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やさしい

 その電車は、駅に着くたびにあんぐりと大きなその扉を開けて、人たちをどんどんと乗せていきました。乗ってくる人たちは、みんなぎゅうぎゅうに押し込められています。ゆっくりと電車が走り出します。窓からは半分くらいかじられた月がだす光が入ってきて、真っ暗な車内を頼りなく照らしています。かたんかたん、かたんかたんと、滑るように走る電車と、それをずしんと支えるレールの間の少しばかりの摩擦が柔らかい音となって聞こえます。

 月明かりに照らされた人たちはみんな、やさしい顔をしていました。にたーっと笑っているわけではありません。疲れて寝てしまっていたのです。ある人は隣の人と肩を寄せ合って、狭い横長のシートの上で寝ています。またある人は前の人とおでこをくっつけあって、立ったまま寝ています。だーれもそれをおこる人はいません。お互いに寄り添い合って、限りある大切な時間を一緒に過ごそうとしているようでした。みんないろいろなところでたいへんなことをしていますが、どんな人も結局ここにくればやさしい気持ちを取り戻すのです。

 時々駅に着きますと、眠そうな顔をした人を見つけては電車が大きな扉を開けてその人を車内へ招待しますが、反対に降りようとする人は誰一人としていません。それほどに心地がよいのですから。
 それではなぜ、心地がよいのでしょうか。
 この電車がみんなに魔法をかけるから?いいえ私はそう思いません。
 それでは、この電車がみんなになにか夢でも見せているのでしょうか?いいえ違うと思います。

 でしたらこの電車はどうしてこんな風なのでしょう?
 私は、人間のやさしさのおかげだと思います。本当はみんなやさしいのに、なぜだか自分のまわりにチョークの粉でいじわるくまーるい円を描き、それより中に入ってくる人を見つけてはいらいらしているのです。だから、チョークの円より外側でなにか楽しいことが起きても、それをやさしい目では見ていられず、どうしてもうらやましがってねたんでしまうのです。変なところでいじわるするから、自分がいやな気持ちになってしまうのです。
 しかしだからといって、まーるい円をつくることが悪いこととは限りません。だって現に、この電車はまーるい円でかこまれているから、やさしい世界をつくりだせているのです。みんなが安心して寝ていられるのは、チョークのまるのおかげなのです。
 すてきなまるだって、すてきじゃないまるだってあるのです。

 あら、まるにかこまれた電車は、また次の駅で新しいお客さんを乗せたようです。今度はどんな人がやさしい顔を見せてくれるのでしょうか。
 そんな楽しみを持ちながら私は、眠りについてしまいました。やさしいやさしい、なんともすてきな眠りでした。ですから、これ以上のことはお話しできません。

 しかし心配することはありません。この電車はきっと今日もどこかを走り続けているからです。あなたがこの電車に出会ったときに、みんなのやさしい顔をじぶんで目に焼きつければいいからです。ひょっとしたらそのときには、この電車はもう電車のかたちをしていないかもしれません。それは誰にもわからないのです。しかし気にすることはないでしょう。あなたがするべきことはもうわかっているのですから。ただやさしい気持ちで、眠りにつけばいいのです。安心してさえすれば、いいのです。

 ある夜、ふらっと入ってしまったその電車の中。こっくりこっくりしていた私が薄目の向こうに見た、それはそれはやさしい、暗い夜の中でひときわかがやくすてきな世界のおはなしでした。


2020

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