出来ないこと

自分に出来ないことがあると
恥ずかしい、自噴が情けないと
感じてしまうことが良くあった。
それは、出来るようにならなければ
という観念が自分に追い打ちをかけて
いたから、終われていたからだと
気づいた。出来ないことは出来ないままで
居ても良いんだよ、と
過去の私に伝えたい。

出来ないことはあって良いよ

どうしても得意になれないことは
無理をして出来るようにならなくて良い。
出来ないことがあるのは恥ずかしいことでも
情けないことでもなくて、得意な人に
思いきって任せてみる、頼ってみると
上手くいく。
『知らない』事を知っているように
振る舞うことはしなくて良い。

素直に、『分からないから教えて』と
言えることの方が大切なこと。
出来ないです、と素直に認めて
正直に伝えていくこと。出来るふりなんて
しなくてよかったんだ、と感じている。

 

分からないといえる勇気

持てていたのかな。分からないなんて
恥ずかしいことだ、みっともないと
思い込んではいなかったかな。最初から
しっかり出来ることが正しいと思い込んで
居なかった?と思い返してみると
思い当たることがありすぎる……。

計算を速く出来るようになりなさい!
と 居残り勉強をしていていた記憶。
遅いことが悪い!と先生が思っていたのかは
別の話だけれど、私にとってはとても辛い
記憶の一部、計算が遅いあなたはダメな人!と
レッテルを張られたような気がするから。

苦手なことや得意じゃないことを
なぜ許してもらえないのか疑問だったな。
大人になって、今になって
出来ないことはあってもいいんだ、と
納得できるようになるまで、ずっと
心のどこかで引っ掛かってたっけ。

恥ずかしい、みっともない

なんて思わなくてもよかったのにね。
出来ないことを出来ない、と正直に
素直に話してくれる人のほうが
心を開いてくれているな、と感じるし
親近感も沸く。

私達には、出来ることと出来ないこと
両方あって良いんだよね、不得意なことを
強制してまで出来るようになんて
しなくても大丈夫、だった。
得意なことを伸ばすことが出来ると
能力は更に上がると感じている。

文章を書くのが得意なら
書くスキルを伸ばせばいいし
計算が得意なら 暗算を鍛えていけば良い。
自分の得意分野で思いきり
花を開かせたらもっと楽しめる。

 

そのためには、自分の不得意なことを
周りに知っておいてもらう必要がある。
素直に出来ない、と認められる?
恥ずかしい、とか、何て言われるかを
気にして、言えないままでいるの?
 

出来ないことはあった方がいいんだよ♪

           ※※※

何でも出来るようになりなさい。
不得意なことがあるのは恥ずかしいことです。
刷り込みでこう思い込んでいた頃は
本当に苦しかった。自分が出来ないことは
本当に恥ずかしいことだと思っていたから。

走るのが遅い
歩くのが遅い
計算が遅い
こんな自分は恥ずかしいのだ、と。
勝手に押し込めて、自分を貶めていたと
思っています。出来ないなんて!
恥ずかしい!私なんて!って。

ものすごいムチをふり下ろしてばかりで
できない自分を心で貶してばかりで。
でもあるとき、気づいてしまった。
痛め付けて悲しませているのも自分。
恥ずかしいと考えているのも
刷り込みをされて思い込まされた自分。
そう、全てが自分。だった。

恥ずかしいと思っていたのは
自分自身だった……

ということに。そしてできない自分を
演じていたのだ、と気づいてしまった。
仮面をつけさせて、できない自分を
笑い者にしていたのは自分だった。
こんなことをしていて、自分を好きに
自分自身を肯定できるはずかない。

私自身が自分を大嫌いにまで
押し込めてしまっているから

こんなことをして、自分が好きとは
お世辞にも言えないし、誰も私のことを
丁寧には扱ってくれないであろうことは
頭のどこかでは分かっていたのに
きっと、楽だから、の一点で
ずっと演じてきてしまったんだ。と。

もうそんな悲しいことをさせないと
決めよう、今、解き放とう。
できない自分だって『自分』。
認めて受け入れていこう、と決めてからは
自分の卑下や、ムチを打つのをやめることが
出来ている、悲しい自分いじめから
ようやく卒業できた、と思っています。

        

             ※※※

できないことを認められない背景には
恥ずかしい、きつく叱られた経験
現実を見せられ続けた、と色々あります。
だけど、出来ないことがあるのは
当たり前のこと。不得意があって良いのです。

自分にたいして正直に、素直に
不得意を、出来ない、を認められるように
自分を見守っていけるようになること。
それが、まずは第一歩。

 

出来ないって言って良いよ。