Unique, University, Unicorn.
4/1、朝起きると一件のメッセージが来ていた。履歴を見ると数年ぶりのメッセージだ。6:39と表示された時間を見て「めちゃくちゃ早いじゃん…」と思った。普段からもらったメッセージにはなるべく早く返すことを信条にしている自分にとって、朝は鬼門だ。世間の人と比べてかなり遅くまで寝ているので、中々この時間の連絡には即レスができない。悔しい。
逆に夜中の連絡に関してはかなり遅くまで承っている。未明の連絡を取るか、朝イチの連絡をとるかはトレードオフだ。
送信主は大学時代の先生だった。といいつつも彼は系列中高の美術教員で、大学では美術の講義の1セクションを受け持っていただけだった。つまるところ、僕との直接の関わりは週に一度の美術の時間-それもさほど長くはない-のみだ。
もっと厳密に言うと、僕は彼の講義をとってすはいなかった。友達に誘われて、「遊びに来ちゃえばいいじゃん」と言われ、気づいたらそのまま一緒に参加していた。
元々、美術そのものは嫌いではない。むしろ好む部類だ。最近は印象派〜ポスト印象派あたりの絵画が好きでタイミングがあえば展覧会にも赴く。いわゆる近代〜現代美術も結構好きで、どデカいインスタレーションとかは見てて面白いなと思う。
ただ、自分が作るとなると途端に尻込みしてしまって上手くいった試しがほとんどない。「絵を描くぞ!」と意気込んで用具を買い込んで数枚描いてみてはいいものの、結局諦めてしまう。
無論、そうやって自分でも作ってみたりすることで世に出ている作品がどれだけ手がかかっているのかということに気づくことができたのは良いことだ。どデカいインスタレーションのすごさは、コンセプトや技術もさることながら、作者がいなければそのもの自体がこの世に存在しないということと、それを作り上げる根気だと思う。
そんなことを考えながら美術館に行くと、少しだけ目の前の絵に詳しくなった気がしてくるから面白い。東京都美術館に岡本太郎展を観に行った時や、国立新美術館で庵野秀明展を観た時もそう思った。巨大な作品も、素描も、どちらもそれが創られるまでの過程は確実に存在していて、多かれ少なかれ時間がかかっている。
無論、素描一つを描くのに費やしたのは数分なのかもしれないがその時間で一つの絵を完成させることができるようになるまでに費やした時間はそれとは比べ物にならない。
ただ、当時(大学4年)の僕はそこまで考えてなかった。仲のいい友達に「今日暇なの?」と聞いたら「これから美術なんだよね」と言われ、じゃあ暇だしついてくか…と乗り込んだのが先生の授業だった。
大学のキャンパスの外れにある、「木工所」と名付けられた本当に木を加工する場所へと向かって、「はじめまして」と挨拶をした。先生は木彫を専門とされていて、建物の中には先生の作品がいくつか飾ってあった。それまで、ほとんど木彫自体に興味がなかった自分でもその美しさに驚いた。
中でも、壁際に飾ってあったひときわ大きな作品は目を引いた。制作途中だというその彫刻はほぼ原寸大くらいの人間で、両手を大きく広げた女の子だった。顔や髪はまだ荒く「これから削っていくんだ」と言われたが、それでも素人目からしたら恐ろしいくらい美しかった。
既に完成間近の両腕はまるで本当の人間の肌のようで、いやむしろ人間よりも美しいと思えるほどの出来栄えだった。
それからは毎週水曜日の午後には木工所へと向かい、先生の講義を受けた。木彫なぞやったことも見たこともない僕だったが、見様見真似というより手取り足取り教わりながら作品を作った。
僕の他に受講していたのは2人。彼らは早々に何を作るかを決め、大きな木材を加工し始めていた。僕はというと、そもそもなぜ自分が突然木彫をやるのかも分からないままだったので、いつまで経っても何を作るか決められずにいた。時に先生と話しながら、時に材料となる丸太を触りながら、ようやく何を彫るかを決めたのは何週目かの終わりだった。
その間に他の2人は粗方の形が見えてきていて、人間の下半身の形が見えてきたり、巨大な手の形が浮かび上がったりしていた。しかし不思議と慌てる気持ちは湧かず(元々やるつもりのなかったことなのだから当たり前なのだけれど)、のんびりと秋の午後の日差しに照らされながらようやく木を削り始めた。
結局、僕は大きな丸太から馬を彫ることにした。全身はさすがにムリなので、首から上を原寸大とは言わないまでもそれなりの大きさで作った。
大枠はチェーンソーで削って、細部は彫刻刀でコツコツと形作っていく。絵画や粘土細工や、そして音楽のように、ゼロから積み重ねていくのではなく、すでにある大きなものの中から少しずつ減らしていく作業は不思議だった。僕にとって「何かを作る」ということは常に足し算で、一度やり過ぎたら即終了の引き算のようなものではなかったのだ。
印象に残っているのは先生がサラッと描いたデッサンだ。「こんな感じでこの丸太から顔を作っていけばいいね」と言いながら先生がペンを動かすとあっという間に馬の絵が描き上がった。「えっ、めちゃくちゃ上手くないですか?」と思ったのだが、それを美術の先生に言うのは逆に失礼なんじゃないかと思ってしまって言葉がでなかった。こんなに美しい彫刻を作るだけでめちゃくちゃすごいのに、絵まで描けるなんて…!天は人に何物与えれば気が済むんだ…、と思ったりもしたが今から考えるとそれは先生がそれまでに積み重ねた努力の賜物であってそれを「才能」の一言で片付けてしまうことの方が失礼だ。
無論、先生は彫刻も素晴らしかった。素人の僕が見ても「すごいな」と思えた。目の前で行われる僕の作品へのちょっとした修正にプロの技が垣間見えていちいち感動していた。
1番驚いたのは馬の面の右半分を手伝っていただいた時のことだ。先生はチェーンソーを持ち上げると、まるですでに存在している馬の顔面の表面についた汚れを落とすかのように、軽快に、しかし丁寧に不要な部分を削ぎ落とした。
時間にして数分かそこらで、いつまで経っても対面する事ができなかった自分の馬と初めて顔を合わせる事ができた。
その時の感動といったらもう!できることならば全人類にその技巧を見て欲しい。本当にあっという間で、それでいてめちゃくちゃリアルな馬の顔が突然現れたのだ!
それから、紆余曲折があったのちに「ただの馬じゃつまらないよね」という話会いのもと彼は晴れて馬からユニコーンへと昇格することになった。先生が彫ってくれたまるでサラブレッドのようなキリッとした右側と、僕が彫ったブサイクな左側の真ん中に大きな角が立って、手前味噌ながら「いいじゃん」と思ったのを覚えている。
台座(と呼べるほど立派なものではないが)には木の皮を少し残して、まるで丸太の中から突然現れたかのようにした。馬の部分は元の丸太のなかにすっぽりと収まるのだが、後からつけた角の部分はその台座から大幅にはみ出していて、それがまたかっこいい気がする。
最後の講義では他のコース(木彫の他に、陶芸、油絵、日本画など色々なものがあった)の人たちと一緒に、発表会を行なった。普段ライブで人前に出たりしてるのに、やけに恥ずかしかった。自分の作品を人前に見せるというのは恥ずかしいのだ、とその時に知った。同時に、その恥ずかしさを上回るくらいの面白さがあることも知った。
先生とは週に一度会うだけだったのだが、僕は案外その時間が好きだった。たまに「英語で喋ってみようよ」とか、「この作品どうかな?」とか、時には先生の昔話を聞かせてくれたりした。当時の僕も、別に「毎日がつまらないなぁ」と思っていたわけではないが、毎週やってくるこの時間は刺激的で面白かった。
一度、木工所を飛び出して課外授業を行なって貰ったことを覚えている。先生の師匠が開催されているという個展に連れて行ってもらったのだ。
学校から1時間くらいかけて渋谷で降りた。先生も僕ら学生も大学の近くに住んでいたので渋谷まで出ることは中々ない。会場に行く前に「せっかくだから」と僕らに東急文化村の展示を紹介してくれた。「ここは無料で色んなものが展示されてるから面白いよ」と教えてもらってから、1人でもたまに行くようになった。
会場は青山の方で、4人で歩きながら色々と話した。どんな話をしたのかは今となっては全然(ホントに全然!)思い出せないのだが、道中気になった店に入ってみたり、「ここが青山か〜」などと言ってみたり、とにかく楽しかった。
先生の師匠の個展はもちろんとんでもなくて、「これぶつかって落としたらいくら請求されるんだろう…」みたいな心配すらしていた。「木からこんなものができるなんて…」とも思ったが、当時の僕(多分今でも)は素人すぎて「何がすごいのか」がまだ分からなかった。
そのあとはうどんをみんなで食べて、同じ電車に乗って帰ったのだが、そこでの先生の話がその日一番印象に残っているかもしれない。曰く、「人が寝ている時間に制作をすれば、その分他の人よりも先に行けるのではないかと考えて2日に一回の睡眠にしたら体を壊した」とのことだった。
超がつくほどのロングスリーパーである自分からしたら考えられないのだが、確かに人が寝ている時間というのはチャンスかもしれないと気づいた。もちろん、先生には「やめた方がいいよ」と言われた。
大学を卒業してからも、先生はしばしば連絡をくれた。僕と同じ名前の人がテレビの視聴者投稿に乗っていた時(僕の名前はそこそこ珍しい)。作ってそのまま大学に置いてきたユニコーンを展示してもいいかと言われた時(もちろん二つ返事でOKした)。
そして、4/1の連絡だ。
そこには先生が今の僕の活動を見てくれていることなど近況の他に、今年度か別の学校に移ることが書かれていた。
日が日なだけに「エイプリルフールですか?」とでも返そうかと思ったが、多分これは嘘じゃないな〜と思ったので普通に返信を送った。
大した卒業生でもない自分に連絡をしてくれることがすごく嬉しかったと同時に、流れゆく時の早さを感じ少し寂しくなる。
あの一角獣は元気にしているだろうか。もしまだどこかに保存されているなら、顔くらい出しに行こうかなと思った。
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