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神戸と私〜そして音楽と食文化④〜

ある日突然に・・・

本当に私の人生が思いもよらず変わった中学3年生の夏休みの出来事。

なぜ私が音楽の道に進むことになったか?続きです。

兄のついでにピアノのレッスンだけは続けていた私。
しかし、ピアノの道に進むほどの腕前ではなく、音大に行けと言われていたのは兄の方。
レッスンに来てくださっていたピアノの先生にとって私は兄のおまけの子だったと思います。
しかしある日突然、私の方が音楽の道に進むこととなったのです。

それは母が書いた進路希望の一枚の紙が始まりです。

小学校から中学校に進む時、母はある女子中学校に行けないかと小学校の担任の先生に言いました。すると担任の先生は「ちーちゃんはお転婆だから女子校は向いてない」と言ったのです。(ハイ、私はいつも男の子と対等にやり合うようなお転婆娘でした。)
そしてそのまま地域の公立中学校へ。
しかし、母は諦めきれなかったのか、その進路希望の紙に公立と私立とを書く欄があり、もちろん公立も書いたのですが私立に音楽科のある女子校の名前を勝手に書いたのです。

すると当時の担任の先生が、その高校の音楽科の夏期講習があるので行きなさいと仰り、夏期講習を受けることに。
夏期講習の申し込み用紙に専攻を書く欄があり、ピアノしか習っていなかった私はもちろんピアノと書いて提出したのですが、ピアノの先生に相談したら「ちーちゃん、今のピアノでは無理だよ」と言われて、まあ当たり前か?と私自身も思いながら三日間の夏期講習の初日を迎えました。
音楽理論もソルフェージュも習っていなかった私は当日の音楽理論とソルフェージュのテストで打ちのめされ、元町からずっと坂道を登って通う学校に「誰がこんなとこ来るもんか!」と思いながら三日間の坂道を歩きながら思った事を覚えています。

それが3日目の最終日にあたっていた保護者と一緒に受ける実技相談。
自分の時間までにレッスン室で練習出来るのですが、周りからはすごく上手なピアノの音色が流れて来ます。当時、私が練習していたショパンのワルツが、隣のレッスン室から私の弾いていたテンポの10倍速ぐらいの速さで聴こえてきます。
「絶対、私無理やん」とそろそろ私の実技相談の時間とその部屋の前で待っていると、私の前の方の歌声が・・・
それを聴いて合唱部で歌ってきた私は「ひょっとして声楽なら?」と下手なピアノを弾くよりマシかな?と思ったのです。

そして母に当日演奏する曲目を届ける用紙に「声楽専攻希望と書き直して」と頼んだのです。
「えっ?声楽なんて習ってないのに何を言ってるの?何を歌うの?」と慌てる母。
そう、他の方は当然、声楽のレッスンを本格的のされていてイタリア歌曲などを原語で歌っておられ、私は何歌うのって?
それも、もう1分くらいで私の順番がというギリギリの時に!
いくら私を音楽の道に進めさせたいと思っている母でも大慌て!
そして私は・・・
ちょっとここからは長いので、また次回。


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