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テレビっ子

2004〜2018年頃のテレビをほとんど見ていない。
2004〜2006年頃は見る時間がなく、2007〜2015年頃はテレビを持っておらず、2016〜2018年頃は持っていたがアンテナを繋いでいなくて、ただ映画などを観る時のモニターとして使っていた。

絵を描くために進学し家族のもとを離れたので、テレビは絵を描くじゃまになると思って持たなかった。
その後それをあわれに思った人が中古のテレビをくれたが、テレビを見るという習慣が消えうせていて、新たにスイッチを入れることが習慣にはならなかった。

テレビを見るということが選択肢になったのは、アンテナを繋げば現在放映されているテレビ番組を見ることができると認識する機会があったからだ。

ある日、なにもかもよくない、もうおしまいだという時があった。
殊更なにがあった訳でもなく、なぜか突然にそれが訪れてしまった。
音楽を流したり、ものを食べたり、考えつくいろいろな方法を試したが、それがいなくなってくれることはなかった。
このままでいると、液体が表面張力を超えてなみなみ出ていってしまうような気がした。
ある形の穴に、音楽や食べものを様々に当てはめていったのだが、どれもその形にはまってくれなかった。

途方に暮れた時、テレビのことを思い出した。
その時それはものを言わぬただの板だった。
それにアンテナを繋ぎ、プラグを挿すと、電波を介してたった今現在が受信されるということを不意に覚えた。
番組表を繰ると、お笑いの賞レースがやっていた。
今となってはネタも芸人もなんだったか一つも覚えていない。
ただ、これを流したらいいのかもしれないと思った。

流してみたところ、それでよかった。
それからはほとんど部屋にテレビがついている。
外出先から帰ってリモコンを押し、それからは眠っている間もずっとついている。
興味を持って一言一句のがさず耳をそばだて刮目することもあるが、ほとんどは流しているだけに過ぎない。
見たいと思ってつけても集中していられず見ていられない時もある。
けれども、テレビをつけてそれでいいという状況に今もある。

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