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"愛"がある発信は無益でも受け取ってもらえる

ラブレターをもらったのでお返事を書こうと思います。えへへ。

繭さんは有益!と思える記事よりも、わたしのアニメの感想とか、私生活が垣間見える記事が好きだと言ってくれていて、そこもわたしがすごく大事にしているところだったので、今日は「"愛"のある発信」について書きます。

そもそも「愛のある発信」って何じゃらほい、ということなんだけど(笑)。要は、「この記事有益じゃろ〜」というものじゃなくて、「有益かは知らんけどわたしが書きたいんじゃ」というものです。

有益な発信は伸びます。なぜなら有益だから。でも、うちらみたいなペーペーは人生経験も浅いし、発信できる有益情報なんてたかが知れてるじゃん。だからこそ、「愛のある発信」をする必要があるんですよ。

「読むことができる」文章を書ける人はそこそこいると思います。最低限の文法と構成力と語彙力があれば書ける。

でも、「読まれる」文章は愛がないと書けないんですね。そこに愛はあるんか、というやつです。

で、この「愛」が仮になかったとしてもロジックを使って物を売れる人がマーケターなのだと思うから、それはもう本当にすごいことだと思う。(もちろん愛のある担当さんが多いのも事実だと思うけど)

ということは裏を返せば、うちらは別にマーケティングなんてしなくたって、読ませる文章を書くことはできるってわけです。そう、愛があればね。

たとえばだけど、PV数のために書かれたアニメ全話網羅したレビュー記事よりも、そのアニメをこよなく愛するヲタクの偏りまくった記事のほうがわたしは読みたいですもん。

最近Twitterの広告で「#PR」のついたツイートをターゲティングされているんだけど、「この人この商品そんな好きじゃないな」っていうのが140文字だけで伝わってきますもん。

だから最終的に何を言いたいかっていうと、「自分が思ってもないことは言っても誰にも響かないよ」ってこと。

挫折したことがないのにうわべだけ拾って「挫折は経験したほうがいい」とか言っても有益っぽく見えて有益じゃないんです。

綺麗事は捨てるんだ!!!! 本音で話そう!!!!

さすれば響く人には響く。ありのままの自分を発信していたら、ありのままの自分を好きになってくれる人はきっといるはずだし、飾らない愛を持った文章はいつか誰かに届く。

有益性に囚われて自分を見失っちゃダメよ、というお話でした。

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