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詩学探偵フロマージュ、事件以外 緊急会議

 月曜は朝から緊急ミーティングだった。
「我が事務所の緊急課題が何かわかるかね?」
 ケムリさんはさらさらの髪を撫でつけながら尋ねた。
 椅子をくるくると回転させながら、
 デスクの上のチーズに手を伸ばそうとしては、
 回転が速すぎて失敗している。
 とってあげたほうがいいのだろうか?
「依頼がまったくないことです」
 ブッブー、とケムリさんは腕で×をつくる。
「ちがう。行きつけのチーズ屋がだいぶ遠くにあるってことだ」
「え、そこですか……」
 相変わらず頭の中はチーズのことだけなのか。
 しかしそろそろ稼がなければ、本当にこの事務所は
 干上がってしまうのではないだろうか?
「もちろん、風変りな依頼もほしい。
 君は頭韻を使った事件を一向に持ってこないしな」
「すみません……」
 あんな無茶な営業はどう逆立ちしたってとれない。
 だが、一応形式的に謝罪しておく。
「そこでだ。この二つの悩みを同時に解決したい。
 通常の探偵に持ち込まれそうな依頼の端々にチーズを混ぜ込むのだ」
「……ええと、言っている意味がよく……」
「探偵に持ち込まれる依頼といえば?」
「行方不明人探し」
「ほかには?」
「浮気調査」
「それから?」
「結婚相手や従業員の身元調査」
「はいはい、では行方不明人探しを例にとる。
 失踪者は依頼人の兄だ。
 兄は前の日までまじめに働いていた。
 それが、会社に不慣れな場所への営業を任され、
 そのまま帰ってこなくなった。
 依頼人が探しに行くと、
 営業先の近くでチーズが落ちていた。どうだ?」
「いや、『どうだ』って言われましても……」
「じゃあ次だ。浮気調査。
 夫が毎晩身体中にチーズを付けて帰ってくる。
 どうも浮気が心配だ」
「ま、待ってください……。
 どうして身体中にチーズを付けて帰ってきたら
 浮気を心配しなきゃならないんですか?」
「夫が何食わぬ顔で衣類を洗濯に出す。
 ところがそのシャツはチーズまみれ。
 どうだ? 怪しいじゃないか」
「それ、浮気を疑いますか? 
 ふつう口紅とか香水とか、
 そういうのがついてた場合ですよね?」
「口紅はルージュ・ア・レーヴル。
 チーズはご存じ、フロマージュ。
 脚韻を踏んだのさ」
「『踏んだのさ』じゃなくて、ですね……
 だいたいそんなことしてもチーズ屋が近くなるわけ
 じゃないからケムリさんには何の得もありません」
「そんなことはない。現場検証で
 チーズを舐めることができる」
「どうかしてますよ……」
「ではさっきの行方不明の兄の現場にあったチーズは
 何と掛けているかわかるかね?」
「わかるわけが……あ、わかりました。
 地図ですね?」
「正解。現場にあったチーズはダイイングメッセージ」
「どういうメッセージでしょうか?」
「地図が正しくなかった、という意味じゃないか?
 すなわち、目的地に辿り着けない地図を渡した奴が
 犯人というわけだ。
 そいつは、偽の地図でべつの場所へ辿り着かせ、
 依頼人の兄を殺した」
「チーズはどこから出てくるんですか?」
「チーズなんて皆ポケットにしまってるだろ?」
「ケムリさんだけですよ」
「じゃあ被害者は俺ってことで」
「いや、ですから、何ですか、この話は?」
「いまは顧客創造の時代だ。
 ニーズを創り出さなければならない。
 だから、まず詩的依頼を考える発想力を
 君には養ってもらいたいんだよ」
「無茶苦茶ですよ。でもまあ努力はしています。
 毎日アリスとテレスの『詩学』も読んでます」
「ホラチウスの『詩論』もな……待てよ?
 ニーズを創り出す……そうだ、その手があった。
 でかしたぞ。今日はこれで終わりだ。
 帰ってよろしい」
 あまりに唐突な宣言。
 しかもまだ出社して三十分も経っていない。
「え、そんな……ケムリさん?」
「明日の朝には面白い依頼が君を待っている」
 私は仕方なく腰を上げた。
 今日はいい天気だし、趣味の写真撮影に充てようか。
 けれど、内心では不安で仕方なかった。
 まさかニーズとチーズを掛けたり……しないよね?

 そして翌日、私はその不安が的中していることを
 知るのだった。
 

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