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「生きていく方向」 渡邉嘉蔵さん(飯田市元副市長)インタビュー

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渡邉嘉蔵さん(昭和29年3月生まれ)

——まずいきなり単純な質問ですが、飯田市ってどういうところですか?

渡邉:飯田ってどういうところ?(笑)…難しいな、どういう点に着目してってところになるんだけど、今「多様性」って言葉が一つのこう、時代のキーワードみたいに色んな所で言われてるけど、そういうことから言えば飯田ってまさに色んな面でほんとに「多様性に富んだ地域」ってことが言えるんじゃないかな、っていうふうに思いますね。例えば文化しかり、自然環境しかり、産業構造しかり。広い意味で多様な環境の中で、色んなライフスタイル、色んな生活の営みのあるところ。まあ一言で言えばそんな感じでしょうかね。

——僕ら着目しているのが「森と暮らし」や「森の中での生活」というもので、それで今回やってきたんですけれど、そういう論点で着目点からすると飯田はいかがですかね?

渡邉:あの、まあ歴史的に言えば飯田の旧市街地が城下町ですからね、そこがまあ政治とか経済とかの中心ということなんだけど、それを支えてきたのが周辺の豊かな農山村なんですが、その農山村では非常に林業が盛んで、山と共に人々の暮らしが成り立っていたという事があると思いますね。今も飯田市が林野率が85%っていう状況なので、なかなか現状はうまく(林業を)生かしきれてない状況もあるかなとも思いますけど。歴史的にはそんな成り立ちを持ってる場所だというふうに思います。

——今現在の林業はどのような形なんですか?

渡邉:やっぱり全国の状況と全く同じだと思いますけどね、外材に押されてどうのこうのって問題もあるし、建物自体もやっぱりその伝統的な木造建築が減ってきてるとか、そもそも住宅の着工件数が減ってるとか、色んな状況があって、中山間地域は少子高齢化という状況の中で山に充分手が入らないっていう状況、基本的にはそういう状況があって、そういう中で長野県の場合は「森林税」というような事で、その里山の整備とか間伐みたいなものに、そうしたもの(森林税)を材源にして山の手入れを進めていこうとかという事を進めて頂いていますし、地元でも森林組合を中心にして(建築)用材なんかの部分でもやってこう、或いはペレットというような形で化石燃料に変わる燃料として新たな用途やなんかも開発しながらやっていこう、というような事なんかも地道にというか始めてるという状況ですかね。

——「森林税」っていうのは全国ほかにも?

渡邉:ちょっとそこはあんまり正直不勉強なんであれけども…

——普通の市民税の中から取っているという事ですか?

渡邉:はい。県民税として「森林税」を頂いているという事です。

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——ここは飯田市の中でどのような場所・位置づけなんですか?

渡邉:元々この遠山地域は、「上村」という村と「南信濃村」という二つの村があったんですけどね、平成17年の10月に飯田市に合併したところなんです。ここは元々林業やなんかでずっと生業を立ててきたところだというふうに思いますし、今ではですね、もうひとつは伝統文化といいますかね、民族芸能なんかが残っていて、そういう面も含めて飯田市の重要な魅力の一つを構成している地域だというふうに思います。

——この下栗地域が「遠山郷」という場所なんですよね?

渡邉:ここはまああのー、上村下栗という地域なんだけれど、南アルプスと向かい側に伊那山地というのがあって、その間が「遠山谷」と云われているところですね。

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拾五社大明神にて掛け踊りを撮影する筆者(左端)

——他で見たことのないようなお祭りがあると聞いていますが?

渡邉:うんそうですね。「霜月祭」といって全国津々浦々から神様が集まってきていうような「湯立の神事」なんかが有名ですし、宮崎駿監督が『千と千尋の神隠し』だったかな、こうインスピレーションを得たというか、なんかそんなようなお話も正確ではないかもしれませんが、お聞きはしていますね。

——書物でまず遠山のことを知りまして、民俗学の野本寛一先生の本だったんですけど、「廃村」というものについて書かれていたんですが、「廃村の現状」というものをお聞かせいただけますか?

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渡邉:「限界集落」という言葉が割合使われるんだけど、その言葉が僕自身ちょっと抵抗があって、そこで住んでる人達の生き様というか、想いというか、そういうものを必ずしも正確に表している言葉ではなくて、色んな状況の中で住民の人達は、一生懸命という言い方がいいのか分からないけれど、ほんとにそこでの暮らしを…なんていうのかな、「楽しんでる」というのもちょっと語弊があるかもしれないけれど、そこでほんとに輝いて暮らしておられるので、まずその「限界集落」とかね、確かにその色々データ的に見れば色んな分析ができるのかもしれないけれど、それとはまた違ったものがあるということをひとつは念頭に置いておかなかればいけないなとは思いますね。
 ただそうは言っても、高齢化が進めばその地域がどういうふうにやっていけるかという問題は当然あるんですけどね。飯田市の場合は大平(おおだいら)という集落がありましてね、飯田から木曽へ抜ける街道の途中にあって、そこがですね昭和40年代に集団離村をこれはまあ政策的に、離村をしていただきました。結局その、大平は冬場が非常に厳しい地域で、中々市としてきちっとまあ、こう…なんていうかなあ、住民の方々の安心安全を中々十分に守れないとか、色んな状況があったんだろうというふうには思いますけどね。僕がまだ中学校の頃でしたから。そのお僕が通っていた中学校の校区なので、そこの同級生は冬場は寄宿舎があって、そこでその集落の人たちは共同生活をしていたというのがあるんだけど。

——それは学校に家からは通えないということで?

渡邉:そうそうそう、冬場はね通うの大変だから、当時は今と違って雪の量がいまより少し多かったし、除雪やなんかが非常に大変で、っていうことはありましたね。そこの人達は今結局どっか一箇所にまとまってということじゃなくて、まあ三々五々それぞれの所へ、散り散りになってしまったという言い方がいいかどうか分かりませんけどね、飯田市の中で暮らしておられる方もいますし、県外へ出られた方もいらっしゃいますし、という状況ですね。

——なるほど。お墓とかはどうされてるんですかね?

渡邉:お墓…をどうされてるかそこまでちょっと承知してないんだけど、持っていかれてるのかな、移されたのかな…あ、ただね、そこにお宮があって、年に一回お祭りの時には皆さんそこへお集まりになる、ということを今でもやっておられるようですね。ただ段々、代も変わっていくとね、そういうのもどうなっていくのかという問題はあるかもしれませんね。

——あのぉ、リニアモーターカーが開通するというのを伺ったんですけど、竣工は予定ではいつされるんですか?

渡邉:JR東海さんの計画では2027年というふうに言われているので、あと15年後ということになりますね。

——それが開通すれば東京までどれくらいで行けるんですか?

渡邉:えーっとね、品川まで40分、名古屋まで20分、そういう時間距離ですね。今新宿まで高速バスで4時間、名古屋まで2時間という時間距離ですから、それがまあ圧倒的に近くなりますね。

——開通されるとどういうふうに町の変化があると思いますか?

渡邉:飯田市と周辺の1市3町10ヶ村で「南信州広域連合」というのを組織して、色々共同でやろうということをやってるんですけど、リニア時代のこの地域をどうしていくかということで、去年今年辺りから色々検討してきて、で、リニア時代のこの地域の将来像みたいな事の一つに、「小さな世界都市」みたいなことを掲げてるんです。この中身に関してはまだまだしっかり住民の皆さんと議論していかなければいけない部分もあるんだけど、僕なんかが思うのは、えー世界都市、まあリニアで品川まで40分名古屋まで20分ですからもっというと、羽田、あるいは中部国際空港ていう国際空港とだいたい1時間という時間距離になるんですね。そんなようなことを踏まえながら「世界都市」という言い方をしているんだけど、それはグローバリゼーションに乗っていこうということではなくて、そういう時代こそ、要するに「ローカル」に徹していくこと、ようするに地元色というかね独自色をきちっと保持していくことが、なんていうかな、「価値」を生むという言い方がいいかどうか分からないけど、この地域の一つの生きて行く法則じゃないかなと。
 リニアで便利になるんだけど、その便利さというものはうまく使いながらも、この地域の文化的なものも含めて特徴というのをとにかく失わないようにしていかなければいけないなと、今痛切に感じていますね。それこそがこの地域の一つの「生きていく大きな方向」じゃないかな、ということを感じていますけどね。

——これだけの高所に人が住まわれるってなかなか地域的な特色だと思うんですけど、今後どんどん高齢化が進んでいくなかでどのように対策をお考えになられていますか?

渡邉:あのうやっぱり一つは、きちっと生活っていうか暮らしが成り立っていくということをどういうふうにサポートしていくか、あるいは環境作りを支援していくかというのところがあると思いますよね。あとは基本的な部分としては、これもよく言われていることだけども、(下栗に)住んでる人たちが飯田市も含めてなんだけど、住むってことに対して誇りを持ってそこに住んで頂けるというような事がやっぱり大事だと思うんです。
 こういう地域って言い方がいいかどうか分からないけど、確かに観光としてスポットで来る分には綺麗だなぁで済むかもしれないけれど、1年365日暮らしていくにはやっぱり色んな事があるわけで、ただそれがこういう環境の中で展開できていくっていうことに対して、どういう誇りとか喜びとかを感じて頂けるのか、或いはここの場で生活の糧を得られればそれに越したことはないんだけれども、ここできちっと暮らしていけるような経済的基盤というか、基盤作りにどういうふうに支援できるのか環境整備ができるのかなあと。それはここばっかりではなくて、飯田市全体に言えることじゃないかなというふうに思いますけどね。

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——何か言い残された事とかありますか?

渡邉:さっき言ったことにも繋がるんだけど、パッと見て「綺麗だなぁ」はいいんだけど、ただそういうことだけで通り過ぎてしまう、そういう人達もいるかもしれないけれど、それをきっかけにしてもうちょっと何かということをもう少し考えていかないといけないかなと。こう観光で一時的なブームで消費されてそれで終わってしまうというのが、やっぱり一番地域にとって不幸なことで、それとこういう環境ですから、やっぱり人が来て頂くにもキャパ・限界があるんですよね。だからほんとにその細くというと語弊があるけれども、長続きするような事をやっぱり考えていかなければならない。だからその、まあ「本物の生活」というか「本物の文化」というか、その地域としてもきちっとそれを保持していくことが大事かなということは思いますけどね。「売り惜しみをしよう」と言ってるんですけど、ブームに乗らないように。ちょっとね、僕は天邪鬼なもんで、世の中がこう右に大きく動こうという時はね、全体が大きく右に行こうとしている時は、やっぱりちょっと左も大事なんじゃないの?ということを考えていくことが大切なんじゃないかなという気がするんだよね。

——バランス感覚というか?

渡邉:まあそうかもしれないですね。

——飯田市はこれから飯田で生まれ育った若い世代の人たちをどういうふう地元に呼び戻したいのか、どう助成していきたいかとお考えですか?

渡邉:えっと今の市の政策の重要な柱の一つに、やっぱり「人材のサイクル」という言い方をしているんだけども、言ってみれば若い人達がやっぱり勉強とか色んな興味があって一度は都会志向というかね、外に目が向くっていうのがね、これはある意味では当然なことなんだけど、若い人たちがなかなか飯田に帰ってこようと思っても帰ってこれない、それはやっぱり何かっていうと一番は勤める場所がない。そういうと語弊があるんだけど、勤めたいと思うような場所が中々ないということがあって、一つは故郷に誇りを持って住み続けようというマインドを持った子どもたちを育てていかなければならないってこともあるんだけど、それともう一つ帰ってこようと思った時に、大学や何かで学んだ事が実際にこの地域で活かしていけるような、そういう受け皿というようなものをもっと作っていかないといけないかなあ、という事ですよね。

 今まあそいうようなことのために色んな事をやろうとはしているんですけどもね。この地域はここの霜月祭というのもそうだし、色んなお祭りもそうなんだけど、歴史的に東西交流というか日本の中でも東西交流やなんかが要衝だったわけですよ、ここは。いくつかの街道が交わってるし、天竜川の水運ももあったりして。いろんな人がここへ来ていろんな文化を落として、それをこの地域で育んでいたっていう歴史があって、元々は外との交流によって文化的にもあるいは経済的にも豊かさを保ってきているという歴史的な背景があるから、それを今度リニアの時代に向けてね、新たな交通交流の基軸ができるということを活かして、それを未来に向けて新しい時代に向けて、そのことをどういう形にしていくかという事が非常に大事かなと。だからローカルに徹する地域文化といっても、なんていうかなあ、古い形をそのまま保っていけばいいという事ばっかりでもないとは思うんだけど、ただそれはやっぱり地域が主体性を持ってそういう動きに関わっていくということじゃないかなあと思いますけどね。

——移住についてですが、たとえば僕ら徳島の神山では、移住したい人がいても家がないという状況がありますが飯田はそのような状況はいかがですか?

渡邉:飯田でもIターンといったことはやっているんですね。そのやっぱり廃屋とは言わないですけど、一応空いてる民家とかあるんだけども、ただやっぱりお盆の時期に帰ってきたいとかそういういろんなことがあって、なかなか貸していただける事が、そういうマッチングが上手くしきれていない。だからそれは市として施策でやってるんだけど、それはねあの大南さんの所へ行って、ようするにグリーンバレーが仲介をやってるというかグリーンバレー自体の主要な事業の柱ということをお聞きして、NPOというかね民間の人たちが中心になって、やっぱりお互いに顔が分かるような形でそういう仲介をしていくというのが非常に大事というか、機能するんだなということを改めて勉強させていただきましたけどね。
 政策的には、市で住宅を安価に作って、そこに住んでいただいてみたいなことをそれぞれの地区の自治会と協力する中で、そういう施策なんかをやってるんだけれど、なかなか数的にはね(苦笑)。ちょっとそれが目につく形で動くところまではちょっといってないかなと。これは大南さんにお聞きして、人口減なんかを将来推計する中でそれをきちっと企画する中で、じゃあ毎年何人くらい呼んでこようと、そういうことが大事かなと思いますね。ただやっぱりその時一つ大事なのは、その地域の中にきちっと「同化」してもらえるかというのが大事で、外から違ったものを持ち込むというのはそれはそれで一つ大事な事なんだけども、ただいつまでもそのこと、殻に閉じこもっておられるっていうのは困る話で、この中で自分の独立した小さな世界を作ろうっていう方は、あえて言えばちょっとそれはどっちでもいいかなと。違うものを持ち込みながらまたそこで、というような方たちをね、言ってみれば相思相愛じゃないんだけど、そういうところがミスマッチが起こらないような情報発信やなんかをうまくやってくってことが非常に大事なんじゃないかなとは思いますけどね。(了)


撮影場所:

下栗天空の里





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