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図書館員、うなぎの夢を見る

 こんな夢を見た。

 仕事から帰るバスの中で、今は亡き母方の祖父母と一緒だった。それぞれが一人掛けの席にばらばらに座っていると、離れているにも関わらず祖父が大きな声で呼びかけてきた。

「どうしてうなぎ屋を継いでくれなかったんだ」

 乗り合わせた乗客がいっせいにこちらを見る。やはり離れた席にいた祖母が、こんなところでそんな話をしなくても良いじゃないかと祖父を諌めるが聞く耳を持たない。

 どうしてだ。
 どうしてなんだ。
 どうしてお前はうなぎ屋を、
 継いでくれなんだ。

 車内に気まずい空気が満ちてゆく。意固地になってしまった祖父を宥めつつ、本来降りるよりも3つ先の停留所で「降りますボタン」を押した。祖父母は母のいる実家を目指しているようだった。

 祖父の足取りは想像以上におぼつかないものだった。思わず手をとる。肉厚な手のひらの体温を確かに感じる。それでもバスの2段ばかりのタラップを降りるのに肩を貸さねばならないほど足取りは危なっかしい。
 レッドロブスター前の横断歩道を渡る。数メートル先を祖母が行き、孫に手をとって歩いてもらって嬉しかろうと笑う。

「なあ、どうしてうなぎ屋を継いでくれなんだ。オレは、うなぎ屋を継いで欲しかった、続けて欲しかったんだよ。本当に、継いで欲しかった」

 祖父が祈るように唱える。申し訳なく思う一方で、それは不可能だったじゃないかと苦笑しながらゆっくりと横断歩道を渡り切った。


 そして目が覚めて思った。

 じいちゃん、鰻屋じゃないじゃん。

 そう、祖父は不動産屋だった。隣県の地方都市の、小さな店舗にひとりで、時に祖母が手伝って商いをしていた。幼い頃の記憶にあるのは、任侠映画の悪役サイドが腰掛けていそうな黒皮のソファが向かい合わせになっていて、間に挟まれたテーブルに、これまたミステリーもので突発的な犯行の凶器に使われそうなでかいガラスの灰皿があった。見るからにごっつい金庫も鎮座していて、自分はこの中に何が入っているんだろうと思いながら祖父とパナップのブルーベリー味を食べていたものだ。祖父母はおろかうちの家系にうなぎ屋を営むヒトは居なかった。

ポンタ 鰻重食べたい

 祖父はうなぎよりも、なまずの話をよくしていた。

「今度なまずを食いにいこう。良い店があるんだ」

 末娘の夫であった父に、祖父はよくそう言っていた。幼かった自分はなまずを地震封じの絵か『あらいぐまラスカル』で主人公が釣りに出かける話でしか触れたことがなかったので楽しみにしていたのだけれど、ついぞその約束は果たされることのないまま祖父は病床について、それきりになってしまった。

 実際にうなぎをとってくれるのは祖母だった。お盆の墓参りをはじめ親族が集まる仏事があると近くの料亭からうな重を取り寄せてくれた。ある時など留守番をさせるわけにもいかず我が家から連れていった柴犬のリュウにまでうなぎをとろうとした。太っ腹にも程がある。

 うなぎ。

 あるいは、とドイツ語の辞書を手にとってみる。学生時代、なんとなしに選んだドイツ語だったが、独和辞典の一番最初に出てくる単語は……《Aal》そう、うなぎなのだ。ちなみに終わりは……今手元にある辞書だと《Zytologie》……細胞学だった。

ぽんた 独和辞典

 そうなると夢の中の祖父はどうしてドイツ語を勉強し続けなんだかと責めていたと言えなくもない……というのはこじつけだ。

 が、最近同僚からちょっと驚くニュースを聞かされた。
 大聖堂で知られるドイツの都市ケルンで、日本人司書の募集をしているのである。雇用期間は無期で、条件としてはドイツ語検定でいうところの準一級相当、かつ大学では図書館学を専攻していたことが望ましいとあるそうな……。

 就労ビザをとってケルンに移り住む……もしもきちんとドイツ語の鍛錬を絶やすことなく続けていたらそんな選択肢もあり得たのだろうか? ……いや、うちや同居人の両親はどうするのだ。ましてや歴史的流行り病の克服の気配のない御時世に、とも思うが、同居人が仕事先でインタビューしてきた御仁はかつて夫婦で、ちいかわの如く「なんとかなれーッ!」とヨーロッパに飛び出して現地に飛び込んでから何をしようか考えて、最終的にキッチンカーを営み暮らしていたという。祖父はドイツ語を継続していればそんなチャンスもあったと言いたくて夢枕に立ってのかもしれない……というのはかなりのこじつけ。

 うなぎ。

 司書らしく、うなぎで連想する本を取り上げてみるならば、いしいしんじの『ポーの話』になる。

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 主人公のポーの母である、スフスフと笑う、鳴く? うなぎ女たちが印象に残っている。無数の橋がかかる街の川辺の岸辺に太古から住んでいるらしいけれど、あれは何者だったのだろう。河童みたいなものなんだろうか、と考えるのも野暮な気がする。うなぎ女はうなぎ女でなんだとしておこうと思いつつも検索してみたら、何年か前にうなぎ系女子なるものの時代があったんだって。掴めたと思ってもぬるっと手から抜けていく掴みどころのない、いつだって追われる恋をしている女子なんだって……気を揉ませすぎて蒲焼きにされないと良いね。


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