わが身世にふるながめせしまに
ああ、なんで学生の頃、これをちゃんと覚えておかなかったんだろう・・。と後悔しているもの。(のうちのひとつ)
それが「百人一首」なりけり。
あなたは百人一首を全て覚えていますか?
だいたい覚えてる?
半分?
少し?
全然・・?
私は、少し・・。
なぞりがき百人一首。
調べてみるといくつもの出版社から出ていた。
私が購入したのは、ユーキャンから出ていたもの。
大人になったら、誰もが大人の字を書けるようになるんだと思っていた子ども時代。
大人になった今、大人たちの字を見ていても「あ、あの時は幻想を見ていたんだな」と思う。
字は上達させようと思わない限り上達しないんだよ、子どもたちよ!
百人一首に私の興味のスポットライトが当たったのは、大河ドラマの影響。
それと、過去にやり残したことで「どうしてもやっておきたいこと」を考えた時に「百人一首に親しむ」というのが浮かんだ。
学生時代、現代文(私のころは現国と言ってた・現代国語)は好きだったけど、古典は嫌いだった。だから、百人一首にも興味がなかった。
冬休みが明けて、すぐに「百人一首テスト」があったのだけど、そんな私の点数はおそらく一桁・・だったはず。テストの前日に覚えたのだから仕方がない。
それからというもの、百人一首=ダメな自分が脳裏によぎり、ずっとずっとこれまで百人一首を封印してきた。
のだが・・。
やはり、日本語の表現って美しいなとしみじみ感じる。
例えば、遣唐使として異国にいた阿倍仲麿が、月を見て「この月はあの月と同じなのだなあ」と故郷を思い詠んだ、
天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも
という歌なんて、こんなに美しく表現できてしまうのかと、今更ながら感嘆してしまった。
今日の月の形はどうだろう?なんて気にしながら、夜空を見上げる人なんて今の世の中どれくらいいるんだろう。
少なくとも私の場合は「あ、昨日満月だったのか」なんて、後になって気が付く感じ。しかも、ネットで気づく・・という。
昔のひとたちは、歌を詠もうと思い空を見上げたり、言葉を選んだりしていたわけではなく、もっと「目に映るもの」を大切にしていたんじゃないかと思う。
いたるところに、心を配り、慈しみながら。
なんて、百人一首をなぞって書きながら、いろいろなことに気づかされることが多い。
さて、私が高校生のころからずっと忘れずにいた歌がある。
それは、小野小町が詠んだこちら
花の色は 移りにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
ハイティーンのころ、この歌の意味を知っても「ふーん」という感じだったけど、今はぐさっと胸を刺す。
その意味とは
恋に悩むうちに私の容色もすっかり衰えてしまいました
昔も今も、思い悩むはみなおなじかな。
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