坂井禎介(建築史家)

国立大学法人奈良女子大学生活環境学部住環境学科専任講師 日本の建築や庭の歴史を研究して…

坂井禎介(建築史家)

国立大学法人奈良女子大学生活環境学部住環境学科専任講師 日本の建築や庭の歴史を研究しています。 博士(工学) 詳しくはリンク https://researchmap.jp/sakaiteisuke

最近の記事

竪穴建物の土葺屋根は快適なの?

先日、岩手県の御所野縄文公園に行ってきて、縄文時代の竪穴建物の中に入り、当時の空間を体験してきました。ここは、初めて竪穴建物を「土屋根」で復原したところです。 それまでは普通ススキなどをつかった「茅葺」で復原されてきたんですね。しかし、御所野遺跡では、ススキの遺物が発見されず、樹皮や焼けた土などしかでなかったことから、屋根は「土葺」だろうと推測し、復原がなされています。 しかし、、、、 私が実際に行くまでは、土葺は煙がこもって、夏は暑くて、不快な居住空間ではないか!??

    • 藤原道長の理想の寺(栄華物語にみる)

      藤原道長は、平安時代に権力をほしいままとしましたが、最期には、僧侶となると共に、来世に極楽浄土(一切の煩悩やけがれの無い、仏さまや菩薩さまが住む清浄な国土)に行けるよう、さまざまな手を尽くします。 なんと!道長は、法成寺という自分が極楽浄土にいくための、自分専用の寺を作りました。えらい贅沢なものですね。その寺に込められた思いが、平安時代の歴史ものがたりである栄華物語からよみとれるので、紹介します。その寺の造営の様子が事細かに記述されます。 道長が、寺の造営中に度々建築現場

      • 大名庭園(旧徳島城表御殿庭園)

        旧徳島城表御殿庭園は、国が指定した名勝で、なんと50円で入園できます。かっこいい石組みの庭でした。 歴史元は徳島城の、将軍の政務などを行う住まい(表御殿。裏御殿は、日常生活の住まい。)の中にありました。明治政府の出した廃城令により、建物は壊されますが、庭園は残っていました。昭和16年に国の名勝に指定されますが、昭和20年の空襲により庭も焼失しました。どの程度の被害だったかは調べていませんが、おそらく石は残って、樹木は焼けてなくなったでしょう。 庭の特徴国の名勝に指定された

        • 広島藩の江戸時代の大名庭園 縮景園

          広島の縮景園に行ってきました。1620年に、広島藩初代藩主浅野長晟の別邸として築庭されました。作庭者は上田宗箇です。上田宗箇は、あまり有名でないですが、広島『縮景園』、和歌山『和歌山城 西之丸庭園』、『粉河寺庭園』、そして『名古屋城二之丸庭園』と複数の大規模な大名庭園、かつ国指定文化財庭園を手がけている名作庭家でした。 『縮景園史』(広島県編、令和3年)に記載される、1713年に書かれた「縮景園記」の文章と私の写真を使いながら、庭園の紹介をします。 なお、この庭園は原爆により

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          平安時代の貴族庭園

          『平安時代庭園の研究』(奈良文化財研究所、2011.3 奈良文化財研究所学報, 第86冊 研究論集;17 、古代庭園研究)の、倉田実先生による「文学から見た平安時代庭園」の記述が興味深く、皆さんに紹介しようと思います。 ・原文 「源氏物語」の記述から庭園の使い方を分析したものです。まずは、原文を見ましょう。胡蝶の巻の船楽の段です。六条院が完成し、春爛漫の行事として、春の町で船楽が催された記述です。 この文章は、平安時代庭園を、植栽、使い方、遊び方、視点などの点で分析する

          平安時代の貴族庭園