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即興ウォーミングアップ掌篇「春にして死体と離れて」

 桜の花の舞う心地よい天気の朝だった。いつものように教室にいちばんに入った私は、私の席で死んでいる女子生徒を発見した。なぜわざわざ私の席で死んでいるのか。机に突っ伏し、後頭部から血を流しているので、たぶん他殺だ。まだ教室には私しかいない。次に来た生徒はどう思うだろうか。

 足音がしたのはその時だった。私は咄嗟に出窓に飛び乗り、束ねられているカーテンに身を隠した。入ってきたのはいつも誰とも話さずに教室でじっとしている冴木君だった。冴木君は入ってくるとすぐに私の席にある死体に気づいたみたいだった。

「市田」と冴木君は死体に呼びかける。私の名前だ。たしかに突っ伏しているから顔はわからないし、髪の長さは私と同じくらいではある。すると市田君は死体の髪をつかんで、顔を持ち上げてたしかめたのだった。それから顔をしかめた。私のいる角度からも死体の顔がみえた。それはみにくく化粧をした男だった。誰なのかはメイクしているからわからない。

 冴木君は窓のほうにやってきた。一瞬、存在がバレたのかと思ったけれど、そうじゃなかった。冴木君は校庭を眺めていた。それから、口笛を吹いた。すると、何か人ならぬ者の足音がじゅだっ、じゅだっとグランドを駆ける音が響いた。それからひときわ大きな音がだがんっと教室中に轟いた。

 そこには犬がいた。犬は片目を失っていたが、その代わりのようにして前足が三本あった。つまり、合計五本の足でその犬は立っていた。五本足だということ以外は、ふつうの柴犬と言ってよかった。冴木君は鞄の中からミートソースのチューブを取り出すと、それを死体の横顔に振りかけた。五本足の柴犬は、大喜びで死体の顔面を食べた。

 また廊下で足音がした。現れたのは私の好きな三鷹君だった。三鷹君は「やあ冴木、相変わらず朝が早いね」と爽やかに笑いかけた。それから死体と五本足の柴犬にほぼ同時に気づいて顔をしかめた。冴木君が言った。

「今朝来たら、市田が死んでた」
「市田が……?」
「あの猫に食べられたみたいだ」
 ちょっと待ってよ冴木君、と私は思った。あなたは死体の顔を見ていたでしょうに。死体をみて、あれが私でないことをはっきりと悟ってから犬を招き入れたじゃないの。しかも、何よ、「猫」って。動転しているの? ちゃんと見なさい。あれは間違いなく犬でしょう。それにポイントは犬か猫かじゃなくて、それが五本足だということじゃないの?

「市田よ、安らかに眠れ。ミャーコ、そのへんでおやめ」
 そのドライな三鷹君の態度に私は内心で傷ついたけれど、五本足の犬が食べるのをやめたのにはもっと驚いた。しかも〈ミャーコ〉はへっへっへ、とまるで薄汚い人間みたいな笑い方をしたのでゾッともした。

「三鷹、偉くなったなぁ。俺が一体、何度おまえの窮地を救ってやったと思ってるんだ? 死体の顔の一つや二つ、ゆっくり食わせてくれてもいいだろ」
「ああ……すまない、ミャーコ。だが時と場所を選ばないと」
「大人ぶるな。おまえはそこの冴木君のモノでもしゃぶってろよ」
 その言葉で三鷹君は顔を真っ赤にした。三鷹君が誰を好きなのかは、今のミャーコの言葉ではっきりとわかった。三鷹君が羞恥心に震えながら冴木君を見ると、冴木君は「わるいが、ほかを当たってくれ」と告げた。

 三鷹君は明らかに落胆した顔になりながらも、コクリと頷いた。
「そうだ、知ってたか? 市田は生前、三鷹を好きだったんだよ。三鷹のあれをしゃぶってやれよ。冥途の土産になる」
「そいつはいい考えだな、へっへっへっへ」とミャーコがけしかけた。
 やめて、三鷹君、その死体は私じゃないの。もっと言えば男性の死体なの。いや、それはあなたにとっては好都合なのかしら? 冴木君が好きなわけだし。でもそうとは限らないわよね。そもそも男だからとか女だからとか、そんな基準じゃなくてたまたま冴木君を好きなのかもしれないし、だったら私の死体が男のそれでも全然かまわないことになるのかしら。

 でもやめて。お願い。だからと言ってそんな三鷹君の姿はいくら何でも見たくない。たとえたった今、自分が片想いをしていたと気づかされたとしても、いくら何でもそれだけは……。だけど、三鷹君はそんな私の思惑と裏腹に意を決した顔つきになって、死体の前にしゃがみこんだ。

 と、そこでまた足音がした。現れたのは、クラスのマドンナ、飛内さんだった。飛内さんは責めるような視線を三鷹君に向けた。けれど、そんなことはどうでもよかった。彼女は左腕を失っており、包帯がまかれていた。
「聞いてよ、みんな、最悪な気分なの」
 飛内さんは何事もなかったかのように教室に入ってくると、五本足のミャーコを撫でて膝にのせた。ミャーコはまるで猫みたいに丸くなって、飛内さんの膝の上で眠りはじめた。

「昨夜、市田に振られたわ。あいつ、私に1ミリも興味がないんですって」
「市田ならここにいるよ、死体だけど」と三鷹君が言った。
 でも飛内さんはまるで聞いていないみたい。
「今日、そのことを証明してやるって言うの。だからこうして朝早く来たのに、市田ったらどこにもいないみたいね」
「市田ならここにいるってば、死体だけど」と今度は冴木君が言った。
 でもやっぱり聞いていないみたいに飛内さんは頭を抱えた。
「ねえ、市田が来たらなんて言えばいいと思う? 私、市田を追い詰めてしまったんだわきっと。市田に謝らなくちゃ。好きだからって我欲を押し通していいわけじゃないのに。私ったら何だか脳みそが恋愛至上主義になってしまっていたのよ」
「仕方がないさ、誰にでもあることだよ。僕にだってね」
 三鷹君はそう言って意味深な目を冴木君に向ける。もう耐えられない。何なの、この展開は。私はいつ出ていけばいいの? 
「いい人ぶらないでよ、三鷹。知ってるのよ、市田はあなたのことが好きだった」
「いい迷惑だよ」
「ふん、そんな戯言を信じると思うの?」
 私だって信じたくない。でもそれが真実なのを知ってしまっている。
「ミャーコ、三鷹を殺して」
「よせ、飛内。そんなことをして何になるんだ?」
「私が市田に好かれるようになる」
「ならないよ。目を覚ませ。市田は死んだんだ」
「ええ知ってるわよ、私が殺したんだもの。朝一で登校したら、市田は私に気がないことを示すためにわざわざ女装していた。こんな侮辱ってある? だから後頭部をガツン、とね。でも市田は戻ってくる。私があなたをこの世から抹殺してしまえば、きっと」
 三鷹君は恐れをなして逃げ惑った。
「もう逃げられんぜ、三鷹。へっへっへっへ。おまえとは長らくいいコンビを組ませてもらったが、それも今日までだ。何しろ、ご主人さまの命令が出ちまった」
 ミャーコの飼い主は飛内さんだったのか。ミャーコは逃げ惑う三鷹君に背後から襲いかかり、その首筋にかじりついた。あっという間に三鷹君は動かぬ民となった。ところが、その後で冴木君が口笛を吹くと、ミャーコの様子がおかしくなった。ミャーコは踵を返して今度は飛内さんに飛びかかった。飛内さんは意表をつかれて固まっていた。ミャーコは高くジャンプしたかと思うと、飛内さんの首筋にやはり噛みついた。ミャーコは飛内さんが激しく暴れながら、ついには痙攣し、完全に動きが止まるまでじっと同じ体勢をとり続けた。

「冴木、俺は……俺は……なんてことを……」
 ミャーコは自分のしでかした事態の大きさに恐れおののいていた。
「大丈夫、君には何の責任もない。もときた窓から、外に出るがいい。あとのことは俺に任せて」
 ミャーコはすまなそうな顔で一度冴木君にすり寄って甘えると、窓の外から飛び降りた。下のほうでぐちゃッと音がした。私は窓の外をみて驚いた。さっきまでこの教室は一階にあったのに、いつの間にか五階に移動していたのだ。つぶれたミャーコに、化学教師の井口先生が如雨露で水をやっている。「花咲け、花咲け」
 するとどうだろう。途端に校庭は桜で満開となった。その桜は激しい荒波のような勢いで校舎の内部にまで侵入してきた。そして気が付いたときには教室の床自体が桜の木で生成されていた。桜の木は三鷹君と飛内さんの死体を養分として吸い取ってさらに成長して美しく咲き乱れた。
「そこにいるんだろ、市田」
 私はをおおお、と答えた。さよなら、三鷹君。さよなら、飛内さん。みんなみんな素敵なクラスメイトだった。
「いいんだ、おまえは悪くないよ。俺と一緒にべつの教室へ行こう」
 をおおおお、と私はまた答えた。次のクラスがここと同じように私を受け入れてくれる保証なんてどこにもないのに。
「大丈夫、おまえには俺がついてる。大好きだよ、市田」
 をおおおお……。本当に素敵なクラスだった。こんなにも多くの人が、人でない私を受け入れてくれていた。私はその事実に歓喜しながら、窓から飛び降りた。最後に世界を愛せたことに感謝しながら。
 けれど、大地に衝突する直前、マウスのカーソルみたいなものが私を丸で囲み、トリミングされてしまった。しかも運わるく、そこで再起動がかかったみたいだった。再起動されたとき、トリミングされた私というデータは、果たして記憶されているだろうか? この、人ではない私は────。

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