三単現のエス──または彼を炎上から救うたった一つの方法
00.When I wake up , I always ……
目覚めの瞬間は、生まれてこの方何万、何億と経験している。だが、目覚めてすぐ死をあれほど間近に感じたのは、たぶんあれが最初で最後だ。
高校の頃、母の付き添いでキャンプに行った。母は家で私塾を開いていて、そこの生徒や保護者たちとキャンプ合宿に向かったのだが、夜更けにテントの中が蒸し暑すぎて外に出て芝に置かれたキャンプ用の折り畳みチェアに腰かけてまどろんでいた時に、それは起こった。
頬にひんやりとした硬質な感触。
大きく目を開けたり悲鳴を上げたら、死んでいただろう。
頬に当てられた冷たいものの正体は、シースナイフだった。
調理から木を切る作業まで幅広く使えるそいつは、僕の頬を抉ろうとしているように見えた。ナイフは見えてもそれを持つ者の姿は見えない。背後に回っているのだ。後頭部にその人物の息がわずかにかかった。熱帯夜特有の、湿った吐息だった。
暗闇に少しずつ目が慣れてくると、ナイフを持つ手の輪郭が見えた。バーベキュー用の分厚い黒革の手袋なので、手のサイズは判然としないが、こんな大胆な行動に一切手が震えていないのだから、そいつがその気になればすぐに殺されるのではと思った。月明りでナイフの柄に近い部分にMOSSY OAKのロゴが辛うじて読めた。
だが、十秒、また十秒と過ぎてもなお、ナイフはいつまでも頬のあたりに当てられたままだった。こいつ殺すのか殺さないのか、それとも楽しんでいるのか。存外冷静にそんなことを思案している自分も、いたことはいた。やがてテントの中で誰かの寝言が聞こえると、ナイフは離れて足音が遠ざかっていった。すぐに振り返らなかったのは、うっかり相手と目が合えば、その後どうなるかわかったものじゃないと思ったからだ。
以来、この一回の記憶のために、僕の目覚めには、死の匂いがこびりついている。もしかしたら目覚めた先にはまたシースナイフが待っているかも。いつも、そう考える。
しかし、それはあながち杞憂とばかりも言えないかも知れないのだ。
01. He wakes up , and She comes……
彼は呼吸をする、寝息とはちがう、自分は動き出すのだと言い聞かすための呼吸だ──と脳内でナレーションが流れた。冬の朝はまだ夜すぎて夜。こういう中で体を動かす拷問に、僕は立ち向かえず蒲団と一体化する道を選びそうになる。
僕、こと田山槐太には蒲団から出て社会に立ち向かう意気地の持ち合せがない。一応、骨はあるが、できれば刺胞動物門に入門でもしてクラゲの同族と思われていたいくらいだ。
しかし勤務時間というツンデレのデレ抜きが待っているので、ここは彼の出番となる。
彼──。
彼は僕の中にいる、と言ったら語弊があるが、僕が彼の中にいると言えばさらに語弊が広がる。べつに僕は多重人格者ではない。悲しいことに人格者ですらない。性格は徳永英明に拾われそうなくらい壊れ気味で、そのうえWi-FiもBluetoothもオフ。
そんな僕の意思とうらはらに動く彼だが、僕を動かすこともある。いや、しょっちゅう動かす。何なら、僕は彼の言いなりだ。しかし繰り返すが、だからといって多重人格者ではない。紛れもなく僕であり彼。
僕も彼も共通項がある。どちらも田山槐太の自覚があること。
ではこの田山槐太は何者かといえば、そこそこの大学を卒業した後、ハンドル操作を誤って出世コースをコースアウトし、東京というレース会場からもはじき出され、埼玉は智光山の麓にある実家の、そのまた隣町の工場で働いている。わざわざ工場にほど近いアパートを借りているのは、親との仲が水道橋博士と下水道くらい微妙だからだ。そんな田山槐太の一人称を名乗っているのが僕で、名乗ることには何のメリットもラックスもマシェリもない。できることなら誰かほかの一人称がよかったが、仕方ない。生まれた時から、僕は田山槐太の僕にしかなり得なかったのだ。
そこに彼という助っ人が現れた。その田山槐太、肩代わりしましょうか、なんて借金みたいに言われたら、喜んで手放してしまうくらいには田山槐太に愛着がない僕は、もちろん彼を歓迎した。彼。己を俯瞰で捉える超自我。内なる他者性。いやそんなかっこいいもんではないな。うそうそ。せいぜい木から生えたキノコくらいのもの。
だがこのキノコ、ありがたいことに僕よりもよほど優秀だ。対人関係のまるでダメな僕に成り代わって、彼はじつにうまく立ち回る。職場での彼なんてまったく的を射る那須与一なみに見事だ。自分の仕事を平然と押し付ける上司にも嫌な顔ひとつせずに、お世辞まで言ったりする。部下にもクールに指示を飛ばし、自らの業務も速やかにこなす。おかげで最近では上司の信頼もマシマシ。余計な仕事を投げてくるとき肩に置かれる手にも、ろくでもない信頼を感じる。僕だったら蕁麻疹が出るサービスを追加するところだが、彼はにこやかに任せてください、なんて言う。あっぱれだ。
「どれ起きるか」と彼は言って蒲団から身を起こす。蒲団の周りを取り囲む死の匂いも何のその。僕では考えられない迷いのない動きだ。窓の外の暗さなんかいちいち確かめないし、真冬の肌寒さだって意識から切り離す。
彼は精神と肉体を分離させる。
「まったく。君って寒さとか感じないの?」と僕は尋ねる。
「この寒さは体の感じる寒さであって、俺自身の感じる寒さではない」
彼の一人称は「俺」である。彼は食器棚から玄米食パンを取り出してトースターにセットし、そのわずかな時間を利用して目玉焼きとベーコンをフライパンで焼く。気が乗ってこないときはレディオヘッドの「バーン・ザ・ウィッチ」を流す。
精神と肉体を分離するのと同じ手際で、世界の憂鬱と己を分離する彼なりの手続きのような何かである。そして、いつの間にかフライパンの上で勝手にくっついたベーコンと目玉焼きをフライ返しで切り離しながら皿に移しとると、だいたいそのタイミングでトースターがガタンと音を立ててパンを吐き出す。こうして朝食が完成する。
だが、その朝はいつもの朝と違う。朝から電話が鳴っている。知らない番号だ。もっとも、田山槐太という人間はほとんどの番号を登録していないので、実際には知り合いかもしれない。僕だったら迷わず出るところだが、彼は朝食を優先する。いつだって自分の優雅な時間を優先することができる。そのほうが合理的だから。
「出たほうがいいって」
「君いつもそんなこと言うね。出る意味ないよ。本当に必要な用なら、またかけてくるさ」
そうだろうか、と訝る僕と、そうかも知れないと易々と納得しかける僕がいる。
彼はと言えば、もう今夜はどの街でナンパするか、なんてことを考え始めている。金曜の夜は終電を逃すカモが溢れる絶好の機会だが、駅によってはまったくの期待外れで終わることもある。最近は新宿も以前ほど成功しない。やはり渋谷がベストか。有名大学に近い駅も穴場ではある。
夜遊びの計画をざっくり立てると、次はもっと直近のことを考える。出勤時間まであと1時間。昨日撮って編集済みの動画をYouTubeにUPするくらいの時間はありそうだ。基本的にはフォロワーからの相談に答えるチャンネルだが、一年ほど前に、よく知られたニュースに毒を吐いたらその動画の再生回数がやたらと伸びて、気が付けば十万単位のフォロワーを抱えた立派なユーチューバーになっていた。アカウント名は〈ココロ操縦士〉。いまも、相談への回答が投稿の基本だが、視聴者は彼に毒舌を求めており、そうなると仕方なく脱線して世間のあれこれに罵詈雑言を吐くことになる。それをまた馬鹿みたいに「正論!」と賛美する者が後を絶たないので、彼はフフンと思っている。彼曰く、世の中はじつにチョロい。
もちろん事業税みたいに、この時代では当たり前でしばしば非難コメントもくるが、彼は一向に気にする様子が見られない。僕はその姿勢自体が恐ろしくてたまらない。
「このまま無事で済むわけがないよ。いつも正論と捉えられるとは限らないんだぜ?」
僕は何度か彼にそう進言している。
そのたびに彼は得意満面で、あるいは、少しばかり僕を見下した様子で言うのだ。
「いつも正論と受け止められたら、それこそ大衆は劣化の極みだろう。ときに炎上してこそ、アップデートできるんじゃないの? 俺個人ごときが間違った発言で炎上したっていいんだよ。その炎上で社会全体が軌道を修正するんだから。それって究極の社会貢献じゃない?」
そうなのだろうか。僕にはいつもわからない。彼の悟りの境地に対して、気後れしている自分を、言語化できない。言語化できるくらいなら、たぶん僕は僕じゃないのだ。
昨夜彼が撮った動画は、前半は仕事でミスした人からの相談に答えたものだったが、後半はスキャンダル後の芸能活動自粛というお決まりの儀式の不毛さについて毒を吐き続けた。覆面投稿だから、炎上したって実生活には支障がない。だからこそ、彼の舌は毒を吐くときほど滑らかになる。
社会貢献。社会貢献。そうなのだろうか。僕の疑念をよそに、彼はトーストをかじりながら、スマホで動画をupする準備を始める。
電話は、三十秒鳴り続けたのち、切れた。よかった。静寂こそ彼の友だ。
だが、今度はなぜかインターホンが鳴る。苛立ちつつも、彼はさっきのは宅配便のスタッフが在宅を確かめるためにかけていたのか、と考える。いやおかしいだろ。それにしては時間が早すぎる。まだ6時半だ。こんな時間に宅配をするだろうか? 訝り、逡巡する。
それでも彼は食事を続ける。来客より朝食。その優雅な行動様式が、彼なりの生活リズムを作りだし、さまざまな局面での成功へとリンクしている。しかしインターホンは繰り返し、何度も押され続ける。彼は半熟の卵の黄身をスプーンでとろんと口に流し込むと、これ以上は隣の住人に迷惑だという社会的判断のもと、腰を上げ、ドアを開ける。
「お久しぶり。槐太」
そこに立っているのは、この国における痙攣的存在。アイドルと名付ければ、かわいいだのキュン死だのと大騒ぎして立派に商品として通用する一方で、実際にはそのような感情をもつこと自体が禁忌にある領域にある。ほかの何者かが彼女をみれば、実際の年齢はわからないかも知れない。ある者は成人と答えることもあろうが、彼も僕もそうでないことを知っている。
「電話くれたの、君か?」
「電話? もってないよ」と彼女は怪訝な顔になる。
「……何してるんだよ? こんなとこで」
そう答えたのは僕だったのか、彼だったのか。
答え方の余裕のなさから察するにこれは僕だと考えるべきだ。僕と彼もまた、二重の痙攣する自我、と言える。名も知らぬ相手なら、そのままドアを閉めていたが、その面影は彼の、あるいは僕の記憶を刺激する。自分は彼女を知っている。それが最初の認識。次に「知っているどころではない」と本能が訴える。
やがて、僕は彼女の正体に気づいて舞い上がる。間違いない。彼女だ。が、いまは僕に主導権はない。飽くまで彼はエンジン音一つ立てない不気味なプリウスのようであらんとする。
「家出してきたから。しばらく泊めてもらうね」
「家出? 泊める? いや待ってそれは……え、ちょっと、芳子?」
芳子。この令和の時代に何て古風な名前。だが実際に、彼女は芳子という名でそこに存在しており、彼を押しのけるようにして靴を投げ捨てるように脱いで室内に上がり込むその動作は敵陣に切り込むネイマールのドリブルのように無駄がない。
そしてつい二十分かそこら前まで彼が寝ていたベッドにダイブする。それは実際、ジャック・マイヨールも唸るであろう見事なダイブだった。そして、着地と同時に彼女は寝息を立て始めた。彼女の背にはまだリュックが背負われたままだというのに。
彼は彼女からそっと赤子を下ろすようにしてリュックを外し、それから下に敷かれたままの蒲団を無理やり引っ張って彼女にかけた。芳子。たしか苗字は野津。野津芳子。僕の記憶によれば今年、芳子は十七歳になるはず。最後に会ったのは二年前か。
芳子は母の教え子で、当時は受験勉強の真っただ中だった。彼女はいつも塾として開放されている家に入り浸っていて、高校から帰宅する僕を見つけると寄ってきては自分の仕入れたばかりの過去問の難題をクイズっぽく出してきたりした。母はその様子をみて「あんたってまるで芳子のお兄ちゃんね」なんて言ったりし、そう言われるたびに何かぞわぞわと微弱な電流が、なけなしの背骨を伝ったものだった。
その芳子が、いま、彼のベッドで眠っている。なぜかはわからない。だが、現実だ。
「まいったね」
彼はクールに言うが、わずかな貧乏ゆすりから、気持ちが乱れているのがわかる。
「どうするの?」
「起こさなければ、問題は寝てる」
「でもいずれ起きる」
「起きたら話せばいい」
彼は苛立ったように言って食器を片付け、職場の作業着に着替え始める。
動画のupはあとにすると決めたようだ。
もう僕は口を挟むのをやめた。とにかく一度考えるのをやめよう。彼にすべてを委ねる時間だ。それにもしかしたら、帰ってきたら野津芳子は部屋からきれいさっぱり消えているかも知れない。そうだ、そうに違いない。
彼はシロクマのことを考え始める。奇妙だ。これは彼がナンパに成功してどこかの女とことに及ぶときに脳内に浮かべるやつじゃないか。南極か北極かどこかの氷の上をのしのしと歩きながら魚は漁れないかと海中を覗き込むシロクマ。その体毛は陽光を浴びて白く反射している。彼はセックスのとき、このシロクマのことばかり考えている。できるだけ相手を見ず、実際の行為に集中しないようにシロクマのことに集中する。それが冷静さを保つうえで彼にとって重要だからだ。それは実際、僕からみても彼らしいやり方に思える。
しかし、しかし、だ。なぜ彼はいまシロクマについて考える必要があるのだろう?
僕は僕で、また不意にいつぞやの真夜中、目覚めた瞬間の頬に当たったシースナイフの感触を思い出す。どうやら、事態はそれほど楽観視できる状態ではないようだ。
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