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違和感をそのままにすること

私の通学路には、街と街を繋ぐ橋がある。

橋の下に広がる運河はよく見ると汚いけれど、好きな音楽を聴き、ウネウネ動く波を見てこの橋を渡る時間がとても好き。

橋の長さは、私のその時々の状態によって短くも長くも感じることができた。

小学生の頃、友達とワイワイはしゃぎながら渡った。長過ぎるからさっさと渡切りたいと思っていた。

中学生になった。

私立の中学に通う為1人で渡るようになった。短く感じる事が多くなり、時には橋の途中にあるベンチに腰掛けるようになった。

1人きりで橋を渡る毎日。私はこの時間をとても大事にしていた。

学校でうまく振る舞えず、悩みを抱えていた私は、この橋を渡り始めてから渡り切るまでに自分の中にある悩みや違和感を解消する、というマイルールを定めていた。

正解や結論のない悩みばかりだったが、考えを整理することはできた。
考えるべき事がたくさんあったから、いつ渡っても短く感じたのだ。

高校生になった。

この橋の長さでは、自分の悩みに蹴りをつける事ができなくなっていた。

次第に私は考えることをやめ、好きな音楽を爆音で流して手っ取り早く心を楽にするようになった。

心の中に生まれた違和感から目を逸らすようになって、「今までなんでわざわざ悩みにいってたんだろう」と思う反面、悩んで悩んで答えを出そうとしていた過去の自分に申し訳なさを感じていた。(考えるってどうやってやるんだっけ?みたいになっちゃった)

今まさに、違和感を無碍にしてたしわ寄せがやってきた。(就活しかり)

社会問題や身の回りの出来事に違和感を感じた時、自分の意見に自信が持てずうまく整理も発信も出来ない。

「間違っていたらどうしよう」「これって浅い意見なんじゃないか」

こんな悩みは、深く考えることを怠っている自覚があるからこそ湧いている。

大学生になって自分を立て直せるようになった頃、以前よりは違和感を大切にする事が増えた。

これからも、この違和感から目を逸らさずに紐解いていきたいと思う。そうすれば何かしらのスタート地点には立てる。

ᕦ(ò_óˇ)ᕤ






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