田舎の都会人、都会の田舎者

 以前から連れあいに薦められていたヒュー・ウォルポールの短編集『銀の仮面』の「みずうみ」という一編を読んだ。

 よく目で見てニュアンスはわかっていたけれど、読み方と正しい意味を知らなかった熟語をいくつか調べた。私はじぶんで文章を書くのに言葉をあまり知らず、歌をうたうのに音楽をあまり知らない。知らないままでいることへの厭わなささえ持っている。それはもちろんよいことではないのだが、知への完璧主義をつらぬく苦痛を大学時代に味わい敗退してしまったのだ。

 高校までの、比較的閉じられた知の領域がばばんと解放され、ほとんど底なしの知の泉が目の前にあらわれた。しかもその泉はこつこつと拡張する。汲んでも汲んでも泉の水位は変わらないように見えた。あるときから私はじぶんの知的探究心をあきらめ、ひとまず生き、知らないことは知ろうとするエネルギーがあるときにだけ調べることにした。知ることがわが人生の祝福でありつづけるように……。

「みずうみ」は幻想的なホラーという感じでおもしろく、なにより表現のバラエティがほんとうに豊かであった。あまり本を読まず育ったじぶんに、文学をこのように敏感に感じとる一日がやってきてうれしい。ようやく都会の一員になれたような気分。

 さきほどの底なしの知にたいする苦しさの話にもつながることだが、じぶんの教養のなさ、そして文化的浪費への渋りは、おそらく一生解消されないコンプレックスだ。私はそれをじぶんが田舎の出であることを理由にしてしまっている。私の見立てでは、都会出身の人たちは知の無限を昔から受け入れている。知の泉が深く広大であることが前提にあり、だからこそ文化への態度が軽快だ。彼らのようなたやすさが10年、15年と経っても身につかない。映画や美術館、コンサート、本、漫画、お笑いライブ、動画のサブスクリプションにいたるまで、私はいまだに気軽に金を支払うことができない。

 田舎で暮らすために最優先で必要だったのは、文化にたやすくアクセスする態度を身につけることではなく、狭いコミュニティでうまくやっていく能力やきびしい自然環境を生きぬく力などであり、私のまわりにいた人びとは当然そういうものに時間や金をかけるのだった。

 しかしそのような環境にいながらでも、叔母は自宅にアトリエをかまえて油絵を描く人だし、父も東京の美術大学へ行った。彼らの父である私の祖父が学校の校長であったらしいから、当時の地元のなかでは、まだ文化的に豊かな暮らしをしたほうなのかもしれない。

 小、中学生のころ同級生から「かんなは津軽弁じゃない」と言われたことがある。どう聞いても津軽の訛りではあったのだが、“きれいな”津軽弁だったのを目ざとく指摘されたのだった。たとえばじぶんのことを「わぁ」と呼ぶとか「なにやっちゅんず」(=何やってるの)など、標準語にはない津軽特有の語彙を私はあまり使わなかった。だから田舎のなかでは都会っぽい言葉づかいということになるのだろう。当時の私は仲間はずれになりたくなくて“きたない”津軽弁を使ってみたりしたが、口にしながらそのわざとらしさに辟易した。結局語彙はほとんど身につかないまま、18年間の津軽生活はあっさりと終わったのだった。

 津軽の語彙は持っていないけれど訛ってはいる、田舎のなかの都会っ子。この中途半端な出自が私をどこまでも追いかけてくる。もちろんそれで誰を憎むわけでもなく、ほかの出自を持つ人たちの生きづらさを軽んじるつもりもない。それに、津軽のあの地だからこそ育った文化がしっかりとあること、また田舎にいたって本を読み、音楽を聴き、芸術や学問を愛する人がたくさんいることもいまはわかる。結局、私の家や私自身だけの話だと言われれば……うーん、そうなのかもしれない。

 それでも田舎に行けば都会風のインテリ扱いを受け、都会に行けば到底至ることのない知の無限に圧倒される自己イメージがしぶとい。このすわりの悪さは、これからも私を小さく苦しめながら、感性の要でもありつづけるのだろう。




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