書く習慣1ヶ月チャレンジDAY8・最近怒ったこと

前の更新からずいぶん空いてしまい、もう今年も終わりですね……しかもまだDAY8を書いている次第ですが、「書くこと」のハードルを下げて考えることができたので、できない自分に深く落ち込むこともなくなりました。

毎日書くことは続けられていたので、記事にまとめるのが超ゆっくりなペースになってもいいや、好きで続けていることだから、と思えるようになったのは大きな成長。

以前は、「0か100か」みたいなタイプで、例えばやると決めたらきついストレッチにも立ち向かうのですが、1日でもすっぽかしてしまったら、「あぁ、もういいや」って思ってしまって一切やめてしまう人間だったのでした。
やるからには徹底的に完璧にやろうとするんですが、ちょっとでもそれが崩れると忽ちゼロになってしまうんです。
ハードルは下げていいから、細々とでもコツコツ続けるのがいちばんいいのに、それができない。だから、それを変えるきっかけになったこの本に出会えて本当によかった!

ストレッチも、「1つのポーズでもできればいいや」「最悪、1日2日空いても、また3日目やればいいや」と思えた結果、実際欠かさず毎日はできてないんですが、ストレッチをする習慣自体はもう何ヶ月も続いてます!

完璧にできなくても、習慣自体をやめないことが、私みたいな変なこだわりのある三日坊主には効くんだなぁと思えました。

前置きが長くなりましたが、今回のテーマ。
まさに、最近めちゃくちゃ怒ったことは、「自分の語彙力のなさ」です。

実は、これは今に始まったことではなく、小学生の頃からでした。

小学校って、よく「感想文」を書く機会を与えてきますよね。
平和学習の感想、講師の先生を迎えてのお話があったらその感想や先生へのお礼の手紙、修学旅行など行事ごとの後の感想など……

これが、私は本当に大っ嫌いでした。

自分でも最初はこの「嫌」の正体がわからなくて、考えたんです。
というのも、お話を聞いたり、色んな体験をしたりということ自体は本当に貴重な機会だと思っていたし、色んな感情をフル稼働させて聞いたり味わったりするタイプだったので。
学んだことを絶対に生かそうと思ったし、しかも文章を書くことや表現すること自体は大好きだったのです。

何でこんなに、好きなはずのことを「嫌だ」と思ってしまうんだろう。

そしたらその理由は、「自分の感じていることはこんな言葉でペラっと表せることではないのに、小学生の自分が表現できる言葉のレパートリーは少なく、限られていて、それがすごくモヤモヤする」というものでした。

「すごいと思います」「感動しました」「またお話を聞きたいと思いました」「涙が出ました」「絶対にそんなことが繰り返されてはいけないと思いました」


なんて、自分の生み出す言葉はこんなにしょうもないんだろう。

もう、文章を書くたびに落ち込みました。
常に心で「自分ギレ」していたし、同時に心で大泣きしていました。
作文も大嫌いだった。こんなにつまらない、すごく長い文章を書き続けなければならないなんて、最強の地獄レベルの自己嫌悪でした。


確かに色んな方向に自分の心は揺れ、数えきれないほどの色が染み出して、その話を聞いたり、その体験をしたことで、見たことがないくらいの色を見せているはずなのに、こんな薄っぺらい言葉でカテゴライズされてしまう。それが許せなくて、そんな自分も許せない。
今持っている語彙でなんとか表現するなら、当時の感情はこんな感じでした。

だからといってものすごく積極的に読書をして語彙力を増やそう!としたかというと、そうではなくて。

というのも、冒頭に書いたように、何かにのめり込んでしまうと100!!!!!!!モードになり、他がそっちのけになる私は、勉強がおろそかになるのを恐れて、それもしなかった(一度読み始めたら途中でやめたくなくなるので、授業が始まったのに気づかず読書し続けていて注意されて以来、自分から本を読むことをやめてしまいました。本当に極端……)

ようやく高校を卒業し、入試が絡む勉強から解放されて初めて、読書が趣味のひとつになりました。
相変わらず途中で読み終えるのが苦手で、読み始めたら最後まで読んでしまうタイプでしたが、もう受験勉強ではないので、多少寝不足で大学に行ってもいいやという(笑)

そのおかげで、ずいぶん飛躍的に語彙量が増えたと思います。小学生の頃よりは、ですね(笑)当然ですが(笑)

だから、少し、「あの頃は自分の言いたいことが表現できなくて、つらかったなぁ」ぐらいに思い始めていました。

でも、ある程度語彙の引き出しが増えてきたら、なんと、あの現象が再度襲ってきました。

素晴らしい文章に触れる。
そのたびに感銘を受け、作品が自分の内面に彩りを与えてくれると同時に、今度は自分の語彙の貧困さが明るみになるんです。

その後、あるきっかけで作詞作曲を始めることになったのですが、そうなるともうますます自分の語彙に落ち込む日々。

いい歌詞、いい映画、いいドラマ、いいマンガ、いいアニメ、いい小説。

世の中には溢れていますよね。

勉強も兼ねて多くのものを鑑賞し感動を味わうのですが、それと同時に心の底から虚しく、悔しくなる。

自分の中から、こんなにも素晴らしいものが出てくる気がしないのです。


打ちのめされて、でも、受信するだけの自分でいるのに耐えられない自分に気付いてからは、そんな自分も無視できない。
だからまた創作に向かう。
何も、満足するものが出てこない。
ようやく、すごい確率でまぁなんとかこれなら……というものが生み出せても、またそれがいつきてくれるかわからない。
あぁこんな表現だめだ、駄作。全消し。また駄作、全消し。


英語や韓国語など、海外の言語を学ぶ際には、「言語学習に終わりがない」ことはひしひしと実感するのですが、実は母国語でも同様なんですよね。

日常会話に支障がないだけで、「知っている、使いこなせている」と思い込んでいるだけ。

あぁ、こんなにも、自分は語彙力がなかった。
日本語を全く使いこなせない。
何も言いたいことが言えない。


正直、自分の言葉の無力さは日常的に痛感しているのですが、「最近怒ったこと」として今回改めて挙げたかったのは、最近公開されたある楽曲を聴いて、めちゃくちゃ大きな「自分ギレ」をしてしまったからです。

その楽曲というのが、これです。


この曲については、次のテーマ「最近泣いたこと」で詳しく書きたいと思っているので、今回は割愛しますね。

これ、アイドルデビューしたばかりの20代前半の子たちが作詞してるんですよね。

いや、もうほんとにすごい。
真ん中の子が私の推しなんですが、もうほんとにほんとにすごくてすごいんですよね。
すごいしか言えない。
この時点で既に語彙力のなさが露呈。


どうしてこんな作品がつくれるんだろう。
ひとまわりも長く生きている自分の言葉力の無力さ。
もちろん、音楽センスもなんだろうけど……

聴き終わって、まずは推しの尊さでただそこにある大宇宙をみつめるしかなかったんですが、次には自分のしょうもなさに打ちひしがれて架空のブラックホール見つめました。自分の歌詞ノート燃やしたい。消したい。ブラックホールに吸い込ませたい。
自分がつまらなすぎて永遠に怒ってました。


でも、後日メンバーのブログが更新されて、
なかなか作詞がうまくいかず、たくさんの専門家の方に意見をもらって、3人で悩みに悩んで書いた旨を語ってくれました。

そうなんだよなぁ。
するっとこんなに素晴らしいものができたわけではないんだ(もちろん、悩まずにするっと出たものが結果ヒットを生むこともあるけれど)。

きっと、(ただの名もない音楽やってるはしくれの私とCDデビューした彼らを並べちゃいけないかもしれないけど)私と同じように、自分の書いたものを、こうでもないああでもない、せっかく書いたけど全部消そう、またゼロからスタートだ、あぁ何も浮かばない、なんて自分てダメなんだろう、これじゃ伝わらない、これじゃありきたりだ……
そうやってぐるぐる、ぐるぐる何回もして、
こうしてリリースしてくれたんだろうなぁ。


きっと、「何かを創る」ということは、そういうものであって、常に「模索」。「自分の言葉」「自分の表現」に究極に満足するなんてことは、本当の意味では、無いのだろう。

それでも、ひとつの作品を送り出すときには、「これが今の自分にできる最大の努力」「これが今の自分の持てる全て」という自信だけは、持ちたいと思う。
まだ上があることなんて百も承知でも、「いい作品ができたと思います」って言いたい。

以前は、「自分が納得できるレベルになったら、ブログを始めよう」「自分の目標に達したら……」ばかり思っていましたが、そんな日は永遠に来ないとわかりました。常に発展途上であることは、避けられない。
こうしてこのブログを書いている今も自分の言葉の未熟さと表現力の稚拙さに打ちひしがれていますが、未熟者ながらも「発信していくこと」が、私にとっての自分の成長の場なのかなぁと思っています。


よし、今日も絶望しながら曲を書こう。

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