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絶望日記 3


40代は「こころのこと」について、時間とお金を費やした。
「こころのこと」それは自分の現実を変えること。

私は、とにかく「普通の幸せ」が欲しかったんだ。

子どものころから、自分の家は「他の家庭」とはどこか違うと感じていた。例えばそれは、親が年老いていることだったり、家が水商売だったり、姉と13も年が離れていて「姉妹の仲の良さが分からない」ことだったり、両親が不仲でいつ何時危険が迫る(親の喧嘩)か分からない状況と隣合わせにいることだったり・・・etc。

友達に相談しても「?」という顔をされた。

その表情を見ると「あ、こんな話しって、たとえ仲の良い友達であってもするべきではないんだ」と思わざるを得ず、グッと内側に言いたいことを収めた。

今思うと、もっと心を開くことが出来たら、気持ちを伝えることが出来たのかもしれない。

「壁」を先に作ってきたのは私だったのだと思う。


人との距離感が上手に取れないくせに「みんなと同じ」でありたいと願う。
「同じ」であることが「生きやすさ」なのだと思い込んでいた。

だから、ひたすら望み続けた。
「分かりやすい幸せ」を。


それを手にいれたいなら「私」が変わる必要があった。
「私」を癒さなければいけないと思っていた。
すべて「私」に否があり、責任がある。

私が変わることが出来るのなら、多少お金がかかっても構わない。
ありとあらゆるセラピー、カウンセリング、ヒーリング、コーチングを受けまくった。宗教まがいのグループに入ったこともある。
遠い国に行き、軟禁状態で働き、精神を病みそうになったことも。

ただ、必死だった。


必死に取り組んだ効果はあった。
子どもの頃から繰り返してきた自傷行為を止めることが出来たし、躁鬱っぽい感情の浮き沈みも穏やかになった。

が、しかし。
目の前の現実は変わらず。
それどころか、少しずつ苦しさを感じ始めるようになった。

そして、世界に緊急事態が起きた。
2020年が始まろうとしていた。







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