大名庭園(旧徳島城表御殿庭園)
旧徳島城表御殿庭園は、国が指定した名勝で、なんと50円で入園できます。かっこいい石組みの庭でした。
歴史
元は徳島城の、将軍の政務などを行う住まい(表御殿。裏御殿は、日常生活の住まい。)の中にありました。明治政府の出した廃城令により、建物は壊されますが、庭園は残っていました。昭和16年に国の名勝に指定されますが、昭和20年の空襲により庭も焼失しました。どの程度の被害だったかは調べていませんが、おそらく石は残って、樹木は焼けてなくなったでしょう。
庭の特徴
国の名勝に指定された時の説明は以下です。
これがこの庭園の特徴を端的に説明していますので、どのような意味か、詳しく解説します。
・おそらく16世紀末の桃山時代の庭園だろう。
16世紀末は、鑑賞主体の中世の庭園から庭の中で自由に動き回りダイナミックに景色を変えていく池泉回遊式庭園へ移行した時代の典型であろう、とするのです。
・水のない枯山水庭園と、築山がつく池庭の二種の庭園が複合している。これも、中世の禅寺方丈でよく見られる、石を主体で構成(一部は樹木あり)された枯山水と、近世の池庭主体の庭園が複合しているという点が特徴的である。
・池庭は上から見て「心」の字にみえる心字池があり、庭の東北隅には物見台である築山がある。
当時、色、というのは大変な貴重品で、今みたいに安いペンキのようなもので色付けはできず、宝石のような高額な鉱物や漆をつかって初めて赤や青などの色をつけることができました。庭園において、青い石や赤い石は大変珍重され、わざわざそれを買い付けて自分の庭に使うこともよくありました。しかし、この庭園では青石(緑泥片岩)を大量に使用しているのです。徳島藩にお金があったというより、近くの眉山から大量の青石がとれたために青石を使えたのです。ラッキーな立地だったのです。緑泥片岩は、銅鉱山があるところの銅イオンで青く変色した砂が石化した石です。徳島、和歌山、三重南部でしか取れない、全国的には貴重な石です。
それが、「緑泥岩ヨリナル青石ヲ多數使用」という言葉にこもっています。おそらくこれを書いた文化庁の人も、青石が多数使われていることに驚いたことでしょう。
石橋
この庭は巨石を使った石橋が多用されています。将軍ですから、その大きな形態が好まれたでしょうし、それだけ大きな石をとって来させるほどの財力も誇示したでしょう。
青い緑泥片岩の、幅1m、長さ6mほどの大石です。堆積岩はそこまで強度が高くないはずですが、よくこんな大きな石を持ってきたものです。。。と思ったら、中央で割れて後で補強されていますね。やはり長い年月の中で割れてしまったのでしょう。
この青石を渡った先には、今度は趣向を変えて白い花崗岩の石橋です。
蘇鉄
武家にはソテツが好まれました。やはりこの庭園でも蘇鉄が植栽されています。戦後の樹木でしょうが面白い形をしていますね。
石垣
ちなみに、この庭の北には本丸の石垣が残っていますが、ここも青石を使っていました。他の藩では貴重だったでしょうが、徳島ではよく取れるのでこのようなところにも青石が使われています。