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ぼくは何者でもない。そしてあなたも。

やあやあ。いくら家にいる時間が長いからって、妙なところに迷い込んでしまったね。ぼくは薫野みるく。いつか億万長者になる女さ。
ちなみに、いつもの一人称は「ぼく」ではない。「私」「みるくさん」と言うことが多いが、今日はその語り口の気分ではなかったんだ。まあ気にしないでほしい。イメージは、QBみたいな見た目がかわいいキャラクターのモノローグ。誰の目からも幸せな結末なんて、存在しないんだ。

この25年くらいのあいだに、ネットやあらゆる機器が進化を遂げた。パソコンはその名の通り、一人一台、それ以上が当たり前。こうして文章を書き、それを投稿出来るサイトも爆発的に増えた。たとえば、ある小説投稿サイトでは、アクセスの七割がスマートフォンからだそうだ。いつ、どこにいても、手のひらの中で物語を展開させ、すぐに人に読ませることが可能だ。この記事も例外ではない。ぼくはいま、君に読んでもらおうと思って、これを書いている。

小説というと、文章を書くことが得意な、特別な人のものと、まだそう敬遠しているのは誰だい?
小説は、誰にでも書けるんだ。
そうでなければ、あんなに蔓延するはずがない。いいかい。小説は誰にでも書ける。君の頭の中に浮かんだ、あるいは最近見たドラマやアニメのワンシーンを、文字に起こしてごらん。ほら、自称・小説が出来ただろう。「これは私が書いた小説だ」と、言うだけなんだ。

ぼくには最近、不思議で仕方がないことがある。無料の小説投稿サイトに、その「自称・小説」を載せるだけで、「小説家」と名乗る人がいる。
おや、おかしいぞ。「○○家」とは本来、「それを生業とし、収入を得ている者」のことを言うはずだ。建築家は、まさか趣味で建築している人ではないだろう。画家と聞いて思い出すのは? ゴッホか、ピカソか、もっとマニアックな画家を教えてくれてもいい。とにかく、おそらく、そこから収入は得ていないはずなのに、「小説家」「作家」気取りの人が多いんだ。
その理由の一端としては、『小説家になろう』というサイトのせいかもしれない。最近、「まだ、なろうに小説を出しているなんて、奴隷根性もいいところだ」との一文を見かけたこともあり、あまり利用者を大事にしていないことが窺えるね。で、なぜ『なろう』が原因かというと、
『小説家になろう』に小説を載せた→小説家になった
と、思い込んでしまう人がいたんじゃないかと推測されるんだ。そしてそれは、ネットを通じて増殖した。この恥ずかしい勘違いは、残念ながら、文章を書く人に、非常に多い気がするんだ。

文章を、小説を書けることは、国語力という意味では、義務教育を終える程度で可能だし、当たり前なんだ。もちろん、そこには個人差があって、より優れた描写力を持つ者、台詞と出来事の書き写しになってしまう者、それすら満足に出来ない者、と分けられる。「小説は誰にでも書ける」とは言ったけれど、その能力値はまた別物だ。
「能ある鷹は爪を隠す」という有名なことわざは知っているかい? 今までつらつらと書いてきたことをまとめよう。つまり、本当に小説が「書ける」かつ、収入を得ていない一般人は、自ら「小説家/作家です」などとは言わない。無料の投稿サイトに、誰かに読んでほしくて小説を載せることを、「○○で書かせて頂いています」とは表さない。そこからして、作者の頭の良し悪しが計り知れてしまうんだよ。

冒頭でも触れたことに戻ってしまうが、いまはネット時代。よって、SNS上での自己アピールが盛んにおこなわれている。
SNSというプラットホームがあり、そこに「本人」ではない自分の存在意義が必要だから、人は特記すべき何かに縋る。たとえば、創作をしている、何かのゲームを最初のシーズンからプレイしている、これは一部の人にしか見せない、「裏垢」だと言う。
顔を隠し、他者より自分が「幸せ」であることを確認したくて、ただの数字や、文字だけの「繋がり」に依存していく。その「繋がり」は君の欲望を満たすために必要なパーツかもしれないが、忘れてはならない。そうして画面に向き合う君は、一人だということを。

ぼくは、十年以上、小説を書いているが、その間に学んだことといえば、自らの愚かさや傲慢さ、要するに人間としての小ささだった。当時もプライドだけは高かったので、「書かせて頂いています」「小説家です」とは思ったことすらなかったが、ぼくにとって小説とは、「自分を良く見せるための武装」に過ぎなかったのだ。そしてぼくは、この数年間で、何度か文章が書けなくなった。いわゆるメンタルを壊したからだ。
そんなぼくから伝えたいことは、「自分は何者でもない」と悟ること。それを受け入れることだ。趣味を趣味としてめいっぱい楽しむためには、ぼくのようになったらいけない。特に、二次創作の発表で満たされた承認欲求は、やめた途端に精神にガクンと来るから、気を付けた方がいい。

それでも、自分の肉体を切りつけるかのように、創作に打ち込む人もいる。誰がどんなアドバイスをしても、もっともらしい言葉を並べたところで無駄だ。だけどそれは、数少ない「選ばれた人間」なんだと、ぼくは思う。

それはそうと、ぼくは「バーチャル作家」を自称している。現在のところ、収入はない。なんとも滑稽なものだが、いつか必ず、これで成功するんだという、強い意志のもとに活動している。すこし自分語りが長すぎたかな。
ぼくは、今すぐ消えても困る人はいない、ちっぽけな「選ばれた人間」さ。


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