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純粋と善良 - 自由を勝ち取る

善良であるという事と
『何でも信じる純粋な人』
というのは同義語ではない。

精神的に成熟した者達は
当たり前に知っている事

だが、子供から大人になる時に
この事で痛みを伴う者は非常に多い

特に女性にとって
「純粋さ」「透明感」「清らかさ」等は
昔のプリンセス物語には不可欠だったから
誤解をしたまま大人になる者も多いだろう

「何でも信じる純粋さ」とは
子供を守る親の愛情から出た言葉

その言葉の本質は

守られる側の特権 と
その代償の→不自由さがある
そして、いつまでも『子供』という意味も。

しかし
社会に出た者達に許される言葉では無い

自分と自分の大切な何かを守るには
『見極める知恵』を身につけなければならない

自分が見極める事が出来て、初めて
見極めた相手からの 信頼 という
ご褒美が貰える

純粋という「穢れのない単純さ」から
善良という深い「人間性を尊重」
されるようになるのだ。

子供が疑うという技能を身につけ始めると
周りの者達は寂しくなる
愛情を持って接している自分達も
疑われているのか?と戸惑うだろう

しかし完全に正しい人間はいないし
知恵はある日いきなり身につくものでもない

何を疑うべきか?
何なら信じても良いのか?

自分の『心と体と自由を守る』ためには

「愛情と親切から出たアドバイス」にも
ある程度、線引きをしなければならない

その線引きをどの辺にするのか?
試行錯誤をする時には
きっと周りも自分も傷つくだろう

しかし
それが大人になるという事だ。

大人になるという事は
自分の自由を勝ち取るための戦いなのだ。

世の中には自分の都合の良い者を
「素直で純粋」「善良で素晴らしい」
という人達は非常に多い。
それは詐欺師だけとは限らない
大人になりきれていない未熟な者も多いのだ。

自分の大切な相手が
成熟した大人なのか?
自分自身は成熟しているのか?

私たちは常に意識しなければならない
耳障りの良い言葉の真の意味を。

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