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天照大神が、フェニキアの紫から徐福とアスタルテに繋がる。

今回は、改めて日本の皇祖神とされている天照大神について考えていきたいと思います。

RAPT理論では、天照大神とはアシュタロト(アスタルト)であることが解明されています。


「天照大神」と「スサノオ」の正体。またはルシファーの正体。彼らこそが悪魔の三位一体です。


アスタルト(‘ṯtrt [‘aṯtart])は、地中海世界各地で広く崇められたセム系の豊穣多産の女神。崇拝地はビュブロス(Byblos、現在のレバノン)などが知られる。
メソポタミア神話イナンナイシュタルギリシア神話アプロディーテーなどと起源を同じくする女神と考えられ、また周辺地域のさまざまな女神と習合している。

アスタルト - Wikipedia

アスタルトは、ビュブロスで崇拝されていたとのことです。

ビュブロス(ビブロス)とは現在のレバノンの都市であり、フェニキア人の発祥の地であると言われています。

アスタルトとは、フェニキア人に崇拝されていた神であるのです。

ではフェニキア人とは、どんな人々でしょうか。

古代フェニキア人が特産品を作るのに使っていたある技術は、古代日本にも全く同じものが存在しました。古代フェニキア人は、地中海で採れる「アクキガイ」という貝の腺から採れた染料を使って紫色を出す染色法を用いていました。当時のローマ帝国の皇帝がこの染色法によるパープルの織物を好んだことから「帝王紫」とも呼ばれてきました。

この染め方は、日本最大規模の弥生時代の遺跡である吉野ヶ里遺跡(佐賀県神埼市吉野ヶ里町)にある弥生中期から後期の墓から出土した染色布がこの貝を使った染色法に従ったものだということが判明しています。
さらに、縄文時代にも同じ貝を使って紫色を出す染色法が行われていた痕跡があったことも報告されています。東京の大森貝塚を発見者として有名なエドワード・S・モースは、「チリメンボラ」という貝の貝殻の一部分が砕かれた状態で発見されたことと、チリメンボラが古代フェニキアで貝染に使用された「アクキガイ」の仲間であることに着目して、縄文時代の日本で貝紫染めがなされていた可能性があると指摘しました。
縄文時代に高度な染色技術を持っていた可能性があり、弥生時代には確実に貝染をしていた日本人。作家の有吉佐和子さんは、生前に古代の日本に一部のフェニキア人が渡来していたという説を発表されていました。

現在、沖縄の北谷(チャタン)で発見された古代海底遺跡から約2500年前に発見された石板にフェニキア文字(古代オリエントのシュメール人が発明した楔文字から派生したとと言われる)のような彫刻が見つかっています。ちなみに、与那国島沖の海底遺跡は10000年前に陸地で作られていたとされています。

しかし、古代フェニキア人が中東で活躍していたのは、約3500年前からであり、その前に興隆したシュメール文明でさえも、約6000年ほど前からです。そうなると、日本にあった古代文明の方が遥かに古い可能性も強いです。

縄文時代に、古代フェニキアと同じ染色技術「貝紫」が!


古代フェニキア人が「帝王紫」と呼ばれる「貝紫染め」の技術を持っていたこと、弥生時代の吉野ヶ里遺跡に加えて、縄文時代の日本にも「貝紫染め」の染色技術があった可能性が高いことが分かりました。この歴史の繋がりには驚きを感じます。


貝紫,染めた生地と対応する貝 
出典:染色における貝紫(かいむらさき)。貝紫の歴史と貝紫色を染める方法について


さらに驚くことは、貝紫染めに必要な染料が15グラムとすると、必要な貝の個数が1500〜15000個にもなるくらいに希少価値の高いもので、根気の必要な染色方法だということです。


貝紫染め

原料 アカニシ貝

アッキガイ科またはアクキガイ科の肉食性の巻貝が持つ鰓下腺(パープル腺)から得られる分泌液で、貝紫色の主成分はジブロモインジゴ。臭素を含み、強いにおいがします。その食性からか、アッキは悪鬼と書きます。獲物を襲うときに相手にプルプリンという毒物を打ち込み麻痺させますが、このプルプリンに貝紫の染料が含まれています。1匹の貝からとれる染料はごくわずかで、貝の大きさによりますが1グラムとるのに100〜1000個は必要です。染料にするときは布の重さの10分の1が必要なので、Tシャツの平均的な重さ1枚150グラムの布を染めるためには、15グラムの染料、貝の個数は1500〜15000個が必要になります。

世界で最も高貴な色「大和貝紫」


フェニキア人は、このように貴重で根気の必要な貝紫染めの染色方法を公開することなく、独占していたようです。

英語では王者の紫といわれるロイヤルパープルをさす。フェニキアティルスで多く生産されたことからティリアンパープル、「フェニキアの紫」ともよばれ、“born in the purple”(または “born to the purple”)という英語は「王家に生まれた」という意味を指す。

ティルスでは貝紫での染織を秘伝としたため、ローマ人たちはこの貝紫の製法を知らず何度も国産化を試みたが成功しなかった。

染料として貴重であったことも要因とされるが、当時、貝紫で染められた物には「力が宿る」と信じられており、多くの権力者たちが禁色として、一般の人間の使用を禁じた。

貝紫色 - Wikipedia


この希少性の高い貝紫の染色技術が、特定の一部の人々に独占されていたことを考えると、貝紫染めの伝播を見ればその技術を持っていた民族の移動がそのままの形で現れるのではないかと考えました。

現代日本では三重県志摩の海女さんが、魔除けのために貝紫染めでセーマンドーマンを描き、身に付けていたそうです。

セーマンドーマン
出典:貝紫染め ~帝王紫のこと

有名なのは志摩の海女による貝紫染め。彼女達は、潜水中の事故から身を守るおまじないとして陰陽師安倍晴明や蘆屋道満から授かったとされる“ゼーマン”や“ドーマン”というマークを、海岸の岩場でとれるイボニシという巻貝のパープル腺から染料をとってほっかむりに染め出していたそうです。今ではさすがに塗料などで描きますが、つい最近までは実際にイボニシを潰していたようで、現在も行事では貝紫染めで染めるということです。

貝紫染め ~帝王紫のこと


三重県の志摩と言えば伊勢志摩と呼ばれ、天照大神が祀られている伊勢神宮のある地域になります。


そしてメキシコのマヤ人の「ウィピル」という民族衣装にも、貝紫染めが使用されています。マヤ文明の始まりは、紀元前2000年頃です。

マヤ文明では、それぞれの色に意味があり、赤や緑などは特に重視される色である。伝統的には、赤はコチニールによって染色していた。ちなみに、織り上げた布を染色するのではなく、染色した糸を織り込んだり刺繍を施すことによって 配色を行っている。

オアハカ州海岸地方のミシュテカ族や漁業民のワベ族などの間では、白木綿にヒメサラレイシガイ貝紫で染めた紫の糸で刺繍を施したウィピルが着用されてきた。

ウィピル - Wikipedia


貝紫染めの伝播を時系列で考えると、縄文時代→マヤ文明→フェニキア人→弥生吉野ヶ里遺跡→現代のマヤ人・志摩の海女さんへと、一万年以上前から現代まで、貝紫染めが特定の民族の間で伝承されて来たことが分かります。

今回注目すべき点は、佐賀県にある弥生時代の吉野ヶ里遺跡から、「貝紫染め」の布が出土しているという点です。

徐福集団は、合計で5000人が渡来したことになり、日本に大きな影響を与えました。彼らは物部(モノノベ)氏と呼ばれるようになりました。吉野ヶ里を拠点として、強力な勢力を形成していきました。吉野ヶ里遺跡は、徐福の拠点です。

日本と世界7(徐福渡来)

吉野ヶ里遺跡は、徐福の拠点だったということです。

貝紫染めは「王者の紫」と呼ばれ、希少価値が高く染色方法が秘められていたため、特定の一族のみが保有していた染色技術でした。

さらにフェニキアの「キ」が、和歌山県である紀州の「キ」であるという説があるようです。

作家の有吉佐和子(1931年-1984年)はフェニキア人の日本渡来説を主張している。紀伊の語源は紀州と伊勢の組み合わせという説があるが、有吉は紀伊の「キ」は古代フェニキアの「キ」で、フェニキア人は船ではるばる日本までやってきたと云う。

 有吉の父は長州人で、母は紀州人。母の旧姓は木本で、和歌山市の庄屋の長女であった。和歌山市西庄の木本八幡宮の山本宮司家とは縁続きで、古代の紀氏とつながっていた。木本というのは木の根本で、紀州こそ日本人のルーツであると有吉は云った。

日本人とフェニキア人


そして和歌山県の新宮市には、徐福の墓とされている所があります。

徐福公園(じょふくこうえん)は、和歌山県新宮市新宮7178番地にある、徐福を記念する公園である。

元来この地には徐福の物とするがあったが、1994年平成6年)の8月にそれを中心として今ではこの公園の目印ともなっている中国風の楼門を設置するなど、大々的に整備が行われ現在のような公園となった。

徐福公園 - Wikipedia

フェニキアの「キ」とされる紀州和歌山県が、徐福とゆかりの深い地であることが分かります。

さらに、フェニキア人による植民都市があった地中海のキティラ島では、貝紫染めに使用される巻貝が産出され、アスタルテー信仰と関連するアプロディーテーの神殿があるというのです。

キティラ島

アルカイック期のはじめ、キュテーラ島(キティラ島)にはフェニキア人たちが植民都市を築いた。貝紫色の染料を生み出す巻貝は、この島で産出する。紀元前4世紀の軍人・著述家クセノポンは『ギリシア史(ヘレニカ)』の中でキティラ島にあったフェニキアの港(おそらく、島の東側にあるアヴレモナス湾)について言及している。

アヴレモナス湾のほとりのスカンデアからは、アルカイック期にさかのぼるギリシャの都市の遺跡が発掘されている。そのアクロポリスは現在パリカストロ(「古い砦」を意味する Palaeocastron が語源)と呼ばれ、フェニキアのアスタルテーの信仰と関連付けられるアプロディーテーの神殿がある。

キティラ島 - Wikipedia

これらのことから、徐福はフェニキア人と呼ばれた人々と繋がっている可能性が考えられます。

そのフェニキア人が崇拝していたのが、アスタルテ(アスタルト)である天照大神だということになります。

フェニキアにおけるアスタルテ

フェニキアにおいては世界の真の統治者であり、古い世界を破壊しては新しい世界を創造する死と再生の女神だったとされる。また、インドカーリーとも同一視され、カーリーのような姿のアスタルテの刻像が見つかっている。

アスタルト - Wikipedia

そしてフェニキアにおいてアスタルテとは、世界の真の統治者である女神として崇拝されていたということです。

そのためフェニキア人と繋がっていると考えられる徐福は、天照大神であるアスタルテという女神を崇拝していた可能性が高い、と考えられるのです。


徐福とは、火明(ホアカリ)であり饒速日(ニギハヤヒ)であるとされています。

今度は、徐福は饒速日(ニギハヤヒ)と名乗りました。徐福=ホアカリ=ニギハヤヒです。徐福集団は、合計で5000人が渡来したことになり、日本に大きな影響を与えました。彼らは物部(モノノベ)氏と呼ばれるようになりました。

日本と世界7(徐福渡来)


彦火明命(ホアカリ)を主祭神として祀っているのが、京都府宮津市にある籠神社(このじんじゃ)です。

主祭神
彦火明命
(ひこほあかりのみこと)「天火明命」、「天照御魂神」、「天照国照彦火明命」、「饒速日命」ともいうとする。社家海部氏の祖神。

籠神社 - Wikipedia


籠神社とは元伊勢であり、主祭神は彦火明命(ホアカリ)で別名を天照国照彦火明命といい、籠神社奥宮の眞名井神社の祭神は、豊受大神です。


伊勢神宮の内宮の祭神は天照大神で、伊勢神宮の外宮の祭神は、豊受大神です。


ここで注目すべき点は、彦火明命の別名が天照国照彦火明命であるとのことで、天照大神とほぼ同じ神名であることです。


籠神社と伊勢神宮の祭神とは、互換性があるように見えます。


そうなると伊勢神宮に祀られている天照大神を、彦火明命である徐福と入れ替えることが可能です。


このように徐福と天照大神とを置き換えることができるのは、天照大神という神が、徐福と繋がるフェニキア人が崇拝するアスタルテ(アスタルト)に相当するからだと考えられるのです。


以上のことによって、日本という国の皇祖神とされている天照大神が、徐福という人物と互換性があるという可能性が導き出されました。


今や大バビロンである中国共産党が全世界を乗っ取ってしまったが、全ては主の御心通りだ。あとは中国共産党さえ滅ぼしてしまえば、全てのイルミナティが滅び去るからだ。


サタンは中国共産党を使って、この100年間、この世界を自分の支配下に置こうと計画してきたが、その計画が頓挫しそうになっているから、サタンの不安と恐怖はどれほどのものだろうか。


主は中国共産党に対して本格的な裁きを断行すると宣布された。だから、彼らが断罪され、滅び去るしるしが世界のあちこちで見られるだろう。


中国人が全世界を席巻している今、世の中から愛が消え去り、世の中は虚無と絶望に満たされた。しかし、神を愛する者は、その中でも神の愛を豊かに受け、常に喜びと希望に満たされて生きられる。


永遠に朽ち果てない神様の愛に心の拠り所を置きなさい。そうしてこそ、あなたの心も人生も安定し、幸福を実感して生きられる。


何をどう祈ればいいのか、具体的な方法をお教えします。自分の人生も世界の運命も変える鍵がここにあります。


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