初めて手首を切った日のこと

私が初めて腕を切ったのは14歳の頃。
テスト勉強中だったと思う。
部屋の電気を消して机の電気だけ付けて
腕をシャーペンで刺していた。
それでもその日はどうしようもなく苦しくて、消えたくて、孤独で、惨めで、死にたくて手首を切った。

親との関係は悪かった。
父の機嫌が悪いと怒鳴って殴られた。
そんな私を見ても母は知らぬ顔。
だれも守ってくれなかった。
私はずっと一人だった。

何をしてもぱっとしない。
成績は悪い、要領も悪くて、運動もできなくて、ブスで友達もいない。
親の期待にも答えられない。
頑張っても1番にはなれない。
何者にもなれない。
誰にも必要とされてない、愛されない欠陥品。
きっと私は生きていたらだめなんだろうなって、
何で無責任に産んだんだよって憎んだ。
要らないなら捨ててよ。

塞ぎ込んだ私なんかに、心を許せる友達なんかできなかった。
家にも学校にも居場所がなくて、いつもどうやって死ねばいいか考えていた。

死にたくて、辛くて、逃げたくて、孤独で、消えたくて、手首を切った。
刺す痛み。
滴る血液。
心の痛みを外傷の痛みで誤魔化す。
傷が痛むと心の痛みが麻痺する気がした。
手首を切った痛みは私の心の痛みの表現でもあった。

そして私はこの日から自傷行為をするようになった。
夜になると自分の部屋でひとり静かに泣きながら腕を切る。
腕の傷は増え、深くえぐるように切り刻んだ。
左腕全体切り刻んで、切る場所がなくなるぐらい切った。
床には血液の水たまりができていた。
助けてって言えない、逃げ道もない。
自分で自分を傷つけて罰することでなんとか命を繋ぎ止めた。
死ねば楽になるのにと思いながら、日々を過ごした。

そしてその時の傷跡は今も残っている。
もうカミソリを握ることはなくなったけど
この傷を見ると人は心配したり
興味本位で傷の理由を聞いてきたり
要注意人物かのごとく腫れ物に触るように扱われたりする。
幼い我が子には、どうしたの?痛いの?と聞かれる。
なんて答えればいいか困るから
美容整形に行き、腕の傷跡を火傷のあとのようにするために、皮膚を削る手術をした。
しかし、傷跡は深くケロイドになっているため、一回の手術では消えなかった。
傷跡をもっと誤魔化すために、皮膚をもう一度削るか悩んでいた。
そんなとき、手術をしようか悩んでるって相談した相手から、そのままでいいよって言われた。
交通事故で誤魔化せると。
きっと何気なくいった言葉だと思うけど
私からしたら新鮮だった。
このままでいいんだと思えたとき、
初めての自傷して体に残る傷跡を許すことができたんだ。

ここまでたどり着くのに何十年もかかった。
苦しくても、憎んでも、絶望しても、どんだけ死にたくなっても
許せる日がちゃんとくるということを
あのときの自分に伝えたい。

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