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嫉妬とは相反する感情が同時に存在するものだ。  


人間は自分の「行為」の判断を他人の評価の中に見出す。(これは一つの思想です。)

自分が相手に愛されているか? 憎まれているのか? の判断を相手の瞳や言動の中に見て取ろうとする。
この意味で、人間は他者に依ってある存在、他人と一緒の存在である。


「精神」とは何か? 自己意識である。

自己意識とは精神のようなものである。

自己をもう一つの「自己」が客観的に観察する意識である。

自分の中にもう一人の自分、自分を「他人として、自分ではない他人の目」で客観的にみなす事の出来る者が人間なのだ。

他人としての自分は何処から来たのか? 他者からだ。


自分の中に他者を見る。
他人の中に自分を見るという人間の特性は、他人との比較で自分を見ているということだ。他者を社会とも置き換えられる。

人間が他人とある限り、社会的存在である限り、「比較」から逃れることは出来ない。

自分が他人、社会一般と比較してある存在だからこそ、人間は他者より劣れば怨望、嫉妬し、他人より優れていれば高慢、軽蔑する。

そして、比較の対象が自分に近ければ近いほど、自分との関係が密であればあるほど、怨望、嫉妬、高慢、軽蔑の感情は強くなる。


人間の基本欲望は他人より優れたい、他人以上の者を望むのであり、他人に追いつこう、追い越そうという欲望がある。
それとは逆に、自分より優れた他人をうらやましく思い、他人を引きずり降ろそうとする欲望が生じる。これが嫉妬である。

精神も欲望も人間の持つ無限の能力である限り、嫉妬の深さ広さも、嫉妬の強さにも限度がない。こりゃ、困ったものだ。
人間が希望を到達せんとする思いは永遠である限り、その動力となる欲望も永遠にあり、嫉妬の存在無しには、到達への欲望はあり得ない。
二律背反である。

嫉妬の感情は、相反する感情や考え方を同時に心に抱いている、 相反する感情が同時に存在するものだ。アンビバレント(ambivalent) 

だからこそ、人間には自己コントロール能力も人間には与えられている。

鷲田小弥太 「嫉妬の人間学」より

アンビバレント

善と悪は紙一重? (笑)

ありゃりゃ¿ 困ったものですね。

自分が人間らしく生きないと、他人を人間らしく生かせない。

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