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村田沙耶香は理想郷を描いているのかもしれない

村田沙耶香さんという作家さんにハマっている。

芥川賞を受賞した『コンビニ人間』を旅先で読んで衝撃を受け、『ギンイロノウタ』で沼落ちした。

ひとりの作家さんにここまでのめり込むのは珍しい。江國香織さん以来かもしれない。

もともと恋愛小説が好きで、これまでいろんな恋愛に触れてきた。男性の恋人がいる夫と暮らす妻の話とか(きらきらひかる)。先生との許されざる恋とか(ナラタージュ)。

形はどうであれ、これまでわたしが読んできた作品は主人公ともうひとりキーパーソンがいて、大体ふたりが恋仲になるというのがお決まりのパターンだった。

でも、村田作品はなんだか違う。主人公独自のマイワールドがあって、つねに他者とのあいだに分厚いATフィールドがある。

恋に落ちる落ちない以前の問題で、矢印の方向が他者よりも自分のほうに向いているように見える。

これまで8作品読んできたが、村田作品にはいくつかのキーワードがある。

「母」「家族」「ドア」「性」「小学5年生」「地球」。

主人公は大抵女性だ。

自分の性別に自信が持てない人、家族に飢え新しい家族を求める人、ぬいぐるみにしか欲情しない人、地球にしか欲情しない人、ごっこ遊びのなかでしか生きられない人、コンビニのなかでしか生きられない人…

とりわけ「家族」と「性」に対する固執はものすごく、新たな概念を形成しようとしているのが伺える。小説のひとつひとつが、まるで実験台のように。

村田作品のなかでは「家族」が何度も消し飛び、「性」は誰かと共有するものではなく、自分ひとりのオリジナリティあるものとして描かれる。あるときは地球と繋がり、ぬいぐるみと繋がり、そして自分自身と繋がる。いやマジで性行為が脳死した状態で行われているのが大嫌いなんだな、と思う。消費されるものではなくて、神聖な儀式というか。でも100%受け入れられないというか…複雑なのである。それでいて切っては切り離せないもの。

なかでも最近のお気に入りは『消滅世界』だ。人間が性行為をしなくなり、人工授精が主流の世界。利害関係の一致する人と一緒に住まい、恋愛対象は「ヒト」か「キャラクター」。最終的には誰かと住むこともなくなり、産んだ子どもはセンターに預けられ、都市全体で「子どもちゃん」を育てるのだ。

これを読んだ瞬間、「これは村田さんにとっての理想郷なんじゃないか」と思った。そして、読みながらも大して違和感を覚えない自分がいた。どちらかといえばこれが衝撃だった。

最近友だちと話していて、「家族ってめんどくさいよ」とか「ひとりはラクだよね」とか「結婚ってする必要、あるのかな?」という話題がよく出る。

そのたびに『消滅世界』の話をすると、みんな「それはある意味理想郷だね」と言う。

「村田さんは面白いことを考えるなぁ」とおとぎ話のように読んでいたけれど、実はそうでもないのかもしれない。これはみんなが感じている違和感なのだ。

そもそも片方が稼ぎ、片方が家のことをやるという従来の家族システムが崩壊してしまったら、家族でいる意味は利害関係の一致か恋慕の果てしかない。

でも、恋愛というのはそんなに長い年月かけてするものなんだろうか。少なくともうちの親は結婚前に冷めているし、長く付き合っている人は「もはや家族だよね」とよく言う。血の分けていない家族。

…とすれば、わたしは結婚する人たちが減っているのがよぉくわかる。だって、メリットが税金ぐらいしか思い浮かばないのだ。あとは子どもぐらいだろうか。でも、「シングルマザーでもいい」という人もいる。ますますわからない。

だからこそ、『消滅世界』で描かれている世界はすごく良かった。

一緒に住む人は財布を分け、気があって心地よく、まるで友だちのよう。そして、お互いがそれぞれ別の人とデートに行く。

家に帰ると、「今日のデートどうだった?」と話して恋バナで盛り上がる。性交の必要がないから、事案も起きない。そんな世界が意外としっくり来たのである。

「頭おかしいな」これが村田作品をはじめて読んだときの感想である。

でも、読めば読むほど他人事じゃなくなっていって、あるときカチッとピースがハマり、「ああ、これはわたしのことかもしれない」と自己投影してしまうほどの魅力がある。

正直どれも読みやすくないけれど、読むたびにガンッと頭を殴られるような衝撃があって癖になるので、普通の小説では物足りない人はぜひ読んでみてほしい。

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