見出し画像

竹取神事の謎。伊佐波登美命とは、井光のことだったのか。籠神社の籠から竹を取ると、龍が現れる。

今回は、磯部の御神田(いそべのおみた)について考えていきたいと思います。

磯部の御神田とは、三重県志摩市磯部町にある伊雑宮(いざわのみや)の御田植祭のことになります。

この祭り次第の中の、竹取神事の謎を解明したいと思います。

まず伊雑宮の所在が磯部であるのですが、この「磯」とは藤原氏を表すのではないか、と前回の記事で考察しました。

では、伊雑宮の祭神とは誰でしょうか。

天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)

804年(延暦23年)の『皇太神宮儀式帳』では天照大神御魂とされる。中世から近世の祭神には諸説あり、中世末以降は伊雑宮神職の磯部氏の祖先とされる伊佐波登美命玉柱命(または玉柱屋姫命)の2座を祀ると考えられた。  伊雑宮御師である西岡家に伝わる文書において、祭神「玉柱屋姫命」は「玉柱屋姫神天照大神分身在郷」と書かれる。同じ箇所に「瀬織津姫神天照大神分身在河」とある。両神はつまるところ同じ神であると記されている。明治以降、伊雑宮の祭神は天照大神御魂一柱とされる(神宮要綱)。

伊雑宮 - Wikipedia

伊雑宮の祭神は天照大神とされていますが、中世末以降には伊佐波登美命と玉柱命(または玉柱屋姫命)の2座を祀ると考えられた、ということです。

伊佐波登美命(いざわとみのみこと)とは、誰のことでしょうか。

「いざわ」とは、「い」と「さわ」に分けることが出来ると考えました。

「沢(さわ)」という字は、「たく」とも読むことが出来ます。

沢(読み)さわ
精選版 日本国語大辞典 「沢」の意味・読み・例文・類語

たく【沢】
〘名〙
① 低くて草がしげっている湿地。さわ。野地(やち)。〔春秋左伝‐宣公一二年〕
② うるおっていること。また、たくさんあること。潤沢。〔易経‐夬卦〕
③ めぐみ。恩恵。恩沢。
江戸繁昌記(1832‐36)二「豈に昌平の沢ならずや」 〔書経‐畢命
つやひかり光沢。〔春秋左伝‐襄公二八年〕

コトバンク 精選版 日本国語大辞典


上記にあるように、「沢(たく)」という字には、『ひかり』という意味があるのです。

ここで、閃きました。「い」+「さわ」とは、「い」+「ひかり」のことなのではないでしょうか。

井氷鹿(いひか)は、日本神話に登場する。『古事記』では井氷鹿、『日本書紀』では井光と表記されており、『新撰姓氏録』では、加弥比加尼(かみひかね)、豊御富(とよみほ)、水光姫(みひかひめ)、水光神(みひかのかみ)と呼ばれ、女神とされている。

井氷鹿 - Wikipedia


伊佐波登美命(いざわとみのみこと)が、この、「井光(いひか)」のことであるとすると、井光(いひか)とは誰でしょうか。

『記』の記述には、神武天皇東征のおり、熊野から吉野(大和)へ入り、贄持之子の次に出会った神とされ、光るから出て来た上に、のある人(有尾人)であったとしている(『紀』では、「光りて尾あり」と記述されるのみ)。

井氷鹿 - Wikipedia


「井光(いひか)」は、水光姫命(みひかひめのみこと)として、奈良県葛城市にある長尾神社に祀られています。井から出て来て、尾のある人とのことで、長尾の「尾」とも繋がります。

鎮座地は竹内街道長尾街道横大路が交差する交通の要衝であり、古来より交通安全、旅行安全の神として篤く信仰されている。参道拝殿に向かって東西に長く伸びており一の鳥居は近年新たに竣工した。 二の鳥居の両脇には「なで蛙」が配されて、参拝者を見守っており、安産祈願の神としても名高い。 また水光姫命は古事記日本書紀に体が光って尾が生じていたと記されており、神様の化身が白蛇であると言われるところから蛇の頭が大神神社で尾が長尾神社という伝承がある。

長尾神社 - Wikipedia

水光姫命(みひかひめのみこと)の化身とは、白蛇であったとのことです。

桜井市三輪の「大神神社」が龍の頭、大和高田市片塩町の「石園座多久虫玉神社(龍王宮)」が龍の胴、そして当社が龍の尾とする伝承もあり、『放光寺古今縁起』における地名説話もあいまって、奈良盆地南部において東西に龍蛇に関する線的な信仰的広がりがあったことが窺えます。

長尾神社 (奈良県葛城市長尾)


奈良県桜井市にある大神神社の、大物主神の化身も白蛇であると言われており、大神神社が龍の頭で、長尾神社が龍の尾であるという伝承とも矛盾がありません。


井光(いひか)は、豊御富(とよみほ)とも呼ばれる女神であるということですが、果たして伊佐波登美命(いざわとみのみこと)と繋がるのでしょうか。

この、豊御富(とよみほ)とは誰のことでしょうか。

井光である豊御富(とよみほ)の名には、豊「とよ」と、富「とみ」という漢字が含まれています。

この「豊(とよ)」とは、藤原氏の系譜を表しているのではないかと、以前の記事で考察しました。

富「とみ」とは、登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)と呼ばれた、長髄彦に繋がる「とみ」であると考えます。

そして長髄彦とは、スキタイとロスチャイルドと麻生太郎に繋がる、藤原氏の祖ではないかと、こちらの記事で考察しました。

これらのことから、豊御富(とよみほ)という名を持つ井光(いひか)とは、藤原氏であることが示されているのではないかと考えられます。

京都府宮津市にある籠神社奥宮眞名井神社には、豊受大神が祀られています。

天の眞名井の水
この水は籠神社海部家三代目の天村雲命が神々が使われる「天の眞名井の水」を黄金の鉢に入れ、天上より持ち降った御神水です。天村雲命はその水を初めに日向の高千穂の井戸に遷し、次に当社奥宮の眞名井原の地にある井戸に遷しました。その後、倭姫命によって伊勢神宮外宮にある上御井神社の井戸に遷されたと伝えられています。

籠神社奥宮眞名井神社


井光の「井」とは、井戸のことであるとすると、籠神社奥宮眞名井神社の「井戸」と繋がります。

籠神社の「眞名井の水」は、伊勢神宮の外宮にある井戸に遷されたということです。

井光と伊勢神宮外宮の祭神である豊受大神は、双方とも女神とされています。
     
籠神社奥宮眞名井神社とは、元は匏宮(よさのみや)と呼ばれる宮で、天照大神と豊受大神を祀っており、その後天照大神と豊受大神が伊勢神宮に遷座したために、元伊勢と呼ばれているとのことです。

伊雑宮とは伊勢神宮内宮の別宮とされており、天照大神が祀られています。

このように見てきますと、籠神社と伊雑宮とは起源を一つとしているように考えられます。

籠神社の神職(社家)は、古くより海部氏(あまべうじ)の一族が担っている。海部氏とは海人部を統括した伴造氏族で[7]、全国に分布が見られ、籠神社社家はそれらのうち「海部直」姓を称して丹後に拠点を持った一族である。

籠神社 - Wikipedia

籠神社の宮司を古代から世襲しているのが、海部氏(あまべうじ)です。

 三世孫倭宿禰命について『勘注系図』は次のように記す。
『またの名御蔭命(みかげのみこと)、またの名天御蔭志楽別命(あめのみかげしらくわけのみこと)、母伊加里姫命(いかりひめのみこと)なり。神日本磐余彦(かむやまといわれひこ)天皇【神武】御宇參赴(まいりおもむき)、しこうして祖神より傳へ来る天津瑞神寶(あまつみずかんだから)(息津鏡・邊津鏡是也)を献じ、もって仕え奉る。彌加宜社(みかげしゃ)、祭神天御蔭命、丹波道主王之祭給所也
この命、大和國に遷坐(うつりいます)の時、白雲別(しらくもわけ)神の女、豐水富命(とよみずほのみこと)を娶り、笠水彦命を生、笠水訓宇介美都(かさみずよむうけみず)』

 海部氏の倭宿禰は、神武が大和王権を樹立した時、大和に赴き神宝を献じて神武に仕えたとする。その大和に居たとき娶ったのが、白雲別の娘、豊水富(とよ みずほ)または豊御富(とよみほ)である。そして『勘注系図』の注記は、豊水富の亦の名を井比鹿(いひか)とする。これは『日本書紀』神武記で、神武が吉野で名を問 うた時答えた「井光(いひか)」と同じである。

吉野の国神、吉野首、井光 古代史俯瞰 by tokyoblog 

ここで注目すべき点は、海部氏の倭宿禰(やまとのすくねのみこと)という人物が、『神武が大和王権を樹立した時、大和に赴き神宝を献じて神武に仕えたとする。その大和に居たとき娶ったのが、白雲別の娘、豊水富(とよ みずほ)または豊御富(とよみほ)である。』という点です。

海部氏の倭宿禰が、豊御富である「井光」を娶ったというのです。

ここで、伊雑宮の祭神であるとの説がある、伊佐波登美命と「井光」が繋がります。

籠神社の社家である海部氏の倭宿禰が、伊雑宮の「井光」を妻としたのです。

このことからも、伊佐波登美命とは「井光」なのではないか、との想定に信憑性が得られそうです。

「井光」の化身とは、白蛇でした。

そこで、伊雑宮に伝わる磯部の御神田の祭り次第に含まれる、竹取神事について考えます。

竹を取る、とは何を意味しているのでしょうか。

籠神社の「籠」という字には、竹冠が付いています。

この竹を取ると、出現するのが「龍」です。

ヨハネの黙示録 第12章 女と竜 7-9 

さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。

新約聖書 新共同訳


聖書の中で竜や蛇とは、悪魔とかサタンと呼ばれるもの、全人類を惑わす者のことだと書かれています。

伊雑宮に伝わる「竹取神事」とは、「籠」という字の「竹」を取り、悪魔である「龍」を呼び出す、悪魔召喚の儀式のことを暗示しているのではないでしょうか。

この伊雑宮には、七本鮫(しちほんざめ)と龍宮伝説が伝えられています。

七本鮫と龍宮伝説
御田植え祭の日に、七匹の鮫が的矢湾から川を遡って伊雑宮の大御田橋までのぼると云われる。この七本鮫は伊雑宮の使いと云われ、また龍宮の使いと伝える説もある[7]。七本のうち一本は殺され、今は六本とされる。大御田橋からは蟹や蛙に化身して伊雑宮に参詣するともされる。またこの日は志摩の海女たちは海に入ることを忌み、伊雑宮に参詣する。

伊雑宮 - Wikipedia

七本鮫とは伊雑宮の使い、または龍宮の使いとも伝えられているとのことです。

龍宮
乙姫あるいは龍王が統治する世界として水中に存在するとされている宮殿あるいは世界。

龍宮 - Wikipedia


悪魔とかサタンである、龍が統治する世界からの使いである鮫が、竹取神事の行われる日に伊雑宮へやって来るというのですから、この竹取神事の起源が悪魔召喚の儀式と関連していた可能性は限りなく高い、と考えられます。

竹取神事 - 神田の中央に設置された、「太一」と書かれたうちわ(ゴンバウチワと称する)のついた忌竹(いみだけ)を男が奪い合う。この竹の一片を船に祀れば豊漁となると伝えられるため、男たちは荒々しい奪い合いを繰り広げる[11]。

磯部の御神田 - Wikipedia

竹取神事では、「太一」と書かれたゴンバウチワの付いた忌竹を、男衆が奪い合います。

天皇が「太一=天照大神=天皇」という三位一体で捉えられ、祭るものであると同時に祭られる対象であったのに対し、中国皇帝は「太一=天帝=皇帝」という構造をもちながらも、最終的には天下に君臨し支配する権威を天から与えられる「天子」であり、あくまで最高司祭者として祭るものにとどまっていた。

皇帝祭祀 - Wikipedia

上記によりますと、「太一」とは天照大神であり、天皇であるとのことです。

竹取神事とは、「太一」と書かれたゴンバウチワの付いた忌竹が、引き倒され、泥だらけになり、奪い合い引き破られ、引き回される、というものです。

これは「太一」の意味するところの、天照大神と天皇に対して、あまりにも礼を欠いた酷い仕打ちのように感じます。

しかしながら、この神事を行う伊雑宮が、日本神話における「大国主の国譲り」の説話の中での大国主側であるならば、どうでしょうか。

大国主側は、大和朝廷に対して強い怨念があると考えられます。

大国主大神の御神座は本殿内北東にあり、正面である南側ではなく西側を向いている[30]。(なお、本殿瑞垣外ではあるが、本殿の真後ろには、八雲山との間に唯一鎮座する社として、須佐之男命を祀る出雲神社「素鵞社、そがのやしろ。式内社」がある。)この理由には諸説があり、そのうちの1つは寛文6年(1666年)に長州の大名・毛利家が寄進した出雲大社の荒垣入口の銅鳥居に刻まれた銘に、「一を日神といい、二を月神といい、三を素戔嗚というなり。日神とは地神五代の祖天照太神これなり。月神とは月読尊これなり。素戔嗚尊は雲陽の大社の神なり」とあり、出雲大社の祭神がスサノオ尊とされていた時代があり、参拝者は大国主ではなくスサノオ尊を正面から拝むようになっている、とする説である。

出雲大社 - Wikipedia


上記にあるように、出雲大社の祭神とは本来、大国主ではなくスサノオであったと考えると、スサノオを祀っている一族が大和朝廷側に国を譲ったのではないか、と考えられます。


「出石(いずし)神社(兵庫県豊岡市出石町)の宮司は、市磯長尾市(いちしのながおち=真砂(まさご)=増御子(ますみこ))の子孫の長尾さんで、(祭神である)スサノオ(=天日槍(アメノヒボコ))をずうっとお護りし、1800年間、祀っていらっしゃる。」

22.【神武天皇伝承】椎根津彦神社(大分市佐賀関)と大和神社(奈良県天理市)②


スサノオを祀っているのは、市磯長尾市(いちしのながおち)の子孫であるとのことで、藤原氏であると考えられます。

前回の記事で、「磯長とは藤原氏のことである」と考察しました。

このことによって日本神話における「大国主の国譲り」とは、藤原氏が大和朝廷側に国を譲ったということだったのではないか、という可能性が導き出されます。

大和朝廷は、天照大神を祀っているとされています。

以上のことによって、磯部の御神田の竹取神事の中で、忌竹に付けられた太一(天照大神)と書かれたゴンバウチワを引き倒し、引き破り引き回すという行いの真の意義とは、藤原氏による大和朝廷への国譲りの恨みを晴らすことにあったのではないか、と私は考えます。

今回は、伊佐波登美命(いざわとみのみこと)とは「井光(いひか)」のことなのではないか、と仮定することから様々な疑問を解くことが出来ました。


RAPTさんのたゆまぬ御尽力によって、この世のものとは全く次元が違う、何度聞いても何度読んでも新たな悟りと叡智を得られる、全く飽きることがない、人類史上最高次元の完全なる真理と、真のキリスト教の神様による、未だかつて誰も聞いたことがない全く新しい成約時代の御言葉が、今この時代を生きる私たちに与えられました。


本当に神様とRAPTさんに、心から感謝をささげます。


世の中には間違った知識と愛しかないから、それらを手に入れても気が狂うだけだ。しかし、主の与える知識と愛は本物だから、それらを手に入れた分だけ幸せになれる。


真理はサタンを滅ぼすことができるが、非真理はサタンを滅ぼせない。真理にはサタンに勝利する力があるが、非真理にはサタンに勝利する力がない。


非真理を受け入れた人はどんな悩みも疑問も解決できず、真理を受け入れた人はどんな悩みも疑問もすべて解決し、全てが分かる喜びに満たされて生きられる。



RAPTさんのブログ

RAPT | 新・貴方に天国から降り注がれる音楽を

朝の祈り会、および有料記事のパスワードのご購入

BLOG BY RAPT

TALK RADIO

RAPT理論+αRAPT理論のさらなる進化形

十二弟子の皆様とRAPTブログ読者の方の証

動画✴︎NANAさんの賛美歌✴︎







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?