墓 沖縄 1日目

9月3日(月)

10時24分、那覇空港に到着する。台風の予報があったが天気はいい。
すぐレンタカーを借り知人から教えてもらったうま飯屋さん「お食事処 みかど」に向かう。

カウンターの目の前に5つのガスコンロ、お昼時なのでかりゆしを着たおじさんが入ってくる。近くに県庁があるのでそこで働いている人だろう。
この店で食べられる「ちゃんぽん」がうまいと聞いていたのでそれを頼む。
長崎のよくあるあの「ちゃんぽん」ではなく、キャベツとたまねぎ、ぽろぽろのランチョンミートのようなものを油でガッと炒めて、最後に卵とシャキシャキの青菜をのせたものが米にかぶさっている。

めちゃくちゃうまい。
土曜の昼にばあちゃんが作ってくれる飯感があるやばいほどのなじみ。
ゴーヤチャンプルも頼む。
食べている間、目の前の5つのガスコンロの前でパートのおばさん4人がコロコロと立ち位置を変えてテキパキ飯を作っていた。
決して広くはないスペースなのにぶつかることも、次の工程への迷いタイムのようなものもなく、飯を食いながらその手さばきをずっと眺めていた。
チームワークがある。
店内が少し落ち着くと店主の男性とパートのおばあさんチームが仲良さそうに談笑している。
まな板を指差しながら何か話している。

腹をへこませたみたいにめちゃくちゃにくぼんでいる。
(写真、見づらいのですが箸の真ん中が浮いています)
ここで包丁をスライドさせても切れないはずなのにどうやって調理をしているんだろう。くぼみがひどくなるとその度にやすってもらっているらしいが、そのうち紙のように薄く消えて無くなりそう。
博物館などに残っている人間の手仕事の為の仕事道具がきれいに現存しているのはすごいことだと思った。
チャンプルを食べながらまな板についての会話を聞いていた。
自分が作るものよりさっぱりしていてゴーヤが苦かった。


県庁付近・石敢當

昼食後県庁付近を歩く。
そこそこの高いビルが並んで市内~という感じがしたがやはり目に入るのは沖縄独特の建物。何かが違う。穴が開いている。カドがとれている。色がついている。屋上の貯水タンクが気持ちの良さそうな場所に設置されている。興奮する。


小径に入るとすぐ石敢當(いしがんどう)が目に入る。これも中国からきた文化で魔除けの効果があると言われている。


沖縄県ではその存在意義や効果が未だに根強く信じられており、当地では丁字路や三叉路が多いことから、現在でも沖縄県の各地で新しく作られた大小様々の石敢當を見ることができる。これらの地域では、市中を徘徊する魔物「マジムン」は直進する性質を持つため、丁字路や三叉路などの突き当たりにぶつかると向かいの家に入ってきてしまうと信じられている。そのため、丁字路や三叉路などの突き当たりに石敢當を設け、魔物の侵入を防ぐ魔よけとする[12]。魔物は石敢當に当たると砕け散るとされる。
「石敢當」(2018年8月25日 (土) 22:06 UTC)
『ウィキペディア日本語版』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%95%A2%E7%95%B6

こんなかんじ?


その後近くにある雑貨屋「miyagiya」に寄る。ヘビ柄のくつしたがあったがメンズサイズしかなく諦める。
こんな柄のヘビがぽつぽつプリントされているくつした。

ほしかったな~


識名霊園

お店を出て元々自分で作っていたgoogleのマイマップでピンを落としていた「識名霊園」まで車で移動する。
ピンのそばまで近づくと、のぺっとしたコンクリートの固まりが真横に現れる。都心では見ることのない大きなかたまり。

近場に車を止めて霊園の中に入ってみるがこれといって入り口のようなものはなく、気付いたらまわりがそのコンクリートのかたまりたちに囲まれている。
私はずっとその小さな家のような箱のことを「破風墓」という名称の墓だと思っていたが、本来それは横穴を丘陵などに掘り込み、その正面を破風で飾ったもののことをいうらしい。


破風とはこんなかんじの屋根のことです

屋根の形状は同じだが、単体で存在するか、掘り込まれているかで名称が変わってくる。
彫り込まれていない単体タイプのものを「家形墓(ヤーグァーバカ)」と呼ぶ。
灰色の色味も家形墓の見た目も、住宅街の家がみんなそれぞれ違うようにひとつとして同じものがない。区画ごとに仕切られてはいるが、そのスペース内で好きにやってね。という感じ。

車道から中に入り組んだ道に少し下りると、私にはデカいと感じられていた家形墓たちがコンパクトに見えるくらいによりもっとデカい「亀甲墓」があった。その付近一帯がひらけているので近くまで行かなくても亀甲墓があることがなんとなく遠目からでも分かる。


亀の甲羅という名前のとおり、ゆるやかに墓室部分が盛り上がっている。
草木が茂っているが立派な石垣に囲まれていてそこそこ広い庭のようになっている。

その亀甲墓のすぐ右となりには、また同じような規模の墓があるが、これはおそらく「平葺墓」と呼ばれるタイプのもの。

隣の亀甲墓と比べて屋根の部分がまっすぐな平板になっている。
墓の右側にはシンプルな十字架が立っている。
キリスト教徒だったのだろうか。
先程も書いたが、大きな士族の墓には土地神などを祀る祠が作られてあったりするらしいが、それと似たような感じなのだろうか?

どちらの墓も、入り口のような部分が墓の真正面にはない。
石敢當の話でも出たように、直進する性質をもつマジムン対策に入り口がズラしてあるのだろうか。
(平葺墓のほうも、写真が見にくいが2重に石垣が作られており、入り口の部分は右側にズレている)
実際、真正面に入り口があるタイプでも、

この部分に石が置かれていたりするらしい。
屏風(ヒンプン)と呼ばれるものらしい。

なぜこんなにも、同じ墓とはいえ規模も違い見た目も変わってくるのかが不思議で、インターネットで調べてみるもいまいち浅い知識しか得られないし、なかなか知りたいことが知れなかった。

なので沖縄にいる間に古本屋で「南島の墓 : 沖縄の葬制・墓制 シンポジウム 」(沖縄出版)という沖縄の墓について開かれたシンポジウムの記録が書籍になったものを購入したので帰ってきてからしばらくそれを読み込んだ。


現代では家族墓のように入る人数が少なくコンパクトに済むものであるが、少しさかのぼると一族が大勢入るそこそこデカい墓が主流であったり、それ以降は村全体で特定の墓などを作らず、エリア単位でそこに死体を置いて(遺棄だったり風葬だったりして)おきましょうね、という場所になっていく。

村に対して風下にそれは位置していたり、川の向こう側だったり、居住区とは少し距離を置かれる感じ。それが自然の洞穴であったり、元ある丘陵に穴を掘り込んだりした場所であったりもする。
めちゃくちゃ大きくざっくりと、時系列などを無視してジャンル分けすると、沖縄の墓は「横穴式」と「平地式」に分けることが出来る。用途と地域によって変わってくる。
図にするとこんな感じ。

文章を読んでもいまいちどんなものかピンとこないので本に載っている写真や別の資料などを見てなんとなく描きだしてみる。
もちろん時系列順に追えば形も変容してくるが、場所によって、どんな人間を供養するかにもよってタイプが変わってきたりする。
病気で幼いまま死んだ子供や、その土地の巫女的な立ち位置である祝女(ノロ)が死んだ場合、箱形墓のようなタイプで他の墓地エリアからは少し距離を置いて供養されるなどいろいろ。
ヌーヤ墓・ミャーカ墓・野石積墓などは宮古諸島などの一部にちょっとだけある、って感じらしい。
壁龕墓(崖の中腹に穴が掘られているタイプの墓)はめっちゃ珍しくて今でも残ってるのは沖縄県国頭郡今帰仁村の運天港にあるものくらい。

自分が理解したいだけだったのでこのくらいでやめる。


先程の識名霊園での話に戻る。
あたりを少し見回すと墓の甲羅部分がうっそうとした草の茂みからのぞき見えた。
近くまで行ってみると、完全に墓が飲み込まれている。

誰も管理していないのだろうか。

入り口の階段が塞がれている墓もあった、かなり大きく墓のまわりがなだらかなコンクリートで真っ平らにされている。
いくらでもここに長居できるが車もあるので早々に戻る。


雨乞御嶽展望台

戻りつつ道端の案内書きを見ると、ところどころ矢印が近くにあるいくつかの史跡を指している。とりあえず「雨乞御嶽(うたき)展望台」と書かれた方向に車に乗って進むことにした。
到着し歩道に降りると、道が史跡めぐりのためにめちゃキレイに整えられている。でもひとけが無い。道がピカピカですごく静かでちょっと怖い。

しばらく歩くとやっと向こうからひとり、おじいちゃんが歩いてくる。
晴れているのに透明のビニール傘をさしている。とくにカバンも持たずに散歩をしている、ように見える。日傘としてビニール傘をさしているっぽい。
??
私たちとすれ違う瞬間、高台特有の強めの風が吹きおじいちゃんの傘がこうもりになる。
「あっ」という空気が私たちの間に出来上がったが、おじいちゃんはもたもたと傘を直しながら通り過ぎていった。

雨乞御嶽展望台に到着する。那覇の街並がぐわ~っと眼下に広がる。

別に絶景が見たくてのぼってきたわけではないがとにかく墓がよく見える。

13時半のお昼の日の光が家形墓の屋根にあたって白くちかちか反射している。見て分かるようにこのかたちの墓が近代の主流のタイプだ。

写真真ん中をよく見ると亀甲墓がひとつ見える。家形墓だけではなくたまにこうやって別のタイプの墓が混じってたりする。
先程の識名霊園で見たものよりおそらくめちゃくちゃコンパクトなもののような気がする。


中城高原ホテルから中城城跡へ

しばらく列になった墓を見てから、車で11kmくらい先にある中城城跡(なかぐすくじょうあと)に向かう。
城跡の入り口で入場料を払ってさて登るか、の矢先にもうすでに道がY字に分かれている。左側は正規の中城城跡までの道、右側の道の先にはあからさますぎる薄暗へんてこ廃墟が見える。分かれたルートの先にクッパマスが見えているあの状況の実写化。

注意喚起の立て看板がある。管理区域外なので自己責任です云々。
あからさまに立て看板横のフェンスが途切れて(というかもともとそんなもの置かれてなかったんだろうな)すごくその先に進みたい気持ちと、冒険心があからさまにくすぐられ、あからさま祭りが開催した。

ポケットからヒョロと出ているのはバッテリーのコードです

同行者がいつのまにか立て看板の向こうにズンズンズンズン進んでいく。
まわりに怒ってきそうな人がいないかキョロキョロ見てから走って後を追いかける。

実はこの廃墟のことは知っていて、あらかじめピンを落としていたがこんなに近くに、あっけなく行けるとは思っていなかった。
下調べせずまあ近くに行って行けたらいいか、くらいの感覚でいた。
追いかけながらおすすめの入り方を調べたが、やはり中城城跡への入場料を払ってから見に行くのが一番手っ取り早いらしい。

入り口らしきところにカウンターがあり、その向こうに進めるような廊下が見えるので中に入る。
廊下はそこそこ明るい。ただ左右にのびる別の廊下はうす暗く、足下のがれきの量が多い。明らかに人が踏み入っていなさそうな感じ。部屋らしき部分はさらにより濃い影になっており行く気にはならない。

メインの廊下を歩くとちょっとした階段が奥に見える。
のぼるとひらけた場所にでた。外の光が入ってくるのでとても明るい。タイル貼りであったらしい壁が左右に見える。
隅に男性用便器が転がっている。トイレだった場所なんだろうか。知らない。

もう少し奥に進む。天井がまばらに崩れている。
たくさんの落書きと入り組んだ部屋がそこかしこにある。
なんとなく枝分かれした方の部屋へは、やっぱり進む気にはなれない。

ガラスも何もかもが無くなった四角い穴からは海が見える。


もっとひらけた場所にでた。

天井の鉄のあみあみがあらわになっている。
おそらく部屋であっただろう場所に壁は無く、とにかく奥が薄暗い。
それなりの不気味さはあったがそれよりも、老朽化によるボロボロ具合のスリルの方が勝った。
同行者に止められたこともあり奥に進むのはそこでやめた。
元来た道を引き返しながら、行きに見落とした部分を見る。
ちょっとした吹き抜けに木の根っこのかたまりがある。

こいつが落ちて開いた大穴のようにも見える。実際はデカいコンクリートの塊の表面にすきまなく植物が根をはりまくっているものだった。
コンクリートと植物が溶けてひとつになっちゃうかどうかのスレスレの空間を作り出していた。
いつかこの隙間も埋まって飲み込まれるか、その前にこの建築物が自分の重みに耐えきれず潰れちゃうかのどっちかまで残っていたらいいな~

このあとメインである中城城跡でボランティアのおじいちゃんが、観光客のおじいちゃんとおばあちゃんにこの廃墟「中城高原ホテル」について説明していたので、そのグループから少し距離をとりつつ立ち聞きをする。

それによると、重要文化財として指定された中城城跡に観光客誘致の為、そしてその後開催が決定した沖縄海洋博もあって、このホテルの建設が始まった。
こんな高台にあり、今のようにレンタカーもなく交通の便がめちゃ悪で、なんやかんやあってうまくいかずに建設会社は倒産し、結果このようなかたちで30年以上放置されて今に至るという。
建設中完成した部分に先立って来客した人数はせいぜい2.3人、それっきりで終わってしまったホテルだと言っていた。
とにかく広く入り組んだ構造でウォータースライダー付きプール、ショッピングモール、レストランなど一大観光施設になるはずだった。


もと来た意味なし看板まで戻ろうとすると、白い軽トラがこちら側へゆるゆると走ってくる。
土木作業スタイルのおじいちゃんが2人降りてきた。
にこにこしながら何か言っている。わからない。
沖縄独特のイントネーションと、おじいちゃんの口が動ききっていない喋りで、わからない。
“ひゅーどろろのあのジェスチャー”で、ワンテンポ置いて「幽霊が出るよ」と言われたことに気付く。


「あはは!」と言いながら怒られるのがこわいので(幽霊よりも生きている人間のほうがこわい)
早々に正規ルートにスタスタと戻る。
フェンスを越えてから後ろを振り返ると、おじいちゃんたちはハンガーに白いTシャツを干して廃墟の入り口で吊るしている。
休憩場所にでもしているのだろうか。


中城城跡の坂をのぼると先ほどのぞいた中城高原ホテルがすぐ近くに見える。

手前に並ぶのはかつての石垣だったもの。何か目印的なものがついているが、それは積んであった順番をしるしたもので、この並びもそれを再現しているらしい。


とにかく丘陵をのぼる。琉球石灰岩の石積みがきれい。

太平洋戦争の沖縄戦後、補修が行われているが被害は比較的少なかったため状態が良好に残っている。

また別の箇所に岩が並べられている。
城壁のすべてがこの岩で積まれているわけではなく、
外側がこの左の並べられた岩で、写真右側に見える黄味がかった岩が内側に詰まっている。
もともとはどちらもこの黄味がかった色をしていて、
外気に多く触れる外側の岩がこの色になっている、とのこと。

6つの郭をのぼりきるとまた雨乞御嶽展望台のように街が広がっている。


中村家住宅

その後、車で7分程の距離にある「中村家住宅」に向かう。
国の重要文化財でこちらも沖縄戦の戦渦を逃れた家屋。入場料を入り口のおばちゃんに払って中に入る。誰もいない。
色々と説明を聞きたかったので人を探したが私たちしかいない。
石垣の入り口から入り、目の前に屏風(ヒンプン)がある。中門を抜けるとデカい平屋が広がっている。
靴を脱いであがるが玄関のようなスペースはないので縁側のような部分から上がる。

そこは母屋(ウフヤ)からちょっと離れた離れ屋敷(アシャギ)で、
近くにある中城の役所に、首里王府の役人が地方巡視に来た際、泊まる場所らしい。
役人が泊まるのは、この家の主が豪農だから。
母屋からつながる廊下を歩くと、7つの部屋からなる畳間に出る。すべて6畳かそれ以下でつくられており、当時の農民にはその大きさしか許されていなかったらしい。
その奥には台所がある。
外へ出ると井戸と豚小屋等の家畜スペースがある。
だいたい見終わった。やっぱり誰もいなかった。
説明文も無くただQRコードがところどころにそっと置いてあり、
読み込めって書いてあったけどiPhone片手に見るのは気分が乗らないのでやめた。

誰もいないのですごく静かでいい。
入ってきた入り口から外に出て、駐車場に戻ろうとしたところ、目の前の木にゴイサギがいるのに気付く。

しばらく見ていると重そうな足をぶら下げて飛んでいった。
と思いきや私たちから見えない木の陰へ埋もれていっただけだった。


階段が

車に乗りホテルに荷物を置いて、徒歩であたりを散策する。
建物が最高。

都心で見るデカくて灰色で平坦で味気のない建物が無い。
沖縄特有の貯水タンクの各々のあしらい方が見ていて飽きない。
形を理解したくなるようなデコボコ建築がどこを見てもすぐ目につく。
なにより、沖縄に到着したときから違和感を覚えていたのは、

建物に付随している階段の厚みが無い。すごく薄い。
ただの三角形の鋭角部分がちょぴっとくっついただけみたいな心もとない階段。板チョコみたいにパリパリ割れそう。
どこを見ても大体この薄さばかりなのでしばらく沖縄にいれば見慣れるが、到着したときはまっさきに違和感を覚えた。

犬が出てきた。


コザゲート通り・パークアベニュー・ねこ

ちょっと入り組んだ道に入り、もしや…と思いのぞきこむと墓がある。

歩いてコザゲート通りまできた。ゾンビが向かいから押し寄せてきそうなほどのシャッター街。
誰もいない。
夜に飯を食うところがあればと思ったが本当にどこも開いていない。

平日の夕方だから??
そのままパークアベニュー通りも歩く。
とくになにもないので書くことが無い。
だんだんと日が暮れてきた。

私のすきな建物にやんわり赤いフィルターがかかりまた良く見える。


あとところどころに猫がいる。
が、ノラにはあまり見ない種の猫をよく見かけた。

首輪はないけど、飼い猫のようにキレイだ。なんでだろう。
完全に日が暮れてきた。

店がない。なんで~と言いながら結局来た道を戻るかたちで、
ライブハウスがあるイオンモールみたいな建物「コザミュージックタウン」内の居酒屋で飯を食った。


夜のアイスコヒ

また少し歩く。アイスコーヒーが飲みたいので近くの喫茶店を探し、
「cafe ocean」に入る。

タコスが有名らしい。タコス分の胃をあけておけばよかった。
もう入らないのでアイスコーヒーだけ頼む。
350円くらいだった気がする。
新宿アルタ横のルノアールで何年か働いていたとき、客がメニューを見るなり「コーヒー600円?!たか!ギャハハ!」と言うのを(場所代…)と思いながらと見ていたが、そういう人たちはみんなこういうアイスコーヒーを飲んで育ったのだろう。
本当にうらやましい。おいしいし、安いし…
アイスコーヒーが運ばれるまで、家族連れがタコスを持ち帰りで注文していた。
のんびり大人な雰囲気をかもしたおじさんオーナーが、注文数が多かったのかいそいそと奥のキッチンに消えていく。

アイスコーヒーを飲みながら台風情報をぼんやり聞いて休憩をする。
その後ホテルに戻る。


祭の音

22時過ぎ頃シャワーを浴びてテレビのチャンネルをまわしていたら、外から急に太鼓のドンドコでかい音が聴こえてきた。
かなり近いところで鳴っている。
「祭?!」と言いながら窓の外を見るが暗くてよく分からない。
急いで今日着ていた洋服を着直してロビーまで降りる。
「祭ですかね?」と同行者が受付の人に尋ねていたが私はもう外へ出たのでなんて言ったかは聞こえなかった。
音が鳴っている場所にまばらに人がちらちらと集まっている。
どうやら店の前で男が数人、沖縄のあの衣装(なんて言うんですか?)を着て踊り、太鼓を叩いている。

車道の片道で踊っているので、向いから走る車両はゆっくりとそこをよけて、通り過ぎていく。
こんな時間なのにドンドン太鼓の音が心臓に響いている。
でもなぜ踊っているのか分からない。
けれど男たちはずっと店のほうを向いているので、何かの店の何周年記念か何かの景気付けに踊るやさんのようだ。
ママチャリに乗った地元の若者がうしろで携帯をかまえて動画を撮っている。
前に揺れたり後ろに下がり、くるっとまわったり、遊園地のパイレーツのような動きをしている。
しばらく見ていたが終わりがいつなのか分からないので、ホテルの自室に戻る。
沖縄に来て、墓ばかり見ていたので意図せずド観光体験のようなものができたのでよかった。


寝た。

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