見出し画像

【掌編小説】彼女のガベルとカタルシス

「人間だけよ、愛だの恋だの騒ぎ立ててるのは」


彼女は、辛辣にいうとグラスを煩雑に置いた。ガタンと音を立て揺れるテーブル。今にも酒の中身が飛んできそうだった。シャンディガフ、彼女が管を巻くときに好んで飲む酒だった。

隣に座るミカが驚いて飛び上った。「そうだね」わたしはうなずいた。わたしは覚悟を決め、背筋をピンと、彼女にわかるように伸ばした。

彼女が「人間」というフレーズを使う時は、たいてい話が長くなる。

哲学的になる。

そして、わたしの耳はちくわになる。

彼女は一方的に話をし、その度にわたしは、舟を漕ぐ。


「犬だって、牛だって、鳥だって、子孫繁栄のために交尾するんだよ?」


ガタン…。

彼女は、そういってグラスを飲み干した。黙って聞いていた方がいいことを、わたしもミカも知っている。だから、何もいわずに聞くに徹する。これは裁判。厳粛に…。


「快楽だけのためにセックスしてさ、人間だけよ、年中発情期なのは」


彼女は皿に盛られたカマンベールチーズを3切れつかむと、真っ赤な紅を塗った大きな口に放り込んだ。そのあと、ぬるくなったビールジョッキを一口呑み、ポテトサラダをかきこんだ。

一体、彼女は何に怒っているのだろう。ただ酒に酔っているだけではないことを、わたしはわかっていた。

一体、彼女は誰を裁いているのだろう。何を裁きたいのだろう。


「愛とセックスを1セットにしてさ。ただセックスして気持ちよくなりたいだけじゃん、人間は」


ガタンッ。


「だってそうでしょ?セックスの後は、あれだけ囁きあった愛の言葉がぱたりとなくなるんだから」


ガタンッ。


「どうして!?真実の愛は、キレイで、甘くて、もっと…」


ガタンッ。
ガンッ。

彼女はさんざん捲し立てたあと、テーブルに顔を伏せた。小さく嗚咽が聞こえてくる。

閉廷の時間が近づいていた。


 「あなたはわかってくれるよね」


彼女は、うつ伏せながらチラリとミカを見る。今にもとろけそうな目だ。

彼女はいつだって、ミカだけに語りかける。ミカは何もいわない。ただ、海のように群青色したエナメル質の目で、彼女を見つめるだけなのに。子供の頃からちっとも変わっていない。嫌なことがあるとミカに話して一緒のベットで寝て。


(それは、あなたが都合のいい女だから…)


わたしは、そういいたかった。けれど、いつも喉元まで出てきては飲み込んでしまう。

どのみちわたしは、この1センチにも満たない薄い銀幕の先のわたしを、見つめることしかできないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?