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「福岡紀行 -青い前置詞-'87」

「福岡紀行・-青い前置詞-'87」

【まえがき】

太田裕美ちゃんtwitterへの返信に
別の方からコメントいただいたのを
きっかけに
1987年17歳で福岡にきた時のこと
文字起こししてデータもあったので
クラウド中から
upしました

何分にも古い書き物で
表現も拙いのですが
当時のものほぼ修正せずいます…

後書きだけ加筆しました
お口汚しにならなきゃ幸いです


【Chapter.1-'86.冬休み-】

北風が行く道を阻む

高校で唯一公認の冬季バイト
郵便局の年賀状配達

自転車に山盛りの年賀状たちは
向かい風の手先のように
僕の疲労をますます追っ手にかかる

なまけ者の僕が
こんなバイトをする気になったのは
高校の修学旅行

当時の僕曰く
「どうして修学旅行に九州に行くのに
福岡も太宰府天満宮も行かないんだ???」
「皿うどんよりも博多ラーメン」
「ふた冬後に受験だろ?? 太宰府天満宮詣だろ??」

まぁこんな不純な動機で
宿題のない春休みに福岡に滞在しよう
と郵便局の年賀状配達バイトを始めた

お正月はクタクタで唯一のお休みの1/2は爆睡
とにかく11日間バイトに行ききった

余談だが
おかげで足腰が鍛えられて
冬休み最後の日に
友達みんなで誘い合って行ったアイススケートでは
何時間滑っていても全く平気だった

だがまだ冬は始まったばかり
3学期が始まる


【Chapter.3-'87.早春-】

期末試験も終わり
ホッと一息ついたところで
高校入試のため学校がお休みになった3月15日

なんとなくそわそわしていて
無性に出かけたくなって
春休みの旅に使う空港を見に遠出してみた

電車に乗って電車に乗ってバスに乗り換えて
おおよそ3時間弱かかって空港に着いた

実はこの時が空港に来るのは初めてだったのだ
見慣れぬ光景にドギマギドギマギをくりかえして
何気なしに空港を隅々まで見ていた
17才の少年には搭乗手続の窓口や
空港の改札はとても珍しかった

「あと10日でココから旅に出るんだ…」

買い込んだパンを食べて帰途についた
帰りのバスの窓から飛び立つ飛行機が見えた
透き通った青空は何処までも何処までも続く
無限へのパスポートを散らつかせているかのようだった


【Chapter.4-'87.-春休み・西へ-】

終業式の翌日

これで高校2年は終わった
あと高校生活は1年

そしてはじめて自分の力で稼いだお金で
自分ひとりで長いひとり旅に出る春休み

宿題のない春休みだけれど
自分のひとりで自分にすべての責任を持ってみる
病気の両親やちいさい妹を理由に
自分を惨めにしたくはない
まだ見ぬ夢を追いかけるには
これが自分の春休みの宿題

さて若気の至りで語ったところで
とにかく春休みに入るやいなや
飛行機で名古屋から福岡へ旅立つことにしていた

利用したのは"スカイメイト"という制度
当日の空き席待ちだが飛行機の料金が
対象年齢により通常のだいたい1/3位になるというもの。
当時の小遣い帳によると片道10,650円で
名古屋から福岡へ行ったのだった

旅立ちの日は春の水色の空がぴかぴかな日

緊張をすこししながら
10日前に通った空港の搭乗手続と改札を出でて
いよいよ離陸

青い空を宙に舞ったとき
何からも自由になれる いつかきっと

日常の僕からも離陸していた…

高校を卒業してからのことを探すため


【Chapter.5.-太宰府まで-】

名古屋から1時間強の飛行の後
福岡空港に降り立った。

空港からは博多駅経由のバスに乗って
約30分で天神に着いた

お昼だったの
とりあえずまず博多ラーメン

『節ちゃんラーメン』と言うお店に入った


とんこつスープに細麺
思いっきり紅ショウガ入れて
"うめ~!!"
替え玉もらって
おなかいっぱいになりました。

その後西鉄大牟田線で
太宰府まで移動しました。

太宰府と言えば
太宰府天満宮
"菅公"、天神さま、菅原道真です。

駅前から門前町が広がってて
横断歩道
歩行者信号が青の時は
もちろん天神さまの歌がなります。


焼きたての梅が枝餅をほおばりながら
午後からもとてもよいお天気だったから
咲きかけの桜を見ながら天満宮を一周

境内には"飛梅"があります。
なんでも道真を追って
今日より飛んできた梅の木だそうです。
友達に頼まれていた
太宰府の合格祈願のお守りも忘れず買いました。

さて
宿泊は節約のため
あといろんな人に逢いたくて
ユースホステルにしまして
ユースホステルを根城にしました。

場所は太宰府ユースホステル
ココを中心に西鉄沿線の街の
ラーメン屋さんに行きます。

当時の太宰府ユースホステルは
ご飯が産みたてのタマゴとか出てきて
結構おいしかった記憶が残っています。
門限とかきびしくて夜遅くなるときは
必ず遅くなることを伝えていました。
夜には宿泊者どおしのミーティングとかあって
旅の話を聞かせてもらったかな。

この日は疲れが出たのか
早く寝てしまいました。

旅は始まったばかり
またあしたね おやすみ


【Chapter.6.-国道3号線沿い・歴史街道-】


福岡県2日目・快晴


さて今回はラーメンを食べる旅ですが
福岡と言えば太宰府政庁があったりと
歴史遺跡も多いところで
でも全部は見て回れないので
できるだけお金をかけずあちこちを
歩き回ることもやってみた

朝早く起きてYHを出て
まず雑餉隈まで電車で移動した

雑餉隈と言えば
武田鉄矢さんの実家のあるところで
「母に捧げるバラード」で有名なたばこ屋さん
ありました寄りました
とぉーてもお元気な鉄也さんのお母さん
いらっしゃいましたよ

そのまま空港の方を向けて住宅街を抜けて
歩くとまず板付遺跡に辿り着きました。

最寄りの駅より手前の駅から歩いたので
かなりの距離歩いたかな

板付遺跡は環濠集落の弥生時代前期の遺跡として
有名で特に水田が耕作されていたことが確認されて
とても貴重な遺跡です。

僕の行ったときには発掘物が
いくつか何処の着いた状態で置かれていて
結構貴重な状態を見かけることができました。

その後は
水城に登ってみました
水城とは
飛鳥時代の白村江の戦いで
唐新羅の連合軍に敗れた日本が
そのまま唐新羅が攻め込んで来られたことに
対する防御策として築いた人工の堤防柵で
高さは軽くひとつの丘の高さがあります。

水城の頂上まで登り切ったときは
もうお昼過ぎで汗だくでした。
水城から眺める眼下の景色は何故か
古いノスタルジアが広がります。

そのまま国道3号線沿いを歩き出し
次にまず太宰府政庁跡行きました

政庁跡と言っても
京都の平安神宮などとは違い
ひたすら石が並び
派手さが無く思いを馳せるには
かなり難しいですね

そのまま近くの
戒壇院と観世音寺に立ち寄りました。

戒壇院とは仏教の戒律を授けるところ。
観世音寺には日本最古と伝えられるの梵鐘
つまり鐘があり「源氏物語」玉髪の巻でも
登場します。

とにかく歩きに歩いて
夕方ようやく太宰府駅まで帰ってきました
ラーメンどころではなくクタクタです。

この夜は夕食いただいてお風呂入った後
クタクタですぐに寝てしまいました

おつかれさま…


【Chapter.7'.-大牟田へ-】


さて、福岡に来て3日目からは
西鉄大牟田線を南西に向けて進んだ。

久留米・柳川と各所でラーメンを食べ
終点大牟田まで向かった

物語に起承転結とあるように
この旅はココから残り1/3に入ってくると同時に
もうひとつの目的に向かって動き出した

大牟田に行った目的
それは当時の文通相手に会うためだった

僕より2才年上の彼女は
すでに就職していて
当時進路に迷っていて
就職か進学か迷って結論が出せないでいた僕に
"進学できるなら進学した方がいいよ"
とアドバイスをくれた

大牟田に着いて彼女の家に電話してみると
「半年前に寮暮らしになって引っ越したよ」
と教えてもらった。

彼女の引っ越し先は福岡市内の地行

大牟田に着いた時間は
もう午後4時前
この時間から行けば
2時間はかかる…。

「行くか…」

福岡天神行きの特急がもうすぐ発車だったので
そのまま飛び乗った。

教えてもらった寮の住所しか知らないかったが…
外出中なら出直しでも仕方がない
近くまで行って電話してみるか…

会える会えないか
わからないが…


【Chapter.8.-夕方の街角-】


大牟田から特急で1時間40分、夕方5時30分ごろ
福岡天神駅に着いた。

そのまま市営バスに乗り換えて
明治通り、福岡の目抜き通りの景色が流れる

この日もあたたかい日だったせいか
春の夕暮れの街並みは
なんとなくそわそわして
何かと出会うのを誘っているみたいだ

ほほ杖着いてボォーと景色見つめて15分
バスは地行の停留所に着いた。

近くに電話ボックス見つけて
おそるおそる
彼女の寮に電話かけてみた。

旅行関係の仕事をしている彼女なので
寮にいない日の方が多いのだから
その時に会える確率は50%を切っている…

すると日直の女性が出て
彼女の留守を告げられた。

落胆して電話を切ろうとすると
電話のムコウ側の日直の女性が
「あと1時間くらい待てますか?
彼女明日には戻ってくるのね。
定時連絡が入るから
そのとき彼女の都合聞いてみるけれど…」

「なら1時間後に電話します」

そう言って一端電話を切ると
近くの喫茶店でに入って珈琲を飲んだ
夕食時だったけれど
ただボォーと通りの方を眺めて
車のヘッドライト・テールランプが流れていくの
ただ見つめていた
カップに入った珈琲はとっくに温かさを忘れていた。

とにかく長い1時間だった

午後7時前ふたたび彼女の寮に電話してみた。
さっきの日直の女性が出てくれて
「明日の午後6時頃には寮に戻れるので
君の都合がよければ会いに来てくれていいよ」
との彼女の伝言を伝えてくれた。
僕は日直の女性に
「お願いします」
と頭を下げて明日会いに来ることを告げて
その夜は宿泊先に帰ることにした。

天神行きのバスに乗ると
急におなかが減った気がして
バスを降りた後
屋台に行ってラーメンを食べた
替え玉2つもおかわりして

宿泊先に着いたのは午後9時前だった

夜はなかなか寝付けなかった。

心臓の鼓動がちいさくすこし
早く動くのがわかった。

"あした会える…"

時計の針が午前3時を刺したのは
覚えている…


【Chapter.9'.-夜桜公園-】


夕べなかなか寝付けなかったけれど
あたりが白んできたのは覚えている

目が覚めたら
時計は午前8時を過ぎたところだった

期末テストの一夜漬けの朝のように
ぼぉっとしたまなざしであくびが続けざまにでた

朝食の後はぶらりと
太宰府の門前町にを歩いてみた
あしたは雨の予報なので
ようやく慣れてきたこの街並み眺めるのも
今日が最後だろう

あしたの午後福岡を後にすることに夕べ決めたので

YHに夜帰宅が遅くなり
夕食の用意が要らないことを告げて
早々に福岡の繁華街に足を進めた

福岡天神駅で西鉄を降りて
岩田屋やビブレの間を抜けて
喫茶「照和」で珈琲飲んで
親不孝通りをぶらついて
長浜公園で空を見上げて
赤坂から舞鶴公園、平和台球場
大濠公園と歩を進めた
舞鶴公園は桜の山になっていて
満開の桜がしずかにたたずんでいた。

日曜日だったので
晴れた木漏れ日の大濠公園は
ボートを漕いだり
親子で戯れたり
犬の散歩したり
しあわせそうに見える時間が
とてもゆっくり流れている

そうこうしているうちに
黄昏時時計の針はもう夕方5時前になっていた

歩いて昨日来た地行のバス停の近くに着いていた

昨日の予定時間よりすこし早いが
公衆電話から彼女の寮に電話してみた。
電話に出たのは彼女だった

「早かったね、支度するから
寮の前でもうしばらく待ってて」

僕は寮の前で15分ほど待っていると
彼女が現れた

シャツにセーターを重ね着して
分厚いレンズのめがねをかけた
ラフなスタイルだったけれど
なぜか新鮮な感じがした

「目が悪いの!? 
写真やこの前もめがねしていなかったのに」

「いつもはコンタクト
ド近眼なのよ
手紙書くときはいつもめがねかけてるよ」
「すこし歩く!?
遠くまで行けないけれど…」

ふたり横に並び歩道を歩きながら
久しぶりに言葉を交わしたので
はじめて見聞きする近況に驚いたり頷いたり
大濠公園までの道はあっという間だった

大濠の池の畔の桜の木の下で
体育座りをして並んで腰掛けた。

「あのね最近つきあい始めた人がいてね…
だから…
文通の返事が書けなくなったの」
「あなたへの手紙はとても楽しいし
年下の弟からみたいで
ほら私ひとりっ子だから…」

「先はどうするの? 結婚するの?」

「まだわからない…」

「悩んで迷ったら、いつでも話してね」

「うん…」

僕はそっと肩を抱きしめて言った
「今夜はここでサヨナラしよう」

「うん…」

「ねぇ、先に行って
ココで君が見えなくなるなるのを見送るから」

「うん…」

彼女は歩き出したが
すこし歩いては振り返り
また歩いては振り返り
だんだん距離が離れていく

もう少しで見えなくなるところで
彼女が立ち止まって僕を見ている

僕は振り向いて元来た
天神方面への道を歩き出した

大きく手を振って
"バイバイ"と言って
バス停に来たバスに乗り込んだ

彼女も僕がバスに乗ったのを見つめると
歩き出した
もう振り返らずに…

バスの後部座席から
彼女の姿が見えなくなっても
そのまま見つめていた…

天神駅に着くと
「節ちゃんラーメン」に入って
夕食にした

YHに帰ると早くお風呂に入って
おふとんに潜り込んだ

目をつぶっても彼女の後ろ姿が
なかなか離れなかった…



【Last Chapter.-4年たって、…-】


【1987年4月6日】-福岡・天気は雨-

昨日はあんなに天気がよかったのに
今朝起きたらどしゃ降りに近い雨だった

帰りの飛行機の空き便待ちのため
朝早くYHを後にした

さすがに太宰府YHは長い間お世話になったので
去り際泣いてしまった…。

「ありがとうございました…」

YHのオーナー夫妻が
「またおいで、ココが福岡の君の拠り所だよ」

何度も何度も握手してYHを後にした。

太宰府駅から西鉄に乗って
天神で空港行きのバスに乗りかえ
雨の中福岡空港に着いた

帰りの飛行は存外あっさり空き席があって
40分後発の名古屋空港行がとれた。

飛行機に乗り込むと
あっという間に福岡の街はちいさくなっていった

雨に煙る街は青く見えた

「さよなら、福岡…。またね…」


*************************************

【4年後 1991年・春】

大学4年になった僕は
バブル期で就職なんて選び放題なのに
大学院進学を目指して勉強の日々

その時つきあっていた女の子に
大学院進学の希望を告げると
それっきり音信が無くなっていた

でもそんなことにはかまっていられなかった
とにかく時間が惜しく勉強していた

その日は4月1日だった

大学図書館に出かけようと家を出発しよう
としたとき
1通の手紙が届いた
差出人は文通相手の彼女だった

あの大濠公園で別れたきり
手紙は途絶えてて
4年ぶりの手紙だった

電車の中で手紙を開いてみた

「夏に結婚します
10年後連絡ができたら
また会えるとイイですね」

青いペンで書かれた文字を見つめると
涙がこぼれ落ちそうになった

鞄に手紙を丁寧に折りたたんで入れると
誰にも聞こえない小さな声でつぶやいた

「しあわせにね…」

僕の青い前置詞の時間
今でも忘れない……


【Fin】


《あとがき》

今も使っているペンネームNANAは
文通の彼女がチェッカーズのファン
だったからヒット曲名からとっています。
(マンガのタイトルではないのです)

『福岡紀行'87』は単なる旅紀行でなく
今の僕の生きてる生活の中の
いろんなモノのはじまりがいっぱい詰まっている

僕の青春の歌
福岡からの帰りの飛行機の中で聞いた歌

CMソングだった"Seiko Avenue"
の時計は今も使い続けている


【※(注)無断転載禁止 当該掲載文の著作権は"御厨戸貴生"(ミクリド タカオ)が所有します。】

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