確かな時間の流れを感じつつもその感覚は時間の概念を失いました。

わたしは渓流釣りが好きなので、滝には他ならぬ想い入れがあるのですが…。
こういう場所で神聖さを感じるのは、“当たり前の感覚” ではないのかもしれません。

川から上がり、椅子に座ってバナナを食べていると、地元の方から話し掛けられました。
ホステルが賑やかすぎて寝不足だ。今夜の宿をどうしようか迷っている、と話すと、その方は予算を聞いてから電話をかけ始めました。
「電話した宿はとても静かな場所にあって、バルコニーまでついている。予算も合うから、ぜひあなたにと思ったんだがね…」
電話してくれたホステルが満室なことを詫びながら、その男性は川に降りていきました。

現時点で、旅の意義などありません。
現地の言葉はおろか英語すら碌に話せないわたしは、旅を続けるだけで精一杯です。なにかを得るだとか、なにかを見つけるだとか、なにかを学ぶだとか、そんな大それたことは端からできるわけがないのです。
わたしにできること、それは、その街に興味を持つこと、話し掛けてくれる人に敬意を持つこと、できるだけ機嫌よく過ごすこと、これくらいです。
そして、ふと気が向いたときに、旅の意義を考えること、そのくらいですし、そんなものです。
たぶん、ふと気が向くことは何度もあります。そのときには、何度でも考え続けようと思います、“旅の意義”ってやつを。


意義ってマジな話ホントにわかんないんですけど、
でも海外に出てからの自分の顔は、けっこう良い表情してるなと思います。
※画像と本文は関係ありません。

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