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二十、三十

体感ではついこの間まで高校生をやっていて、遅い電車に揺られながら友人とくだらない話をする毎日だった。学校には寮があって、殆どの期間をその場所で過ごしたのだが、一年だけ家から通う期間があった。
あの日々も悪くなかったな〜。と今になって思う。

「年齢なんてただの数字です」なんていうのは確かにそうかもしれないけど、それを言い続けることは結構難しい。100歳になった時にそう言ってるのならまだしも、いい年してまるで高校生みたいな事をやっている人がそれを言ったらかなりヤバい人になってしまう。若くありたいと思うのは決して悪いことではないと思っているけど、たとえば昔であった少し年上のお兄さんとかが「俺はずっと若い気持ちでいるから仲良くやろうな!」って言っているのを聞きながらやけに気を使っていた自分を思い出して年下に同じ思いをさせたくないな、という気持ちもある。

「友達とくだらない話だけして過ごしていたい」と思うのはそりゃそうだな、って感じで。いまだにあの日々が恋しくなる時があったりもするが、でも別にだからと言ってそれを取り戻したいと思うわけでもない。
時の流れを受け入れながらなんとかやっているな、と自分でも思う。昔はたとえば居酒屋のアルバイトで客と話して、「あーめちゃくちゃつまんねぇなあ」とか思ったりしても「ま、明日友達と会うしね」みたいな感じでメンタルを回復していた節がある。今はそんなに頻繁に友達と会うこともできないでいるけど、どうやらなんとかやっているみたいだなあ、と時に自分のことを変な感じで俯瞰している。

「30ももう遠くないかもね」という意味の歌詞があったのを思い出す。確かに。足音は年々大きくなっている。反対に、「まだ何年もあるしさ」と言っていた友達の言葉も思い浮かぶ。「これしかない」と思うのか「こんなにある」と思うのかで同じ量でも受け取り方が変わるなんて話は散々いろんなところで擦られ倒した話だから多分つまんないと思うし、実際今そんな話を聞いても「うるせえな、分かってるよ。分かった上でこの話をしてんだよ」という気持ちになったりしてしまう。
とにかくはっきりしていることといえば確かにすぐそこまできている年齢の壁が、年々大きくなっているということだけだ。

タイトルは、いろんなものをごちゃ混ぜにしたパロディ。まずは『二十九、三十』っていうクリープハイプの曲を思い出しながら。
クリープハイプのことが好きだったのは高校生くらいで、ちゃんとCDを盤で買うほど好きだった。当時はその曲が30歳になる時の曲だとは分かっていながらも「そんなに大きなことなのか?」と思ったりもしていた。
今になるとなんとなく分かる。なんとなくだけど。10代から20代になる時とは違う何か大きな変化がそこまで迫っているような焦燥感と現状の自分への思い。何者にもなれる気がしていた二十代前半を過ぎて、客観的に自分の立ち位置を見ることができるようになったからこそより遠くに感じる山の頂。そりゃあ曲の一つも作りたくなるよな〜とようやく理解している今日この頃だ。

年齢と曲で言うなら、神聖かまってちゃんの「夏休みシリーズ」も自分の中ではそれなりに大きい。「22才」「23才」に始まって「26才」「33才」とバリエーションがある。彼らをよく聞いていたのも高校生の頃だから、当時は自分がその年齢になることが信じられなかった。嘘みたいな話だが、本当に信じることができなかったのだ。
今は自分が30歳になることも、もっといえば40歳になることも信じられる。というか、違和感なく受け入れることができる。でも当時の自分にはそれがまるでおとぎ話のように聞こえていて、10代という時間がまるで永遠に続いていくのではないかと錯覚していた。その錯覚は多分20代前半の5年くらいをかけてゆっくりと解かれていって、ようやくちゃんと「歳をとること」を飲み込み始めたような気がする。

20代前半の頃に聞いていた曲をまた聞き返したりしている。Jimmy Eat Worldの"A Praise Chorus"という曲には"Even at twenty five you gotta start sometime"(たとえ25才でも何かを始めなくちゃいけない時がある)と歌われる箇所がある。
この曲を知ったのは当時聴いていたラジオだ。好きなバンドのボーカルがやっていたそのラジオは当時毎週聴いていて、彼はリスナーからのお便りに対してこの歌詞を引用してコメントしていた。残念ながら細かい内容はほとんど覚えていないのだが、それから事あるごとにこの曲を聴くようになっていた。
25という年齢で何かを始めるということの難しさが、それを超えてからさらに分かるな…と久しぶりに聴いて思い出す。大した重荷を背負っているわけでもないし、著しく体力が落ちているわけでもないけど、何かを始めることは少しづつ難しくなっていく。それはきっと今まで手に入れたものに縛れられているのもあるだろうし、新しい環境に飛び込むことで感じなくてはいけないストレスを無意識的に避けているのも原因だろう。

そうやって色々と考えてみるとよくテレビで紹介されている「〇〇才から新しく始めました!」というのがどれだけすごいことなのかが分かる。昔は「なんでそんなことがいちいちテレビに取り上げられるんだろう」と思っていたが、たとえば60才になって新しい言語を勉強し始めるとか、スポーツを始めるとか、楽器を購入するとか、それってめちゃくちゃストレスになりそうなものなのに果敢に挑む姿を今は素直に素晴らしいと思う。
「丸くなった」と言われるかもしれないがきっと丸くなったんじゃなくて純粋に許容量が増えたんだと思う。色んな失敗をしてきて、「何かを許す」ということがより簡単にできるようになった代わりに、「本当に許せないことは何か」が段々と分かるようになってきた。
角が取れたわけじゃなくて、一番大事な角を尖り続けさせることができるように許容量を大きくしたんだと思う。絶対に譲れないラインまでは許そう。何にでも反発する奴より、いざという時に譲らない人間になりたいと最近は思っている。

さてここまで長々と書き連ねてきた年齢談義だが、こんな文を書こうと思ったのは丁度昨日韓国ドラマ「二十五、二十一」を観終わったからだ。大晦日に友人に勧められてから全16話。まあまあ長い道のりではあった。昨日の夜は14〜16話の3話を一気に観たのだがかなり情緒がおかしくなってしまった。勧めてくれた友人にめちゃくちゃ感謝を。今日になってもまだ余韻が残っているので今は出演俳優たちが色んな質問に答えるyoutubeとかを観ている。本当に面白いドラマなのでみんなにも観てほしい。

あらすじをめちゃくちゃ雑に説明するととあるフェンシング選手と、彼女の家に新聞配達をしにきたアルバイトの2人が過ごす「青春」のドラマなのだが、これがなんとも一筋縄ではいかない。
物語の構成としては現代(2022年)に過ごす少女が母親にバレエをやめると言って家出して、祖母の家に転がり込む。そこで見つけたのは少女の母親が昔つけていた日記。ページを開くと、場面は約20年前の情景へと移り変わって母親が18歳の頃の物語が始まる。それから時折現代の描写、つまり母親になった主人公の「今」を挟みながら物語は進行していく。
ネタバレを挟みたくないのでこれ以上は書かないが、とにかくめちゃくちゃいいドラマで、久々にかなり泣いてしまった。特に最後の2話は本当にずっと悲しいシーンや感動的なシーンが多くて、「俺ってドラマ観てこんなに泣くのか…」とちょっと引くぐらい泣いた。
去年友達と映画を観に行った時に「泣き過ぎて頭痛くなっちゃった」と言う友達に「なんだそれ」と思っていたが今は気持ちが分かる。確かに泣きすぎると頭痛くなってしまうわ。

タイトルの「二十五、二十一」だが、これも年齢を指している。この年齢がドラマの中でどういった意味を持つのかは是非ドラマを観て確かめてほしいのだが、彼女らもまた年齢というものに直面する。達観するほど若くもないが、諦めるほど成熟していない年齢。主人公がもっと若いドラマとはまた違う味わいを出している。
90年代が舞台というのもまた面白くて、僕自身は90年代後半生まれなので「生きてはいたけどよく知らない時代」に区分されるのだが、どこか懐かしさを覚える描写が美しくて一気に引き込まれてしまった。

ドラマの内容から自分の年齢について見直したりだとか考えたりもしたのだが何より驚いたのは主人公役の女優についてだ。ドラマの最初の話では主人公は高校生なのだが、それを演じているのはなんと当時30代のキム・テリである。しかし驚くべきことに全く違和感がなく、「この女優は誰だろう」と調べて初めて年齢を知ったのだ。
「年齢なんてただの数字」というのはまるで彼女のためにあるような言葉だな…とその時に感じた。主人公の性格、天真爛漫で明るくて活発な、10代の少女を見事に演じ切っているキム・テリを見て、それまで考えていた年齢の云々は吹き飛んでしまった。

最後の引用はTHE HIGH-LOWSの「十四才」。この曲を聴いていたのはまさに自分が十四才の頃で、「俺は今まさにこの年齢でこの曲を聴いているんだぞ」という優越感に浸っていた。
あれがもう10年以上も前のことだと思うと恐ろしくなるな。たまに年配の人が「20年前のことなんだけど〜」とか言ってると「いや昔すぎるだろ」とか思っていたのだが、10年とちょっと前のことでもいまだに昨日のように感じてしまうのだから、きっと10年後にも同じような気持ちで軽く「20年前は〜」とか言っちゃうんだろうな。子供の頃は大人になったら昔のことなんて全部忘れてしまうのだろうと思ってたけどどうやらそんなことはないらしい。
「十四才」という曲の中で甲本ヒロトはこう歌う。「いつでもどんな時でも スイッチを入れろよ そん時は 必ずお前 十四才にしてやるよ」

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