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日記/つぶやき/承認欲求

おはようございます。 朝起きた時に感じる、この違和感は承認欲求なのではないかと思いました。 自分は自分のやりたいことを信じたいと思います。自分は遊ぶために生まれてきた、楽しむために生まれてきた。そう信じてます。

    • 日記/つぶやき

      おはようございます。 最近、なかなか変わらない、同じような日々が続いております。でも、私は変わります。変わることを選択します。具体的にどう変わるかって?そりゃ、自分の楽しいことをして、叶えたい願望を掲げて、今この瞬間の意思決定や行動に意識を向けて変えていき、捨てるものは捨て、必死に願望へと歩いていくのです。

      • 大人の子還り

        人は、不幸や困難な状況にいるとき、頭で考えてその解決策や原因を探ろうとするらしい。でもそれはどうなのだろうか。 最近思い出した。 私は小さい頃、自分が困難な状況にあると肌で感じていても、「なんとかなる」と思って、常に明るい気持ちを持ち続けることにしていた。でもいつしか、「人は困難な状況にあるとき頭で考えて、その解決策や原因を探るらしい」と気づいた。その時、自分は「自分も考えなきゃいけないんだ」と、自分も頑張らなきゃいけない、みたいな念に囚われた。 はっきり言って、洗脳だ。

        • 自分との対話5

          かわいい自分でいよう 大人でなければならない、賢くなければならない、そんな思い込みが邪魔をする。そんな思い込みが、私に暗雲をもたらす。だからやめよう、こうすると、子どもの頃のことを思い出せる。きっと、これでいいはず。 面白くなくなった 世の中面白くなくなったなぁ。周りのせいにしてみる。昔は、みんなで勉強して、みんなで遊んで、スポーツして、みんなで食べて、みんなで喋って、みんなで帰って、みんなで仕事して。 まあ、今この瞬間を生き抜くしかないんやけど。なんか、周りも面白く

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          自分との対話4

          面倒臭いからやりたくない 「面倒臭いからやりたくない」。じゃあ、手放しちまえよ。本当その通りだ。自分のやりたいことやって、その先に稼げる未来が待ってるかもしれない。いや、待っている。「でも......」とか挟む余地ない。あぁ、面倒臭い......。まあ、そっちもそっちで探りますか。 いや、待てよ。面倒臭いからやりたくないってよりも、今余った時間を、自分のやりたいことのために使えてない説あるぞ。だからだるくなる。 自分のやりたいこと 「自分のやりたいこと」ってなんだろう

          自分との対話4

          自分との対話3

          人のため そもそも、「人のため」と「自分のために」って、明確に区切りをつけようとするからいけない。そこに明確な区切りなんてない。非常に曖昧。きっと今の自分の文章は、人のためでもあり、自分のためでもある。 その割合は今は4:6ぐらいかな?その割合を、少しずつ、じりじりと、漸増させていければいい。 思考は幻想 やはり思考は幻想。迷った時、どうすればいいかわからなくなったとき、とりあえず脳に頼るのはやめた方がいいと思う。多分。なんか、脳って、不安を抱えやすい、思考っていうの

          自分との対話3

          自分との対話2

          まあ、正直自分が満たされているかというのが重要なわけですね。 自分が満たされていて、文章を書ければ、それが少しは伝わる。 人の役に立てるかなんて気にするのは、余計なお世話なわけですか。 わたしゃ、まだその域に達してないわけですね。 まあ、でも自灯明でいること。自分が明るければ、人が寄ってくる、「明るい」、「温かい」って言って。 それを目指しましょ〜 何のために いや、ちょっと待て、自分のために書く以外に何がある?人に知識を教えるため?それは「おれ、こんなこと知っ

          自分との対話2

          下書き_未完

          自分の気持ちに正直になること。それは自分の弱さを認めることでもある。 このノートを書いていると、自分の強さを見せつけたくなる 自分は一人で駆け上がってきたからか。 最近紆余曲折あって、自分の認識がずいぶんあっち行ったりこっち行ったりした。 思考しないこと、気持ちを大事にすること、お金を稼ぐこと お金を稼ぐとこをイメージする。具体的にはスーツを着た所得の高そうなおじさんから、1万円札を受け取っているイメージ。 夜、飲食店の並ぶ通りで、私は達成感と満足感、少しの慈悲、

          下書き_未完

          自分との対話

          (自分との対話です。この記事を読んでくださるあなたのために書けていません。じゃあ、なんで発信するんや......。でも、自分はこう考えている、こういう方向性でいる、ということを共有するだけでも楽しいような気がする。「俺はこんなことを考えている」「えっ、君そんなこと考えてんの、面白い!」って、それだけでいいような気もする。要は話し相手いないんでしょー......あっ) 仕事が決まりそうだ。 解体の仕事だ。 能登復興の。 でも失わないようにしたい。 この、人生と仕事が一

          自分との対話

          取捨選択

          (メモをそのまま掲載、乱文乱筆、勝手なことも言ってます) もう1人でうじうじしてる時間は終わりだ 確かに1人じゃないと学べないことはあった 1人だからこそ他人を排除して自分オリジナルの考えに近づけた 自分の小さい頃からの感覚を取り戻せた 私は意図的に選んだ 一人でいることを その方が偉いと思った でもそろそろやめます 一人でいる辛さも十分分かりました これからは人と手を取り合う時です 人と遊んで、出かけて、ご飯を食べて、一緒に寝て、話して、愛し合って 最

          取捨選択

          考えるな

          考えるな 浮かんだ言葉をそのまま出せ 独りよがり 今この瞬間 考えるな 私はあなたを愛すためにここにいる それ以外ない 私はあなたを愛すためにここにいる 自分の苦しかった過去は十分打ち明けた 自己開示は終わり 苦しかったことを打ち明けたかった この強さを共有したかった 人に知って欲しかった 褒めて欲しかった でももう終わり 私はあなたを愛すためにここにいる

          考えるな

          何を望んでいるのか

          この文章を書く際も、何を感じながら書くのか 文章に愛を詰め込むのか 優しさと慈悲を込めるのか それともバラエティか はたまた「認知を稼ぐため」に戻るのか この文章を目にする相手の顔を思い浮かべているか 愛を詰め込む必要があることは確かなことである そうだ 考えないようにしよう 思考を使わないようにしよう ただ浮かんでくる言葉をここに貼り付けよう 日々私の記事を読んでくれる人に感謝 また、このアカウントと出会ってくれたことに感謝 そして 自分はなんで

          何を望んでいるのか

          私のスタンス

          自分もずっと「見る側」だった。 自分が人に伝えられることなんてない、そんな偉そうなことはできないと思っていた。 でも今は「ただ寄り添う」というスタンスで声を掛けるようになっている。 それだけ自分の考えていることに覚悟ができるようになったことも一因である。 自分も悩んで苦しかった時に先駆者に導かれたのも事実。 だから、自分も似たようなことを考えている人に、上からものを言うのでなく、「ただ寄り添う」というスタンスで、「自分はこう考えている」と言うようにしている。 それ

          私のスタンス

          女性って、強ぇ...

          女性って、強ぇ...

          思考は幻想に過ぎない

          「思考は幻想に過ぎない」 この言葉が信じられなかった。 でも昨日起こった出来事を思い出してみてほしい。 何をしたか、何処に行ったか、何に迷ったか。 その時思い出せるのは、その時感じた感情と感覚だけだ。 思考にはトルクがない。 言うなれば空回りしている歯車のようなものだ。 だから、そこに意識を割くのは無駄である。

          思考は幻想に過ぎない

          自語りしてもあれなので、皆さんの記事にコメントしていきます。

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