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図書館員、怪傑ゾロリを尊敬した日のことを思い出す

 とある年の7月、世間では小中学校の夏休みが始まった日だった。当時古巣の図書館のアルバイトだった自分は、利用者が一気に増えるから児童図書の階につめてほしいと言われ、初日からカウンターで《宿題は先に終わらせる派》の子供たちと親御さん相手に自由研究や読書感想文の本探しに明け暮れていた。

 昼過ぎあたりだったか、ひどくむっつりしたお父さんと、線の細い大人しそうな男の子が入ってきた。2人はそのままカウンターまでやってくるとお父さんの方が、子供向けの樋口一葉だったか平塚らいてふだったかの伝記を出してくれと言った。
 検索をかけたがあいにく子供向けのものは当館にないので、予約で取り寄せますかと尋ねると、

「ないわけない! 探せ!」

 と来る。無い袖は触れないし、無い本も貸せない。他の館にしかないと説明すると忌々しそうに、なら伝記のコーナーはどこだ!と言う。ずいぶん横柄な口をきく人だなと思いつつ案内する間、男の子は木の枝に擬態する鳥のように身を細めてすくんでいた。お父さんは、来なさい、と男の子を書架を連れ回して本10冊、貸出上限までテーブルに積み上げて言った。

「7月中に全部読め」

 男の子は緊張した面持ちのままこっくり頷いて、はい、と言った。うん、でもなく、わかった、でもなく、はい、だった。ラインナップは当時でもいささか前々々時代の児童書と文学、偉人伝……いかにも教育・啓蒙って感じのチョイスだ。
 もちろん、前々々時代の古い本を読むことは全然無価値じゃない。図書館の利点は書店では流行りが過ぎて書店では並べて置けないような、出版の終わってしまった本を貸し出せるところにもある。
 しかし、男の子自身の選んだ本が1冊も入っていないのはどういうことなのか。図書カードはお父さんのではない、彼のものだ。そして読みたい本を読めるのは彼の権利だ。

 花村萬月の父親みたいな人だな、と思ったのをよく覚えている。氏も、父にいついつまでにこれを読んでおけと本を山積みにされ、逆らえばひっぱたかれるような教育を受けていたと語るのをどこかで読んだ。その後、氏が文筆で名を馳せたのだからその教育は無駄ではなかったのかもしれないけれど、そういうのは教育と呼べるのだろうか? かつてヒステリックな親から叩かれたり罵倒されたりしていた同級生たちの顔が何人か、脳裏をよぎった。

 嫌な夏休みバイトのスタートだなと思っていた翌々日、強制積ん読されていた男の子がいつの間にか一人でやってきていた。返却本を戻しに棚を回っていたところ、児童室の人気本コーナーの隙間にテトリスの長い棒のように隠れて『かいけつゾロリ』のシリーズを読んでいたのを見つけたのだ。

       (著・原ゆたか)

 目があった瞬間、彼は怯えた顔をした。もしかしたら覚えていたのかもしれない、父と伝記を探していたのがこの人だったと。お父さんに言われた本を読んでなくて良いのかと咎められるのでは、と……内心穏やかでなかったのだろうか。

 自分は、そんなところじゃなくてソファで読んだら、と、空いていた席を勧めた。冷房のきいた児童図書コーナーには7月の午前中の日差しが降り注ぎ、チョコレート色とウグイス色のキューブ状のソファをあたためていた。彼は『かいけつゾロリ』を手にしたまま、おずおずと腰を下ろした。
 そして読書に没頭していった。
 その様子はさながら『はてしない物語』を手にした主人公バスチアンだった。夢中になって読み進める。いや、読むというよりは目に焼き付けてスキャンしているかのようだった。自分の図書カードは上限までお父さんに積ん読されて貸出ができないのでこの時間で読んでいきたいのだろう。

 むさぼるような情熱的読書を目の当たりにした。

ゾロリってすごいな、と感心した。『カリオストロの城』じゃないけれど、男の子の心をすっかり虜にして盗み去ってしまっている。

 自分が初めて怪傑ゾロリを知った時は『ほうれんそうマン』のやられ役だった。

    (著・みづしま志穂/絵・原ゆたか)

 毎度多彩なメカと作戦を用意してくる、アンパンマンならバイキンマンの立ち位置だ。ほうれん草マンシリーズのラストで旅立っていったと思ったら、いつの間にかイシシとノシシという舎弟を引き連れて冒険をする主人公になっていた(調べてみたら『ほうれんそうマン』の最終巻と『怪傑ゾロリ』の1作目が共に1987年だからすぐに主役をはってたのだ)。今なお継続しているシリーズでアニメ化もしたし、当時の読者はすっかり大人、その子供たちに親子二代、ともすれば三代で楽しまれている。
 ダジャレとメタネタと無茶な作戦でドタバタ劇を繰り広げるゾロリシリーズは受験には役立たないかもしれない。けれどもお父さんに積ん読された男の子の貴重な読書時間のお相手に選ばれ、彼を虜にした怪傑ゾロリは間違いなくヒーローだ。

 その後、図書館員になってカウンターに座るようになると実に様々な親子関係を目にするようになった。教育熱心な親御さんも様々で、うまく子供の向上心と折り合って親子仲良くそれぞれの勉強をしている人もいれば、子牛の角を曲げて4回転半合掌捻りを決めて頸椎を損傷させようとしているとしか思えない人もいる。そんな勉強の合間の、あるいは勉強そっちのけにさせるわど子どもたちに慕われるヒーローや友だちを登場させるというのは児童書の大きな役割なのかもしれない。

 そして今日も子供たちにカウンターで訊かれる。

「ゾロリはどこ?」
「おしりたんていはありますか?」
「サバイバルシリーズが読みたい!」

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