見出し画像

あした天気になあれ

 小学校1年生の息子も、一人で登下校することができるようになってきた。窓を開けて在宅勤務をしていると、帰宅1分前から拙い歌が聞こえてくる。一体どこから全力で歌いながら歩いているのか、若干不安ではあるがまあ楽しそうなのでいいことにしよう。

 ひらがなを読むのすらまだ危うい小学校1年生で、母親として自分の小学校時代と比較して、すごく心配になってしまうのだが、私は私で問題児だったことを思い出す。私の人生で覚えている限り初めての後悔は下校中の出来事なのだから。

 わたしは、同じクラスのユウキくんと一緒に下校していた。ユウキくんは幼稚園の頃から同じクラスの男の子である。この話とは関係ないが私の初恋の相手である。小学校から自宅までは歩道橋二つ、小学生の足では20分くらいで、後半の半分以上が直線だった。

 直線道路をひたすら南に向かって歩くのは、少々…飽きるものである。私たちはグリコ(じゃんけんをして勝った手の分だけ進むアレだ。グーはグリコで3歩、チョキはチョコレートで6歩、パーのパイナップルは6…6でチョキとパーが同じだけ進めることを今知った)やら、だるまさんがころんだやら、遊びながら帰っていた。大人目線で今思うと危険極まりない。

 30年前の北海道の話というと、大草原を駆けるユウキくんとわたし、のように思われるかもしれないが、実際は全然そんなことはなく、当時住んでいた場所は街の中、ドーナッツ化現象ど真ん中の街並みである。そして事件は起きた。

 この日私たちは、いつものように半分遊びながら下校していた。その日の遊びは「靴飛ばし」だった。靴を飛ばして、飛んだところまでケンケンで進む。ゴルフと同じく、家から遠い方からまた靴を飛ばす。そんなことを1丁、2丁と飛ばし進めていた。ちなみにわたしは運動神経皆無だったが、クラスで頭ひとつデカいくらいの高身長だったので、リーチ(脚もリーチというのだろうか)が長く、靴飛ばしは得意だった。小さな公園のイチョウの木に何度も靴を引っ掛けては、公園の隣に住むエリコちゃんのお宅から竹ぼうきを借りて靴を落としていたくらいだ。

 通学路には新しいローソンができていた。30年経っても同じ場所にあるので儲かっているのだと思う。真新しいローソンの看板に気を取られながら、私は靴を飛ばした。少し方向を誤ったけれど、その日一番の飛距離と高さを保った私の黒いエナメルの靴は、ローソンに止まっていたトラックの荷台の上に着地した。そして運悪くその瞬間信号が青になった。

 私の靴はトラックごと走り去ってしまった。

 呆然とする私たちだったが、その後のユウキくんのイケメンぶりも記載しておく。私をローソンの脇のブロック塀までエスコートしたあと、私の母を呼んできてくれたのである。ユウキくんの家は私の家から更に奥である。場所を伝えて、そのまま帰宅すれば良いのに、私の母と現場まで戻ってきてくれた。さすが私の初恋の人だ。私は母に連れられてケンケンで帰った。(母がブロック(塀)とトラックを聞き間違えたため、靴は高いところに引っかかったと勘違いし、園芸用の支柱を持ってきていた。私の替えの靴を持ってこようとは思わなかったらしい。)

 前日の夜の会話を思い出す。入学式に履いた黒いピカピカのエナメルの靴。元々持っていた18cmの赤い靴が入らなかったので、新たに入学式用に買ってもらった20cmのピカピカの靴。気がつけばこれもまた小さくなっていたので、妹へのお下がりにする前に、一度履きたいと駄々をこねて、体育の授業がないこの日に学校へ履いて行った靴。その大切なエナメルの靴を無くしてしまった。どうして学校へ履いて行ってしまったのだろうか、どうして靴飛ばしをして帰ったのか、とひとり反省をした。おそらくこれが人生初めての反省である。そして未だに入学式・七五三の季節になると店頭に陳列されたエナメル靴を見て胸が痛むのだった。


ーーー

 この件で一番の被害者は帰着後に荷台の上から女児の靴(片方)を見つけたトラックドライバーさんであることは追記しておく。ホラーでしかない。

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?