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選択とは、生きるとは

たとえそのとき迷っていても、ふり返ると意味のある選択をしたと思える。
そんなことはないだろうか。

今年の2月、初めて胃の内視鏡検査を受けたところ、初期の胃がんが見つかった。
がんが見つかったことにももちろん驚いたのだが、一番の驚きはそのタイミングだ。

去年、彼氏のお父さんが胆のうがんで亡くなった。
がんが見つかったときにはもう手の施しようがない病状だった。
彼氏と付き合った当初から、3人でよく食事をしていた。
がんが見つかってからは、抗がん剤治療とがんの進行により徐々に食事ができなくなった。
「息子のことをよろしくお願いします。」
ちゃんと話せた最後のときだったように思う。そう言っていた。
最後まで、周りに心配をかけないようにしていた。
「大丈夫だから。大丈夫だ。」
やっとの声だったのだと思う。
鎮静剤を希望し、数日後帰らぬ人となった。

彼氏のお母さんが認知症を患い、その看病をして自分のことは二の次だったらしい。
だから私にも、人間ドックをするようにとよく話していた。
そして受けた内視鏡検査でがんが見つかった。

思えば、転職して彼氏と出会わなければ、内視鏡を受けることはなかっただろう。
また、あのタイミングで転職していなかったら別の会社に就職し、彼氏と出会うこともなかった。
もし転職せずに前の仕事を続けていたら。
平日も遅くまで土日もほとんど休まないような働き方を続けていたとしたら。
きっと健康診断ではオプションの追加などせず、がんだと気づかず、気づいたときには相当進行していて、若くして死んでいたかもしれない。
医者は、かなり特殊な事例でバリウム検査では100%見つけられなかったと言っていた。

過去の選択一つ一つが、命をつないでいる。
そのことががんが見つかったことよりももっと私を驚かせた。
前の仕事で身体をこわしたところから、今回がんが見つかるところまで、一つも欠けてはならないピースだったのだと思う。
悲しいこと、楽しいこと、つらいこと、うれしいこと。
パズルのように一つずつはめていって最後に一つの絵になる。
生きるとはそうことなんだと思った。

きっとまだ半分も埋まっていない。
たくさんのピースを集めて、最後にどんな絵ができるのか。
帰り道、晴れた空を見上げながらそんなことを思った。


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