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いつか、最後の恋を。-episodeⅠ-

特に何があったというわけじゃないけれど、思い通りに生きれない、悪夢のような散々な日々だった。人生における数少ない美しい思い出は、若さによるまやかしか、あるいは独りよがりの妄想の中にしかなかった。

初恋の人はテレビの向こう側のスターで、いい年した大人になってもずっと彼のことが忘れられなかった。将来彼と結婚するんだ、なんて子供らしい夢は見なかったが、彼に恋する前の自分にはどうしても戻れなくて、それ以降、私はこの恋を抜きに本当の自分を語る術を失った。

それは、他の誰に恋をしても変わらなかったし、よっぽどのことがない限り今後もずっと変わらないような気がしている。

この話を通りすがりに聞いた人は、熱烈なファンなんだねとか、もしかしてガチ恋勢?とか、物知り顔で定義したがるだろうか。それとも、芸能人に恋をするなんて、日常茶飯事のつまらない話だとスルーされてしまうだろうか。


そんな、初恋の彼への特別でありふれた気持ちを、少し手放せた頃、岡村靖幸に”恋”をした。それは自分でも予想外の出来事だった。何となくその存在は知っていたが、自分にとってはスキャンダラスで異質で理解し難くて、この人のことは一生好きになることはないだろうとぼんやり思っていたものだから。

大げさだが、人生って何が起こるかわからないと思った。

以前は、なぜ岡村靖幸が”岡村ちゃん”という愛称で呼ばれているのか謎で仕方なかったが、もはや私にとって岡村靖幸は”岡村ちゃん”以外の何者でもないし、あんなに理解し難いと思っていた、癖のありすぎる個性的な曲やパフォーマンスもいつの間にか大好きになってしまっていた。

そして何より、世の中に(しかも芸能界というシビアな世界に)、これほどピュアな人が存在するのだ、ということに私は感動した。

・・・そう、ピュアで、常人が思いもしない場所で躓いてしまうが故に、岡村靖幸という人は、たぶん世間からとても誤解されやすいのだと思う。

例えば岡村靖幸のことをよく知らなかった頃、(楽曲等のパブリックイメージから)この人は相当なプレイボーイできっとたくさんの女性を泣かせてきたのだろう…と想像していたわけだが、彼の人となりを知ってしまった後では、岡村ちゃん自ら女性を口説いてる姿も想像できなければ、逆に言い寄ってきた女性達を振っている姿すら想像することができなくなってしまったから大変だ。

故に、岡村ちゃんが女性を泣かせることがあるとすれば、その優しさから言い寄ってきた女性全員と関係を持ってしまい、自身が悪者となり修羅場を迎える時だ…と私は想像する。

結局、たくさんの女性を泣かせている岡村靖幸。結局は、罪な男。

だが、前者と後者では在り方が全く違うし、全く違うようでやはり結果は同じであり、つまり、岡村靖幸はピュアすぎるが故に、世間から誤解されやすいという結論に達する(※もちろん全て妄想)。



私事であるが、次に恋をするなら今度こそ絶対に最後の恋だと思っていたので、これがそうだったら…と一瞬だけ思ったが、まさか岡村ちゃんが自分の運命の相手であるはずもなく(そりゃそうだ)、今は岡村ちゃんの健やかな幸せを願う他ない。

初恋の彼の時はなかなかそうは思えなかった分、もしも岡村ちゃんが然るべき相手と結ばれた際、素直に祝福できるであろう自分が私は地味に嬉しかった。

他にもたくさん書きたいことがあったはずだが、力量が追い付かず上手く表せないし、何より今は気分がいまいち乗らないので、次回があるとすれば、そこに持ち越したいと思う。

岡村ちゃんに出会えて心から良かったと思うけれど、ミーハーで移り気な私は色々なところに目移りする。そして初恋の彼への気持ちはだいぶ落ち着いたけれど、最後の恋の相手とやらに出会うまでは、たぶん一生決着をつけられないままだろう。

ペンネームをどうしようと思った時、岡村ちゃん熱が結構あって、ごく自然に岡村ちゃんから苗字を貰い「okamura miiko(岡村みいこ)」に決めたわけだが、今となっては、“未だに愛しているけれど訳あって少し距離を置いている、何番目かの夫の苗字を勝手に名乗り続けているような...(?)”不思議な気持ちでもある。

でも何故かそれが、自分の中で結構しっくり来ていて、それを含めて私らしい…とすら思うので、岡村ちゃん本人からクレームが来るまでは勝手に名乗らせて貰おうと思う(たぶん絶対、来ない)。

P.S.
私のまだ見ぬ、最後の恋の相手が、岡村ちゃんのようにピュアで、あの独特な世界観を理解できる人でありますようにー。

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