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「知るかボケ」を前提に話すべし

ツイートをするにしても、文章を書くにしても、気をつけていることがある。

それは、全ての事柄に対して丁寧すぎるほどの説明を付け加えることだ。

例えば、友だちの◯◯が、ではなく、友だちで◯◯をしていて最近だとこんな作品を出した◯◯が、というふうに使う。

少々やりすぎなくらいがちょうどいいと思っている。

身内にしてみれば、そんなこと知ってるよ!ということでも構わない。

だって、説明をすべて省いたアウトプットは結局、身内にしか届かないからだ。

現在わたしは、早起きコミュニティの朝渋に所属している。

そのなかで、voicyで早起きラジオというコンテンツを提供しているのだが、収録の際は必ず、朝渋に所属している人以外に届くようなコンテンツ作りを心がけている。

朝渋の人にしかわからないような単語が出てきたらすかさず補足する。

話がちゃんと、一般人にもタメになるような方向になるように誘導していく。

たしかに、身内に向けて発信するのは楽だ。

前提を省き、共通言語を用いて発信することは、ある種の結束感さえ生む。

でも、身内間だけで消費されるコンテンツは、広がりを見せない。

「この人は誰なんだろう?」とよくわからない登場人物が出てきた時点で人は物語を読むのをやめてしまう。

私は身内で楽しむよりも、より多くの人に読んでもらいたいからこそ、できる限り身内感を取っ払った発信を意識する。

広く届けるには、それしかない。

これは果たして、説明なしでみんなに伝わるものなんだろうか。

それをよく考えながら発信してみるだけで、広がり方は全然変わってくると思う。


広く届けるために、身内感を捨てる勇気を持とう。

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