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夢を記録してみる

今朝は早朝から強い風が吹き荒れていて、何度かその音と揺れに起きたり寝たりしていた記憶があります。うっすらとした意識のなかで、これは朝起きたら窓が全部割れているかもしれない……と想像するくらいには強い風でした。


夢をよく見ます。今日のように、一晩じゅう音がしていた記憶がうっすらとあるような日は特に、睡眠の質が低いのか、よく夢を見ます。そして、よく覚えています。覚えていないけれど何か見たぞ、ということを覚えている時もたまにあります。

夢の話をするのが好きです。人の夢の話を聴くのも。人によっては、夢の話ほど無意味で退屈なものはない、という人もいるみたいなので、あまり誰彼かまわず話題にしないようにと勝手に心がけていますが、本当は、とても好きです。夢占いも好きです。夢を覚えていたら、起き抜けに速攻で検索します。

夢を部分的にでも覚えていた時、嬉しくなります。多分、「自分」である限りどう頑張っても見えない自分(ジョハリの窓でいう盲点・未知の窓)とか、人間では触れられないし説明できないような世界(非科学的で不思議な事柄)が、きっと存在するのだろうと実感できること。そして、そういう「自分」であり「人間」である限り、基本的には手が届かないような部分に触れられたのかもしれない、という感覚。特に何が得られるわけでもないのだけれど、そういう実感と感覚に、無性に嬉しくなるのだと思います。

あとは単純に、自分あるいは夢の話をしてくれた人がそういう夢を見たという事実から、あれこれ想像が膨らむのが楽しいです。

しかし大抵の夢の記憶は、どんなに強烈で本当に体験したかのように頭に焼き付いていたとしても、現実の忙しさの中で数時間後にはすっかり薄れ、見たという記憶ごと消えていきます。それでも何となく忘れたくなくて、ぼんやりとでも覚えているあいだにツイッターに呟いておいたりします。夢を覚えていようとしたり記録したりするのはよくない、と言われているようなので、良い習慣とはいえないかもしれませんが。

夢を記録していると、なんとなく自分がよく見る夢のパターンや、よく出てくるものがわかってきます。

私は、小さい頃からやたらとエレベーターに押し込められて出してもらえずひたすら上下する夢をよく見ます。人生の中でこれまで、現実以上に夢で個性的なたくさんのエレベーターに乗りました。エスカレーターにもよく乗ります。車の免許をとってからは、車を運転する夢もよく見ます。追いかけられる夢、隠れながら逃げる夢、ずっと会っていない人やもう会えない人に会う夢、行ったこともない街をうろつく夢、美味しいものを食べそこねる夢。遅刻しそうになって走っている時、なぜか大泉洋さんが出てきて、伴走してくれる夢というのもありました。なんだか良いのか悪いのかよくわからないあたりは、結局、現実とそう変わらないのかな、なんて思ったりもします。

今朝は、強い風の音を耳に聞きながら、何種類かの夢を見た記憶があります。緑色のレンガの壁が有名な古い喫茶店「エメラルド」を探してグーグルマップを見ながら知らない土地でうろうろするも見つからない夢。行ったこともない私立の立派な学校に登校するも、なぜかいつもパジャマ替わりにしているゆるゆるの部屋着を着ていて、何としても朝礼に遅れたくなくて制服を探すけれど全然見つからない夢。職場の先輩夫婦が新しくマッサージ店を開業するのでモニターになってくれと頼まれ快諾するも、最新のマッサージ器を試す前に起きてしまった夢……。

起きると、割れているだろうと心配していた窓は幸い一枚も割れていませんでした。朝の6時ごろに外に出ると、まだ強い風が吹きすさぶなか、西の空に今年最初の満月が浮かんでいました。


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