墓の前置き


文章を書きます。9月、沖縄と台湾に行った。
理由は墓が見たいから。

前置きです。
ここからの文章には史跡以外の墓の写真もちょっとだけ出てくるので「ん〜」と思った方は読まないでください。
個人の記録として書いています。


場所ごとに決められている所作」や、「そのためだけの空間」になっているような場所が好きで、よくその場所を探す。

以前の個展でも何人かに話したが、例えば喫茶店などに置いてある小さな机ではコーヒーを飲む・本を読む・ちょっとした書き物をする、それくらいしかできない。その小さな机と静かな空間によって、その場に訪れる人間の行動が自然に制限されている。
「この場所ではこれしかできない」「その所作のためにそこに赴く」、そういった行動が好きなので昔の日本の平屋のように部屋ごとで何をするかが分けられているような空間などに憧れがある。
自分自身の行動が、その作られた空間によってある程度制限されることに興味がある。


上の図はどちらも沖縄で見られるタイプの家形墓と亀甲墓


沖縄と台湾の墓は、どちらも中国からの文化を引くもので見た目がとてもよく似ている。本土でよく見るあの墓石がドンと置いてある塔式墓とは違って、小さな庭のようなスペースがあったり、厨子甕(ずしがめ)と呼ばれる骨を納める壷が置けるひろびろスペースがある。
そのため墓ひとつのデカさが本島の墓よりも何倍も大きい。
沖縄の墓は、もともと自然の洞窟などに遺体を放置しその後骨を洗って清める習慣があったので、その名残から墓内部に遺体を置いておくためのスペースもある。
洗骨後は厨子甕に詰められまた墓の内部に置かれる。


全部の骨を入れるのでそこそこデカい。時代によって形も異なる。
左から石厨子、ボージャー厨子、御殿型厨子甕


個人の墓ならばそれだけで済むのだが、一族が入るので必然的に厨子甕が増えてしまう。なので墓の内部がひろびろでなければならない。
一方台湾は、風葬よりも土葬の文化があり、それでもその後沖縄と同様に洗骨を行う。(今の台湾では火葬が普及し9割にのぼるらしい)

沖縄ではお盆の時期以外にも、先祖に対してお墓参りをする清明祭(しーみー)と呼ばれる年中行事がある。台湾にも清明節と呼ばれる先祖の墓参りを家族で行う祭日がある。清明祭の時期になると墓参り後先祖供養のために親族一同がその墓の小さな庭のようなスペースで集まり花見のように飯を広げて食べる。もちろんお供えものも用意する。ただ好きな飯を食うのではなく、ちゃんと清明祭用のご飯を用意して食べる。その時期になるとスーパーでも清明祭用のオードブルのようなものが販売されるほど身近な行事だという。地元の人に「それはいつ頃なんですか?」と聞いても「だいたい…春くらいかなぁ?」とやんわりした答えだったので何故だろうと思ったが、旧暦に沿っているので毎年時期が変わるらしい。


沖縄と台湾の墓ではその風葬する空間・骨を入れる厨子甕を納める空間・親族があつまる空間などがコンパクトに一緒くたにされている。
ごちゃまぜ、という意味ではなく時間や時期、用途によって使用する空間の箇所がしっかりと決められている。
死んでいる人と生きている人が同じ小さな空間を共有している。
決められた空間のなか、粛々と物事を進めるための場所になっている。

歩いていると唐突に小さな群れで現れる。
もちろん大きな霊園もあるのだが、住宅が並ぶ一角に突如小規模な墓地があったりする。
そこそこエラい人のデカい墓になると、その空間の中でも土地神を祀る祠、葬式に使った祭具を納める小さな穴がそのスペースにこしらえてある。

沖縄には2泊3日、台湾にも2泊3日宿泊した。
沖縄は散策メイン、台湾は観光メインだったので墓は1カ所のみ。

台湾の墓についてはおまけ程度になりそうです。わかんないけど。

まずは沖縄に行ったときのことから思い出して書いていく。
墓以外のこともいっぱい書く。


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