行けない、理由とは。

2021年12月になり、いよいよ学校へ行く頻度が減りました。

この頃は、学校へ行きたくない理由として
「授業の中で隣の子と話し合い、発表や解答をすることが多く、自分は何も答えや意見を出せないので、相手の子に申し訳ない」
ということを言っていました。

ならば、そういうことがない授業、実技系なら行けないか?行ける授業だけでも受けて、あとは保健室なり早退なりすればいいよと言ってみるのですが、やはり行けません。
部活だけは行く日もあったので、心配ながらも行けるだけ良かったと思うことにしました。

ところで、私が住む兵庫県には、中学2年生になると「トライやるウィーク」という行事がおこなわれます。
近年、全国にも広まりつつあるそうなのでご存知の方も多いかと思いますが、これは中学2年生を事業所などに派遣して職業体験をさせ、社会性を育もうというねらいの行事です。
事業所だけでなく、学校、警察、消防などの公な期間も派遣対象になります。
このとき、息子は第一希望に警察を選んでいました。まだ、その目標は諦めたわけではないという意思を感じました。
しかし希望はかなわず、第3希望に書いた教育施設への派遣が決まりました。そのときは、本人もまあ仕方ないかと、楽観的に考えたようです。

が、当日。

息子は行けませんでした。
近くの小学校へ派遣されることになっていましたが、その活動内容を事前に聞いてイヤになったと言うのです。
活動の内容は倉庫の掃除や、校内に掲示するポスター制作などで、彼はもっと直接的に小学生と関わることをすると思っていたので、違うから行きたくないとのことでした。
その時私は、そういった作業も教育の一環なんだから、体験してみればいいじゃないか。聞いてる以外の仕事もあるだろうし、行ってみて無理だったらやめればいいじゃないか。
そう説得しました。
これも、いま思えば悪手でしかありません。
本人が完全に拒絶しているものを、大人がどんな理屈をいったところで子どもは動けるわけがないのです。
それを、その時の私は気づいていませんでした。

結局、3日間の「トライやるウィーク」は一度も参加することなく終わりました。

日ごとに、学校へいけない理由が増えていく、あるいは変わっていく。

このあたりから、私は息子が学校に行けないことに決定的な理由などないのではないかと考えるようになったのです。

正確には、
『学校に行けない』
それゆえに行けないということが最大の理由であり、授業がわからないとかクラスに馴染めないなどの理由は、学校に行けない自分を納得させるための言葉だったのだろう。

そして、そこで私たち親がすべきだったのは、理由や原因を取り除くことではなく、子どもの「学校へ行けない、行きたくない」という状態を認めて受け入れることだったのだと、今にして思います。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
前回から時間が開いてしまいました。
次回は、学校へ行かないことを受け入れて現在に至るまでをお届けできたらと考えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?