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漂流(第四章①)

第四章

1.
路上に突如現れるコンクリートの壁。
広大な土地を取り囲む様に聳え立っている。その一角にひっそりと備え付けられた一畳ほどの扉。それが何の前触れもなく開いた。中から出てきたのは初老の男性。看守から一声掛けられ、それに一礼をして戸外に姿を現す。聡子はそれを万感の思いで迎える。長かったと言えば長かった。しかし印象としてはやはり “あっと言う間” が正しいのかもしれない。
「お疲れ様。」
男は僅かに微笑んだように見えたが直ぐにその痕跡は消え、居住まいを正し聡子に向かって深々と頭を下げた。
「只今戻りました。」
秋山を殺害した件で有罪判決を受け懲役10年の服役中、8年目で仮釈放された。今日がその日である。久し振りに見る宮本は、少し白髪が増えたがそれ程老けた感じはしなかった。
「さあ、乗って。」
待たせていたタクシーの後部座席を指さし、聡子は出来るだけの笑顔でもてなした。宮本はやや照れながらも、促されるままにそこに乗り込んだ。運転手に都心のホテル名を告げると車はゆっくりと走り出した。
「住む所は今手配しているわ。とりあえずホテルでごめんね。」
宮本は顔を左右に振り、気にするなと言わんばかりに笑う。思えば私はいつもこの男を利用し、そして助けられた。たくさんの恩がある。だが宮本はそれをおくびにも出さない。それ故にそれが聡子の人生に少しずつ蓄積され、気づけば掛け替えのない人になってしまっている。

秋山の死によって光男の復讐も終わりを迎えた。あの日、光男の温もりに包まれて眠りに就いた私だが、その後目覚めると光男の姿はなかった。聡子も彼を追う事はしなかった。何となく美代子の所に戻った様な気がした。光男らしい、自分の感情よりも義理人情を大切にする。そうやって生きてきた男だ。そして何よりも聡子自身が二の足を踏んだ。心の奥底にしまった決して語る事の出来ない秘密。多くの人間を犠牲にしても守りたかった秘密。自分が自分と決別する切欠となった秘密……。

「ここでいいよ。」
ホテルに着くと宮本は、一緒に降りようとする聡子を制してそう言った。
「聡子はこうして迎えにきてくれた。これで貸し借り無しだ。彼の所に行きなよ。」
この男はいつも見透かしている。私の本心を。そして私自身まだ気づいていない無意識の感情を。そしてそっと導いてくれる。これ以上甘えてはいけない。
「有難う…こんな言葉じゃ全然足りないけど……。」
いつもの様に優しい笑顔を見せ、宮本は一人ホテルのフロントに向け歩いて行った。


第四章②に続く

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