教員の心は、いつまでも若い。
夏休みの登校日、久しぶりにクラスメイトが集まった。
この時期の定番。夏休みの思い出30秒スピーチ を教室で開催。
説明しよう。夏休みの思い出30秒スピーチとは
30秒程度で夏の思い出を話す。
1個の体験に絞って詳しく話しても良いし、複数の体験を話しても良い。
オチはなくても良い。
教卓の前で話す。
と、いたってシンプルな催しである。
シンプルだが、これが面白い。
生徒それぞれの 予想だにしない体験がクラスメイトを惹きつける。聞く生徒のリアクションもよくて、教室は盛り上がる!
30日ぶりの教室の熱気を味わうという感覚が、一層盛り上がりのスパイスとなっている。
「ワンピースREDを見て、推しが 服部平次 から コビー になりました。」
→「えー!あんなに色黒好きだったのに!?」
「妹が好きすぎて夏休みに、妹の寝顔を写真で撮っていました。昨日それがバレて、妹に嫌われてしまいました(._.)」→「どんまい、お姉ちゃん・・・」
「コロナになって、変な趣味にハマりました。牛乳をレンジでチンすると、表面に膜ができるのですが、その膜をとる趣味です。」
→「え? (訳が分からんから、みんなコメントできない)」
30秒程度と言っていたが、短い生徒で10秒、長い生徒で5分話していましたね。話すのが苦手な子はサッ終わり、話すのが好きな子は笑いを取らないと気が済まないという様子。みんな違ってみんないい。
海や川、祭りに行ったという生徒も多かった。自分も子どものころの夏休みの気持ちを思い出す。
「夏休み明けのホームルーム何しようか?」と考えている担任の先生へ。夏の思い出スピーチはオススメです。やはり定番ネタは裏切りません。(ホームルーム地獄を乗り切る方法)
しかし驚いた。
コロナになったと自ら発言した生徒が複数名いたのだ。
1年前は「自分がコロナになった」とオープンにする生徒は、ほとんどいなかった。
「オープンにすることはタブー」という雰囲気があった。その雰囲気は教師や保護者など、生徒の周りの大人がつくっていたのだと思う。
当時は、「感染した人」が差別されることを恐れて、陽性になった事実を口外することを暗に禁じていた気がする。教師陣は「コロナ差別」という類の道徳を行い、校内で差別につながる噂が流れていないかピリピリしていた。
今現在、やっと教員の中のピリピリがなくなってきたと感じる。この情勢に慣れたからだろう。
大人は考えすぎなのかもしれない。子どもの心は若い。大人が想像してしまう余計な恐れや不安が、子供にはない。自分がコロナになったと安心して言えるのだから。
なんにでも楽しめる中学生は素敵だと思う。堂々とコロナになったことをクラスメイトの前で報告できるのもカッコいい。若い心を感じる瞬間がたくさんあったホームルームだった。
そして、若い心に接する機会のある教員の心は、同年代の人と比べて若いと思う。時間とともに擦れていく心に、純粋さを思い出させてくれる瞬間が俺にはたくさんある。
これは教員という仕事の魅力だと思う。
いつまでも心は若くありたいものですね。2学期も楽しむぞ!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?