潜在的に他人に期待してしまっているということ

ことの始まり

先日、旅行へ行った。
その時に感じたもやもやをつらつらと言語化したいなぁと思い、久しぶりにnoteにログインしてみた。
一回自分の気持ちを整理したいと思う。

私は今は北米に移住したのだが、なんと大学時代の友人3人もみんな違う地域ではあるが同じ北米にいる。
なかなか連絡無沙汰な友人たち(この文ではA,B,Cと呼ぶことにする)と私先導で3ヶ月前くらいにスケジュール合わせをし、S市で会うことに決まった。
とある週末、金土日に集まれることになった。

初日

AはS市に住んでおり、BとCは別の町から飛行機で飛んできた。
社会人もう8年目くらいになるとなんかハードル低くなるなぁと思いつつ。

私はS市は長距離バスで4時間くらいと結構近いので、すでにこの2年で4回以上行き来している。
BとCは初めてのS市。

1日目、金曜日、私は仕事をさぼりつつ朝早くバスに乗って、昼前にS市についた。
Aの家の近くにエアビを取っていたがチェックインが3時だったのでそれまでカフェでお仕事。
エアビに向かう前にスーパーを見つけ、夜遅く到着予定のみんなを思って朝ごはんで食べれそうなもの、オレンジジュース、あとは夜みんなで話しながら食べれそうなクラッカーとかハムとかワインとかを購入。
買い出ししつつ、自分からこういうことをやりそうな人はこの中にはいないやろうなぁと考えてた。みんな喜んでくれるかな?
3時過ぎ、エアビに向かい仕事終わった友人Aと合流。
わざわざBもCも飛行機乗って遊びに来てくれるから、楽しんで帰ってくれるかちょっと責任感じるわ〜と言ってた。
集まるのが目的だから、全然大丈夫だと思うと私は言った。

2人で夜ご飯をテイクアウトして食べ、食べながらBとCの到着を待つ。
私としてはこんな日本から離れた場所で久しぶりに集合できたのはめちゃくちゃ嬉しかったし、みんないろんな場所で活躍しててすごいなぁと感慨深くなった。
最近のみんなの事情をアップデートし大学時代の宅飲みを思い出しつつ、みんなもう30になったなぁと感じた。

2日目

この日は観光。ダウンタウンへ行ったりして過ごす。
天気予報の雨からは考えられない、カラッとした青空の見える天気になって、傘もいらずで1日を過ごせた。
有名どころも周りながらみんなでいろんな物を分けながら食べ歩きしたり、写真撮ったり、またカフェで座って昔話したり、充実かつのんびりした1日になった。

最後は夜S市で有名な大学のキャンパスに入ったり、韓国料理食べたりしてからエアビでいつまでも続くおしゃべり会。

3日目

3日目は朝カフェでご飯食べ、友人Bは昼前にもう飛行機の時間があるので先に解散。
ほぼ2日目だけのために来たようなもんで、私だったらもったいないなーと思うだろうなと思ってしまった。

Bが帰ってAとCと私だけになったのだが、犬を飼っているAが前日に、日曜日に予定しているドッグトレーニングのセッションに二人がいる間に行ってもいい?と言い出して私は困惑した。
いや、友達がはるばる遠くから来ているのに自分の日常を優先するのか?3日のうちほぼほぼ一緒にいたから数時間くらいいいでしょ、みたいな感覚なのかな?
もちろん日本人だからそんな自分の困惑は口にはだせず、いいよ〜わかったで流すが本当にモヤモヤして色々考えた。

結局は私とCは2人で別の観光スポットに行きつつ4時間くらい時間を潰し、もちろん楽しかったしいい時間になったけど私のモヤモヤは残ったままで、Cも純粋でいい子だからAを下げるような言葉も言いたくなくて。

セッション終わってからまたAと合流して、Cは飛行機の時間の関係でまたもう帰る時間になって、Aの家で私のバスの時間まで1時間くらい過ごす。
その間も犬と遊んだりしたが、例えばお茶を出すとかそういう基本的なおもてなし的な行動は全くなし。もちろん言ったらやってくれていたとは思うが、この時はただ気が回らないだけなのか?

Aには気になる人がいて、私が帰ったすぐ後にAの家に来ることになっていた。
Aは特に、誰かのことが好きになるとそれで結構頭が一杯になるタイプで、その時もその状況だった。

セッションもあり前日も遅くまで話したり歩き回ってた疲れが私もAもどっと来ていたが、ついに私の帰る時間になると駅まで送っていくよ、と言ってはくれたが疲れているの知ってたし、大丈夫だよ、というとほんとに送ってくれなかった。
そして玄関で私が靴履いてる間に振り返って最後挨拶しようと思ったらもうドア閉めて鍵かけられてた。

え?っていうね。
Aとの付き合いは長く、日本時代から結構頻繁に会ったりしてたからもちろん個人主義なところとか知ってたけど今回はなんだか色々びっくりしてしまった。

思い返したり、考えたり、話したり

思い返せば毎回私が別の用事でS市に来ると、私が泊まる拠点から私は1時間くらいかけてダウンタウンに近いAの家付近で会うことが多いのだが、ランチしようというとほんとにランチだけ1時間だけして別の人と会う約束にすぐ行ってしまったり、自分の生活の都合を一番優先するような節はあったなあと思い出したりしてた。

今回私だったらこうしてたと思ったことは、これだけ。

  • だれかが自分の町に遊びに来たら、一食くらい奢ったり、夜とか朝食べるものとか、小さいお土産とか買ってあげてたと思う。

  • そして遊びに来てくれてる期間は、自分の仕事とかの制限がない限りはできるだけできることはしてあげたい。

久しぶりにこんなにモヤモヤとした気持ちになったのでバスの中で色々考えざるを得なかったが結局はこの件に関しては誰が悪いとかじゃなくて、私が変わったのと私が自分のスタンダードを他人に押し付けてただけだろうなって思った。

私も夫と生活するまでは、個人主義の自己中心的な性格だったし自分のことしか考えてなかったから、ひとり旅でどこかへ遊びに行っても友達の都合はあまり気にせず自分だけの都合だけ考えてただろうな、とか。
周りのこと考えなさすぎてて具体的なエピソードさえ思い出せないけど。

でも夫を見て一緒に生活してると、韓国人は基本的にそうだけど他の人にやってあげる精神がすごすぎて、私もその感覚に慣れたんだと思う。
この私のモヤモヤを話すと、夫が言っていたのは、韓国人的にはもちろんそういうことをしなきゃいけないってことじゃないけど、お互いにそうやって相手を想って色々してあげると気持ちのいい関係になるよね、って。来てよかったな〜とか、もし次は逆の立場になったら今度はやってあげたいなって思えるように、お互いにそうすることが多いって。

私も元々はケチな性格だったけど今はそういう考えにシフトしたなと自分でも思える。

そして、バスに乗りながら芦田愛菜ちゃんの名言を思い出した。

「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」

「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」

「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」

https://www.oricon.co.jp/news/2170996/full/

このイベントの話を当時聞いたとき、衝撃を受けたのを覚えている。
高校1年生の時の私は紙のように薄っぺらな考えしか持ってなかった。

愛菜ちゃんのいう通りで、私が勝手に期待して勝手に裏切られたような気持ちになっただけで、本当は彼女の今までは見えなかった部分が今回は見えただけなんだなと思った。

後談

この話を別の日本人の友達に言うと、日本人でも普通来てくれたりしたらおもてなしするけどねぇと言われた。
確かにそうで、だからこそAにはアメリカが合うのかもしれない。

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