色々なことをぶちまける絶好の場、note

自己紹介

こんにちは、キシュカです。
都内の大学院で研究者擬きとして、日々、惰眠を貪るキシュカです。
趣味はピアノ、読書、コーヒー、筋トレ、ゲームです。
すごく多岐に渡りますね。なぜでしょう。そのうち話すと思います。

名前の由来はロシア料理です。
私はキシュカ、ピロシキ、ボルシチというロシア料理の名前が非常に好きなのです。食べたことはありませんが、音の響きが好きなのです。響きの特徴はこんな感じです。
ぜひ発音しながら読んでみてください。私の言いたいことがわかると思います。

  • 「キシュカ」・・・鋭利、崇高、統一性

  • 「ピロ」・・・お茶目の中に垣間見える鋭さ

  • 「シキ」・・・凛々しい、四季

  • 「ボル」・・・濁りの中の心地良さ

  • 「シチ」・・・かっこいい、死地

いつもこの3つの中からどれかを選びます。
そんなわけでnoteではキシュカという名前でやっていきます。

思想的な何か

初っ端から思想を語るのもどうかとは思いますが、何かをぶちまける絶好の場なのでやっちゃいます。

子供のころは何にも縛られずに自由になりたいと思っていました。大人になれば自由になれると思っていました。
自由とは、「面倒なことは何もしなくてよい状態」だと思っていました。
しかし、齢23にして未だ望んだ自由は訪れません。
もう今年で24になりますが、歳を重ねたとて自由が訪れそうな気配はありません。まだモラトリアムなのに。生きるためにやらなきゃいけないことが多い。

あれ~?おっかしいな。
まあ、でもいつか自由になれる日が来るだろう。

いつか自由になることを思い描きながらとにかく目の前の課題に取り組んで大学生活を過ごしていました。
そして、就活が始まり、社会人になるための準備が始まると…

あれ~?おっかしいな。
社会人って自由から程遠くね?

そして気づきました。
生きるために必要な面倒くさいことをしなくなったら、見かねた誰かが私を生かしてくれるだろう。
だけど、それって私は生かされてるだけで自由に生きているわけではないのでは?

つまり、「自由」とは「選択すること」であって「何もしない状態」ではない、という結論に至りました。
こう考えると、人は生まれながらに自由なんですね。

自由という言葉は副詞であって名詞ではなかったということですね。苦手だった国語が初めて活かされました。
辞書で引いたらなんて書いてあるかは知りませんが。

面倒くさいを愛して、noteを書く

皆様お気づきの通り、自由に生きようとするなら「何もしなくていい状況」は生まれない訳なのです。

私の好きな言葉に「喜怒哀楽を愛する」という言葉あります。これはとあるゲームをプレイしている時に出会った言葉なのですが、いつまでも心に残っています。
私は面倒くさいを含むすべての感情を愛しながら、選択する自由を謳歌して生きていきたいと思っています。

そして、その一つの自由な選択としてnoteを始めました。
今後は、日常の思ったことなどを書いていく予定です。

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