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音楽家が音楽以外の仕事をすることについて

先日、ブログに書いてほしいテーマや、質問、お悩みを募集したところ、私たちが思いつかないような素晴らしい質問&テーマをいただきました。
さっそくイリヤンと一緒に、いただいた質問を下にアレコレと考察してみました。

今回は質問の答えと、それについての私たちの考察です。主にイリヤンの考察ですが・・。質問に対してのイリヤンの答えは、いつでも明快&即答です。驚! 私はいつも、ホー!と感心しながら聞いています。

あまり巷では聞かない話ですが、言われてみればそうよね!なはなしです。

🔹🔹🔹🔹🔹

日本では歌う仕事や音楽に関係している以外のことをしていると、音楽家としてはあまり価値がない人、と判断するお客様が多い気がします。本番にたくさん出ているから、有名だからという評価に振り回されがちです。
こういった意見についてどう思いますか?心に留めておくとよいことがあれば教えてください。また、音楽家にとって本当に必要なものは何でしょうか?
声楽家の方からの質問

以下、イリヤンの答え

多くの人が、音楽家は日々研鑽を積み、自分の人生を多少犠牲にしてでも音楽道を貫くものだと思っている。
それが音楽家としてのあるべき姿であり、目指すべきところだ、と。
音楽家として生き残るために、必死に努力を続ける人もいる。

誰しもが素晴らしくあろうとし、正しくあろうとする日本では、そうでなければ恥ずかしい、という気持ちもあるだろう。そして、正しくなければ批判されることが多いのが日本社会でもある。

けれど、それは全て表面上のこと。
社会の中では、人は建前で生きている。

現実を見てみよう。世界中にはたくさんの音楽大学があって、毎年のように音楽家が量産され続けている。世の中は、必要以上の音楽家で溢れているんだ。
そして、みんなが似たような目標を持っている。

音楽家の多くは、録音や録画された歌手たちの素晴らしい演奏を真似て、彼らのような音楽家になりたい、と思っている。キラキラと輝いている音楽家の一面だけを見て、自分もそうなりたい、と思っている。

けれど現実は、いくら望んでも、みんながみんなそのようになれるわけではない。

そして、劇場で主役やメインロールを歌う歌手たちが、最も素晴らしい歌手だ、というわけでもない。彼らは決して、実力だけで選ばれた人たちではない、ということだ。音楽は産業なんだよ。

だから、彼ら以外にも同じようなレベルで歌える歌手は山のように存在する。そういう歌手たちは一体なにをやっていけばいいのだろう?

席はすでに埋まっているんだ。そしてたとえ空席ができても、その少ない席を多くの歌手が奪い合っている。特に都市部に集まる歌手たちの競争は激しい。

これは歌手だけでなく、役者にも言えること。歌手と役者は、ある意味似たような境遇にあると言ってもいい。

これだけたくさんの歌手がいて、全ての歌手に演奏の機会が与えられることは不可能だ。

そこで、音楽指導を始める人は少なくない。
けれどこれまた、指導をしたい歌手の数に対して、生徒の数は十分ではない。

ピアニストであれば、子供にソルフェージュを教える、イヤートレーニングをする、ということもできる。けれども、プロの歌手が歌唱法を指導するとなると、子供に指導をするわけにはいかない。小さな子供に声楽のトレーニングは早すぎるからだ。

さて何をしよう?

ここで質問の答えに戻ると、音楽家が音楽以外の仕事をすることは何も後ろめたいことではない、ということだ。
自分が生活をしていくため、それに家族を養い、サポートするためにもお金は必要だ。そして、自分が学び続けるためにはレッスン代も必要だ。
そのために、たとえトイレ磨きを仕事にしている音楽家のことだって、僕は尊いと思うよ。

今の時代、正しく音楽を学べる機会を得ることはとても難しい。だからこそ、この人だ、と思える指導者に出会えたなら、それは貴重なことだ。そのためにはレッスン代だってかかる。

自分が今やっていることの重要性、価値、喜びは、自分がわかっていれば良いことだ。
お客さんのことなんて考えなくて良い。

音楽家の中には、「お客さまのために演奏している」と言う人もいる。けれど、彼らの言葉に捉われる必要もない。お客さまのためと言う人ほど、自分のために演奏している人がほとんどだからだ。

ちなみに僕はコンサートで演奏するとき、聴衆がどう思うかなんてことは一切考えない。気にしない。

聴衆は、回転寿司屋に行って、流れてくるお寿司を食べるように、音楽というサービスを受け取る人でしかない。

音楽産業が『これは価値があるものですよ。』と決めて、提示したものに対して、それをただ受け取る人たちでしかない。

それが実際に、良いか悪いか、どれだけ素晴らしく価値があるものなのか、その判断基準を持っている人はいない。

かつては、耳の肥えた聴衆がいて、素晴らしい才能を発掘しよう!そしてその才能をみんなで大事に見守ろう、育てよう、という風潮があった。

今は違う。産業化された世界では、聴衆はただサービスを受け取る側に廻っている。

一部の特別な音楽愛好家たちでさえ、コンサートが終わって、家に着いてしばらくすれば、日々のことに追われてコンサートのことは頭から消えてしまうだろう。そしてまた別の日には、他の誰かのコンサートに行くだろう。

だから聴衆の声に捉われないこと。

そしてもっと言うと、人からの賞賛や評価を自分から求めるようではいけないよ。

人がどう言おうと、どう思おうと、自分の心に正直に、自分の道を進んでいけば良いんだ。

🔹🔹🔹🔹🔹
という、イリヤンの回答でした。

ちなみに私の周りの音楽家たちの多くは、音楽以外の仕事をしています。スイミングやヨガなどのインストラクター、IT関連、不動産業、大工、ワイナリー経営など、音楽以外にもプロフェッションを持っている人が多くいます。

音楽以外の仕事をしている音楽家のことを、価値が低い、と考えるのは大きな間違いです。現実を見ることができない人たちの考えだと思います。キラキラとした表面だけに惑わされるのではなく、現実をしっかりと見ていくことが大事です。

歌手にとって、自分が心地よく満足して歌えること。
これに優る幸せがあるでしょうか?

どれだけたくさんの本番をこなしていても、有名であろうとも、自分の歌声に不安や問題を抱えているうちは、どれだけ取り繕っても心が晴れることはありません。

だからこそ多くの歌手は、自分の歌声に納得できるまでは諦めきれないのだと思います。

ひょっとしたらこの先、この人生で、一度もオペラを歌うチャンスはやって来ないかもしれない。けれども、チャンスがやってきたときに、それを掴めるように、日々自分を磨き続けていくことは大事なことです。

『僕は作為的なキラキラとしたコインの表には興味がないんだ。
興味があるのはいつもコインの裏側だ。』

いつかのイリヤンの言葉です。

自分をよく見せようとすることよりも、自分が満たされていて幸せな音楽家であること。それこそがコインの裏側なんだろうな、とイリヤンの話を聞きながら思いました。

次回は、また次の質問で!
最後まで読んでくださってありがとうございます。

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