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デビュー前の原稿が……

 先ほど、大昔のデータを漁っていた。デビューよりもっと昔の原稿。27の頃、広告代理店で終電に乗って揺られている間にケータイにメモするように書いて、それを帰ってパソコンに保存する、ということを繰り返していた。そうでもしないと小説を書く時間がなかったからだ。

 いま試みに挙げてみるのはその頃の原稿「フラスコの夜」だ。この話はかなりの枚数があるが、じつはどこで終わっても構わないようにも書かれている。したがって、あまり長く読んでいただくのも申し訳ないので、現在の私の判断できりがよいと思うところまでをアップしておく。もっと読みたいという声があれば、あるいはその先を公開することも考えるが、そうはならないだろう。この話は本当にどこで終わっても構わない感じで書かれている。
 
  しかしだからといって、つまらなくはない。たぶん。少なくとも再読してみて、供養の意味でここに保存しておこうかな、という気になった。「フラスコの夜」その片鱗だけでも、それはなかなか興味深い体験ではあるかもしれない。

「フラスコの夜」


 1

 ゴドーからの電話が鳴ったとき、僕は魚になった夢を見ていた。正確に言えば、初めのうちは確かに魚だったのだが、そのうち川の浅瀬に潜んで魚を見つめる闇の住人となっていた。闇の住人としての僕は、「魚逃がし」と呼ばれる役職に就いており、通り過ぎる魚たちを捕まえずに見過ごすのが日課となっていた。僕は来る日も来る日も忠実に任務を遂行するが、ある日の明け方、夜と朝の変わり目に、突然自分をコントロールできなくなってしまう。いつものように巨大な魚が僕の横を通り過ぎようとした瞬間、僕は素早く手を伸ばし、暴れる隙さえ与えずにそれを飲み込む。川は、耳が痛くなるくらい静まり返る。

 実際に耳が痛くなって、僕は目を覚ました。それもそのはず、電話の子機は枕元に置いてあり、着信音量は最大値の6に設定されていたのだ。受話器をとってから時間を確かめる。朝の八時。少し苛立たしげに応答すると、電話の主は、きわめてゆっくりとした口調で次のように告げる。

「僕は旅に出る。その前に、ぜひとも君に預けたいものがあるのだ」

 僕はしゃべり方や声の特徴から、電話の主がゴドーであると判断し、久しぶりだなと答える。「ゴドー」というのは僕が勝手に心の中でそう呼んでいるだけだ。本名は知らない。ゴドーと僕は大学時代に「哲学概論Ⅰ」を履修していた。お互い逢えば声をかけるが、それほど親しかったわけでもない。

 何故彼が僕の自宅の電話番号を知っているのだろうかと僕は疑問に思う。大学を卒業してからすでに二年が経過しており、その間に僕は住所を二回変えている。当然、それに伴って電話番号だって変わっているのだ。ゴドーと僕には共通の知り合いのような者はいない。大学を卒業してしまえば、自動的に消えてしまうはずの関係だったのだ。しかし、現実にゴドーは何らかのルートで僕の電話番号を知り、朝の八時に僕に電話をかけてきた。

 久しぶりじゃないかと僕は言う。そして、まずはそれほど色あせてはいない昔話でも始めようと頭を働かせる。しかし、ゴドーのほうにはそんな気はまるでないらしい。ゴドーは続けざまに言う。
「ついては、本日、午後の二時に、月島のカフェ『カッコー』に来てもらいたい」
 いいよ、と僕は答える。
「では、待っている」
 ロボットのように正確な発音。そして、一方的な切断。
 受話器を力なく戻した後で、僕は、発することを許されなかった疑問を頭の中に並べてみる。
①    ゴドーは何を僕に預けたいのか。
②    ゴドーは何処へ旅に出るつもりなのか。
③    ゴドーは現在何をしているのか。
④    ゴドーは何故朝の8時に電話してきたのか。
⑤    ゴドーは何故僕の自宅の電話番号を知っていたのか。
⑥    ゴドーは何故人の話をまるで聞こうとしなかったのか。
⑦    ゴドーは何故僕の住む新富町からきわめて近い月島を指定してきたのか。

 室内を見回すと、恋人のノアはすでに会社に出かけた後らしく、床に脱ぎ捨てられた下着が惨めな踊り子の死体のように転がっている。僕はインスタントコーヒーを淹れ、ワーグナーの「タンホイザー」をオーディオから流し始める。コーヒーは、寝覚めのぼんやりとした頭を少しずつ覚醒し、音楽はそこに規律を流し込む。

 それから、寝がけにノアが読みかけていたフィッシュの詩集がテーブルの上に伏せられているのを発見する。フィッシュ。今はなき詩人の名。僕はその名前で三冊ほど詩集を出版した。あまり売れなかった上に、取り上げられたいくつかの雑誌ではいずれも酷評された。ある批評家は僕のことをこう評した。

「フォークとナイフが持てれば料理が作れると思った愚者」

 窓の外で静かに雨が降り始める。二十分と経たずに、1DKの室内はたやすく湿気に満たされる。僕は水の侵入に活気づくウィルスたちの気配を感じながら再びベッドに潜り込む。今度はどんな夢も見ずに、深い眠りの底へと落ちていく。

 次に目覚めると、時刻は正午を回っている。僕は室内をクモのように這い回って着替えるための衣類を拾い集める。この部屋の衣類たちは、なかなかクロゼットにありつくことができない。「さまよえる幽霊たち」とノアは、表現している。

 着替えを済ませ、僕は外へ出る。

 しゃなしゃなしゃな

 雨の囁きは、ときに忘れたはずの記憶を解凍する。
 
 大学4年の冬。ノアのただひとりの親友であるレノアと大学の坂で遭遇した日。僕は丁度レノアのことを考えていたから、ばったり彼女に出くわしてひどく驚いた。レノアは透き通るように白い肌を、ますます白くし、泣き出しそうな顔で笑った。僕らはしばらくつまらない話をして駅まで歩いた。やがてレノアは、ノアによろしくと言って地下鉄の階段を降りていった。

 それを待っていたように、大粒の雨が降り始めた。
 レノアが消えても、しばらくの間隣に彼女を感じていた。レノアと会うと、僕はいつもこの感覚に悩まされていた。しかし、この感覚には、その頃まだ名前がなかった。名前を持たない感情には、透明な悲劇がある。

 あとから知ったことだ。
 
 あの日、レノアは恋人と別れたのだった。

 僕は傘を差し、アパートの階段を降りる。また別の記憶が僕を捕える。昨夏。銀座のカフェで仕事を片付けていた際の姉からの電話。
 僕の小学生時代の同級生の女の子が自宅のマンションから飛び降りて死んだ、と姉は伝えた。彼女には身寄りがなく、一番近くに住んでいた僕の両親が彼女の遺体を引き取ることとなった。十年以上交流が途絶えていたにも関わらず、彼女は僕の両親の住所を自分の手帳の、それも緊急連絡先に記入していた。母が現場に駆けつけた時、どしゃぶりの雨が彼女の流した血を洗い流しているところだった。
 
 母はなぜ血をそのままにしておくのかと警察官に詰め寄ったが、一方では雨に流された方が自然だとも思った。警察官は渋々謝罪した挙げ句、張り手を食わされた。

 母はそのあと警察署の冷暗所に案内され、保管された彼女に対面した。幸い、顔はきれいなままだった。しかし、母には小学校の登校班で僕と並んで歩く彼女の姿しか思い出すことができなかった。

 母は、遅れて駆けつけた父に尋ねた。今日の雨はやさしい雨か、嘆きの雨かと。父はただ頷き返した。父は、いつも肝心な場面で沈黙を保つ天才だった。

 母は雨には二種類あると信じていた。やさしい雨と嘆きの雨。けれど雨の性質はそんな容易に二分できるわけではない。雨の諸性質は、ときにウロボロスのように絡み合い、グロテスクな様相を呈する。雨は完全なる死者と、生者のからだから出ていった死せる何かとの共同作業によるものだ。我々は生ける部分と死につつある部分とで構成された肉体でそれを受信する。雨というメッセージを受信することで、記憶は何らかの引き出しを開かれる。たとえば、僕が唐突に同級生の死を思い出したことは、記憶の機能が正常に働いていることを意味している。

 佃大橋を渡りながら、僕は正常な記憶の機能を活用して脳内におけるゴドーの復元を試みる。顔の輪郭、次に瞳……。 
 しかし、その作業は一向にはかどらない。まるで新品で削られていない鉛筆の上に湯豆腐を一丁ずつ積み上げているような感じだ。その間脳は脳なりにかなりのエネルギーを放出している。脳はゴドーに関するいくつかの情報を持ち合わせている。そして、情報のひとつひとつを丁寧につなぎ合わせ、一枚の絵を作り出そうともがく。たとえば、講義の最中の横顔だとか、廊下でばったり鉢合わせたときのことだとか、あるいはノアを見つめているゴドーの瞳……。

 ノアを見つめる? 待てよ、と僕は思う。ゴドーはノアと会ったことなどないはずだ。しかし、僕の脳は現に「ノアを見つめるゴドーの瞳」という情報を提供している。構造がねじれているのだ。復元作業は、この時点で中断を余儀なくされる。
 佃大橋を渡り終える。三分四十秒。
 階段を下りながら、作業を再開する。今度はさっきよりほんの少し丁寧に記憶を掘り起こしてゆく。すると、より細かな情報が姿を現わす。

 ──すべての人間は、やがてはウィルスに支配されるのだ。

 ゴドーの口元に微かな笑みが浮かんでいる。文学部の事務所の前。僕は誰かを待っている。誰を?
 スロープを上がってくる女の子。レノア。ノアではなく、レノア。そして、またあの瞳。「ノアを見つめるゴドーの瞳」。おかしい。このタイミングでこの情報が提供されるのは奇妙なことだ。そうであれば、ゴドーが見つめているのは、ノアではなくレノアということになる。なのに、相変わらず僕の脳は「ノアを見つめるゴドーの瞳」という情報を提供する。

 脳は混乱をきたし始める。僕は、佃大橋の階段を下り終える。隅田川はいつも僕の脳に奇妙な具合に働きかける。黒い川は、流される存在としての自己を刺激する。一方で橋は、流れる存在としての自己認識を強いる。我々は川の上で川の真似をする。その模倣行為は、模範への畏怖の結果かもしれない。いずれにせよ、川を渡り終えたあとにはこれらの夢想は泡沫と消えてしまう。

 僕は一旦作業を中断し、現在の自分にとって身近な人物の全体像を一人一人丁寧に思い出してみる。十人ほど試したところで、復元されたイメージと実像とのズレの割合を見定める。八十五パーセント。それ以上でも以下でもない。悪くない、と僕は思う。プロ野球のピッチャーであれば完封できるだけのハイアベレージだし、金魚すくいならまず十匹は掬うことができるだろう掬い率だ。頭のなかのもやもやと散らばった情報を一点に集約することにかけて、僕はプロ野球選手やプロ金魚すくいと同等の技能を習得していることになる。問題は、それを取り出して誰かに見せることができないということだ。

 もう一度ゴドーの顔を思い出そうと試みるが、その作業に本格的に取りかかる前に、カフェ『カッコー』に辿り着く。

 カフェ『カッコー』は、広告代理店との打ち合わせの際に二、三回使ったことがある。二年前にレノアを待っていたのもこのカフェだった。僕は、何故ゴドーがこのカフェを指定してきたのか不思議に思う。都内に三百はあるであろうカフェのなかで、よりによってなぜカフェ『カッコー』が選ばれなくてはならなかったのか? 

 そこに漂うミステリアスな気配を敏感に察知して、僕は身構える。ゴドーは、僕の何を知っていて、何を知らないのか。
 僕は、ゴドーの電話の後で考えた疑問について、改めて考え始める。ガラスウォールの向こう側に広がるカフェ『カッコー』の無機質な明るさが、店内に入ることをためらわせているのだ。

①    ゴドーは何を僕に預けたいのか。
②    ゴドーは何処へ旅に出るつもりなのか。

 想像もつかない。店内に入ってゴドーに出会えば、分かるはずだ。

③    ゴドーは現在何をしているのか。

 これも聞けば分かることだ。大学四年になってからはゴドーと逢うこともほとんどなくなっていた。だから、彼がどんな将来を選び取ったのかを僕は知らない。自分の人生というものを長期的スパンで考えれば、ピンボールが釘に当たる瞬間のような一瞬の関係しか僕らの間には存在しない。僕にとってゴドーは絶対的他者であり、未来を分かち合うべき存在ではなかった。

④    ゴドーは何故朝の八時に電話してきたのか。

 ゴドーは時間と無縁なのだ。それは、学生時代から分かっていたことではある。朝の八時であろうと、夜中の三時であろうと、ゴドーは現れるときには現れるような男だ。僕が彼と一定の距離を保ったのもゴドーのそういった不謹慎さに気付いていたからだ。

⑤    ゴドーは何故僕の自宅の電話番号を知っていたのか。

 ゴドーは目的に到達するための道筋と、道筋を発見する手段とを知っている。ならば、彼の目的に到達するための道筋に僕が関連しており、そのために僕の自宅の電話番号は必要不可欠だったのだろう。何故? 分かるわけがない。時間は、推測を無効化するほどに僕たちの間に大きく横たわっているのだ。

⑥    ゴドーはなぜ人の話をまるで聞こうとしなかったのか。

 可能性は、いくつかある。たとえば、さっきの電話はテープレコ
ーダーをただ流していただけだったと考えることもできる。その場合、ゴドーは何者かに捕えられているか、もしくはこの世にすでに存在しないというシナリオも想定できる。また、別の可能性についても想像を巡らすことも可能だ。たとえば、単に急いでいたとか、耳が聞こえない病に罹っているとかいったことだ。しかし、何であれ、それがゴドーの実態であるならば、これから僕に何らかのかたちで影響を与える因子となるはずである。

⑦    ゴドーは何故僕の住む新富町の隣駅である月島を指定してきたのか。

 恐らく、⑤と同様に、ゴドーは僕の住所を容易に把握できたのだろう。そして、僕がノーと言いづらい距離で面会を設定した。だが、待てよ、と僕は思う。果たしてゴドーはそのような配慮を他者に対して行うだろうか? この点について、僕はやはり判断停止を迫られる。僕はゴドーの性格を知り抜いているわけではない。

 ゴドーはある意味では常に「not」の存在である。ゴドーは、人間的な配慮をしない。しかし、ゴドーは冷徹なのではない。

 確かに言えるのは、ゴドーは人間的意味の世界から浮遊しているということだ。

 カフェ『カッコー』のドアが、音一つ立てずに開く。僕はその内部へと足を踏み入れる。二年前、レノアに会いに行ったときと同じように。




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