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2012年10月、キャラバン隊は有機農業で有名な島根県柿木村へ「あたりまえ」を探しに赴いた。

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「あたりまえ」とはなんだろうか?とこの撮影以来折に触れ考えてきた。

ごく一般的に考えるならば、収入、家、家電、電気ガス水道にネット、服装、髪型、仕事、家族構成…それらの各要素をできるだけ平均的なものにすることこそ、「あたりまえ」だと。スマホがあって、アイコスを吸って、ユニクロの服を着て、テレビはあまり見ずにNetflixでドラマを見る…みたいな。そんな「ふつー」だと思うことが即、「あたりまえ」になると。

だが福原さんらが説くそれは全く異なる。おそらく彼らは、そもそも本質的に人(特に川上の山里に住む人)はどう生きるのが「あたりまえ」なのかをのみ追求し、日々それに向き合っている。

まどろっこしいことを抜きに乱暴にまとめるなら、

1. 農薬は使わず、「食品」ではない「食べもの」を作る。
2. 地場産物以外の食品はなるたけ食べない。
3. 山、川にダメージを与えるような開発等は行わなず、金金金を目指さない。
4. 規則正しい自給自足的生活を行う。
5. 上記をマチの住む消費者たちに支援してもらい共生する。

の5点となるだろう。字面だけを眺めるだけならばアリテイなものだと感じる。ふつーじゃんと。一言にするなら、「人間も自然も傷つけない生き方」と言えるかもしれない。だが実際にそれを行うとなると、話はふつーじゃない、無茶苦茶過激なものにすら思えてくる。

「昔ながら」というものがほぼ変容してしまった現在、過去に「あたりまえ」だった習慣や言動を再演することは困難を伴う、というより絶望的である。福原さんは上記のような彼の考えを「原則」とも呼んだ。たしかに、それを「原則」に設定するのは美学としても標語としても素晴らしい。だが周囲を見渡せば世の中原則違反なものばかりだ。すべての世の中は金金金のままであり、あらゆるものはコンビニエントになっていく(その反動としてのDIYブームやらオーガニックやらはここでは捨象する)。それを理想論ではない現実として、人は生きていけるのか。

誰かが野菜や米を作らないといけない。物流が止れば、何も入ってこなくなる。そうなると待っているのは全滅だろうから、まず自分自身や家族のためだけでも野菜か何かを作るべきなんだろうと頭では分かる。だが眼前には無数の雑事や仕事や育児がある。なのでやるからにはそれが仕事にならないと生きていけない。「べき論」では色々目につく。いたるところにある耕作放棄地は耕されるべきだ。田んぼに帰るのが人に産まれて最も安らぐ営為なのかもしれないので、実際やるべきだ。だけど農業を取り巻く現実は日増しに厳しくなっている。結局人は「べき」よりも「だよね」論で動いてしまうものである。それらの問いや懐疑や落胆、すべてひっくるめたものに対しての答えになるかもしれない。この福原さんのインタビューは僕にとってそういう存在であり、それほど目からウロコな代物であった。

だがいかんせん長い。これでは誰も見てくれない。そう考えて映画版本編の中で23分あったこの章を、今回10分にまで切った。カラコレをやりなおし、新たな音楽をちょっと足し、未公開カットなども挿入した。というわけで本編とはまったく別物となったと思う。内容が簡潔になり、論点がはっきりした。実は本編の編集でもこの章は一番苦戦したところであり、今見れば冗長で中だるみを起こしていると感じられる。

2013年当時の僕の技量では、それを編集することができなかった。なにか違うなあとは気づきながら、どうにかする編集力がまだなかったのだと思う。だがそれだけじゃない。たぶん自分の農村や田舎暮らし、現社会全般に対する無知が一番の要因だったろう。無知だったからそれを訊ねたのだが、お恥ずかしながら無知を晒しただけになってしまっていたかもしれない。

…なんだ森と人との関係はそんなふうになっていたのか…獣害の本質的問題とはそこにあったのか…理想主義的に生きることって「あたりまえ」だっのか…等々。少しだけ未熟な過去のワタクシを弁護するならば、感激した話をそのままの形で他の人々に伝えたかったのだと思う。

今回再編集するにあたって、この冗長さをばっさり切った。「編集力」がついたというより、自分がちょっと年をとり、考えが更新されたことの方が大きいだろう。5年以上が経過した今、改めて「あたりまえ」を考える。

私見に過ぎないという前置きをまずして、上記の原則に則り、有機の食べもののみを作り、自然環境をまもり、マチと共生する…だけでは2000年代の我々は絶対にやっていけないはずだと思う(やっていけていたらすみません)。今はその認識が「あたりまえ」であろうとも。田舎はどんなに息巻いても助成金や補助金という「お小遣い」なしでは、やっていけないのだ。人も減り続け、マチに吸収されていく一方だ。ではいかに自問自答し、「お小遣い」から自立するか。原則的理想論と冷淡な現実論の水と油を、いかにミックスさせて次代へのドレッシングとするか。

バカなので思いつかないという前置きをまたして例を挙げるならば、たとえばマチ(移住者でも Uターン者でも)の人が村に入って「あたりまえ」の枠におさまらないことをやる。農業だけではなく、破壊を伴わないような新しい産業作りを考える。見落としている何かを探して、価値を取り戻す(もしくは新しい価値をつける)。「まもる」ことと「変える」ことを明確にする。百姓=百の業(仕事)という本義に戻り、半農半Xではないが、複数の仕事をして収入を得るというイメージをもっとポジティブなものに変えていく…等など。全然言葉もアイデアも足らないが、とにかく言いたいのは選択肢を増やすことだ。もっと多様にすることだ。(枠におさまらないことをやるといって、枠組みそのものを壊してしまったり、その地のルールを度外視していいということでは無論ない)

「これだ」という明確な答えなどおそらく出ることはないが、災害時にあらゆる角度に逃げれば誰かが助かる式に、あらゆるオプションに挑むことだ。僕自身がこの四国の山奥で一次産業に従事せずに映像作家をやっているというのもまた、一つのオプションかもしれない。まさか自分が東京を離れてこんな生活を選ぶとは思ってもみなかった。

来るのは簡単、留まるのは感嘆なんていう寒いダジャレはおいといて、自分がすぐさま都会へトンボ返りしなかったのは、『産土』をやっていく中で様々な話を聞いたからだと思う。それが自分のエッセンスになっていったんだろうとも思う。けれどこの再編集をしながら思い出した。本映像では残念ながら切ってしまった福原さんのインタビューの或る一節に、自分は決定的に影響を受けていたのだと。

それは獣害についての話だった。クマやイノシシは里の付近に降りてきて、そこで子供を生む。子供らはそこで育ち、自然のものよりも人間の作物やらを食べる。彼らを捕獲して山に返しても、もうどうやって山で生きればいいのか分からないし、結局また里へ降りてきてしまうのだという。そしてそれは僕らの現在と構造がまったく同じだとも彼は言った。戦後、全国の農山村や漁村の若者たちが都市に行き、そこに根づいた。その子供たちはじいちゃんばあちゃんの住む田舎に戻っても、Iターンしてもどうやって生きていくか分からない…その姿と一緒だと。

僕のオヤジ(S10年生れ)は15で東京に出て写真屋の丁稚をする前は、長野の山奥でアブミなしで馬に乗って放牧させていた(モンゴルの草原かよ)。薪拾いが早晩の日課だった。爺ちゃんは馬喰をやって薪を売って歩いて生計を立てていた。数代前の先祖はオオカミをカマで倒した…そんな話を聞かされてはいたが、幼い頃の自分にはそれはSF同然の話であった。僕はのっぺりとした千葉のベッドタウンの只中で生れ育ったので、山村の暮らしは外国で暮らすよりも不思議な感じがした。とにかく僕と僕の子供たちは山に帰った。これからどうするかは、やってみないとわからない。まったくもって里で産まれた一匹のクマであり、タヌキと一緒である。

福原さんは、国家が百年の大計でそれを考えねばならないだろうと言った。農林家(農業と林業などの兼業を行う人という福原さんの造語)では話が大きすぎてどうしょうもないと。だが僕らは国が面倒見てくれることなんて絶対ないのを知っている。百年の大計など、Jリーグ百年構想のようなもので、なんら内実も具体もない。それを埋めるのは僕らだ。どうやってマチとヤマを往復し共生するか。過去を礼賛するんじゃななく改めるものは改め、学べるものがったらそれをを取り入れれるか。それすべて僕ら個々の人生のなかで答えを見つけ、次の代へバトンを渡さないとならない。

僕はこの『産土』というシリーズを通じて、映像を通じての「生きるヒント」を作れないかと考えている。誰かに話を訊いて回り続け、どうしたらいいかを探るのだ。上記を踏まえて言うならば、これは僕なりの「ドレッシングづくり奮闘記」なのである。
(続く)

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