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ユーモアは祈り―Megumi Yamazaki個展「1日1犬展」&「My Homies」

ユーモアは世界を嘆かない。

イラストレーター Megumi Yamazaki の個展が東京都千代田区 PARK GALLERY で2021年9月15日から開催中。

本展はMegumi Yamazakiとギャラリーの共同企画「1日1犬展」と、緊急事態宣言で何度も延期を強いられた個展「My Homies」の同時開催である。台風の日、9月らしからぬ蒸し暑さと重い雲にやや心が折れそうになりながら会場へ向かった。

犬の断片を集めても

会場1階に展開されていたのは「1日1犬展」。『1日1犬』はnoteやInstagram(@1day1.dog)でMegumi Yamazakiが毎日更新してきた連載作品だ。1日1つずつ「犬」の暮らしや性格が描かれていく。

これまでも彼女は「犬」というキャラクターを描き続けてきたが、本連載を機に犬の生態をはじめて明かすこととなった。既存のどのキャラクターカテゴリにも落ち着かない犬。謎が人を惹きつけてきた存在が具体性をもつとき、犬の魅力はどこへ行くのか、興味があった。

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たとえば犬は「注文をするとき目をしっかり見る」けれども「想像を遥かに超える受け身」。他者との接し方に美学はあるが臆病でもある。あるいは「距離感を大切にしている」わりに「グータッチを強要してくる」。ある瞬間だけ急に距離をすっ飛ばす。

四方の壁を埋め尽くした「1日1犬」。犬の生態を300個知っても犬を理解したとは到底思えない。そこで私は犬の、人の、自分の不可解さと、自分は誰かを理解できるという思い上がりを実感する。

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こういう奴だと思った途端にまったく違う一面を見る。多面が違和感なく備わっている。それが犬であり、私たちである。いくら断片を集めても存在を完全に理解することはできない。さらに月日が経つと変化していく。それこそが、誰かとともに居ること、自分として生きることのおもしろさだと気づかされる。

リビングにある"homie"な場

ギャラリー2階は「My Homies」の展示。台所やソファ、本棚があり、生活を感じる。普段ギャラリーの方がリビングとして使っている場所らしい。

統一性のある「1日1犬」とは対照的に、多様な素材、造形、色で作られた作品群が並ぶ。犬を中心にコアラ、カエル、ブロッコリー、クリーチャー(空想上の生物)、アリクイ……異種の生きものたちが"homies"(=仲間)としてそこにいる。

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訪れた人が展示に囲まれながら犬と一緒にソファでくつろいでいる。それを見て、フロア全体が"homie"(=家庭のように居心地のよい)な場として機能していることに気づく。

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常々彼女の描くキャラクターには人間がいないなと思っていたけれど、この空間に佇んではじめて、私たち人間が"homie"のなかに加わる余地を残しているのかもしれないと思った。

ユーモアは君に何も求めない

格差や差別、戦争。怒りや悲しみに満ちた世界では、怒りや悲しみで世界を語る人が当然多くなる。どうしてああなんだ、もっとこうあるべきだと誰かに向かって嘆いている。私はもうだいぶ前から嘆きを聞き疲れてしまった。

Megumi Yamazakiはずっとユーモアを信じ、磨いてきた。ユーモアは表現のなかでもっとも難しく、もっとも人に届く。ユーモアは人に教えない。ユーモアは人に求めない。ユーモアは人に解釈させる。ただそこにあり、人が「何か」を見つけることを祈っている。

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ひとりのなかにある多様性と、みんなのなかにある多様性。どんな自分も、どんな君も受け入れたいという切実な願い。2つの展示から私が見つけた「何か」はそういうものだった。

低気圧のつづく帰り道もユーモアで乗り越えなくちゃね~!と自分を励まし、1駅先まで歩けるくらいエネルギーをもらった本展示、開催は2021年10月3日まで。グッズも充実!行ける方はぜひ現地へ。(私はハット愛用中)

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おまけ:めぐちゃんと私

5年前、当時の職場にめぐちゃんがやってきた。彼女の柔らかな人あたりから、"ふんわり"系いい人像を持ってやりとりをしていると、何かの拍子に「もしかしてマック・デマルコとかすき?」と聞かれた。時が止まり、風が前髪を押しのけ、視界が開ける。たぶんHeart To Heartってああいう瞬間を言うんだ。

「絵を描いてる」と言われInstagramで彼女の尖った作風を見た私は真顔になる。"ふんわり"など見当違いも甚だしい、情熱と葛藤の跡がそこにあった。それからは貪るように語りあった。ともに食べ、飲み、歌い、演奏し、ものづくりもした。

しかし彼女の描く絵について言葉にしたことはあまりなかった。正直に振り返ると、私はずっと自分の表現に自信がなくて、彼女の描くユーモアに相対することができなかったのかもしれない。だからこそ本気で言葉に向き合いはじめた私が今すべきことは、彼女の作品について書くことだと思った。

これまで何度もめぐちゃんの展示に足を運んだけれど、ルポを書くのははじめてだ。友人として彼女の作品への思いや意図を聞くことはできたが、今回は一切それをせずに私が見て感じたことだけで書いた。彼女の口からは出てこない「何か」の一端を綴れたことを祈って。

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