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虎が飛ぶとき

今度のNHKの朝ドラの主人公のモデルが、母校のOGだというので見ようか、と思い始めている。もちろん「虎に翼」だ。
この、日本最初の女性裁判官になった人に限らず、私の母校は様々な女性の人材を生み出してきている。その代表格が、平塚らいてうだろう。
ちなみに私が、そこに通っていた頃の女性の親友は、国家公務員になったり、公認会計士になったり女医になったり、あるいは裕福な専業主婦になったりしている。彼女たちは、いまだに海のものとも山のものともつかぬ私を、別に差別したりはしない。そういう狭い見識を、そもそも持ち合わせていない。生きることは、誰にとっても闘いであり、それは死ぬも生きるも究極、自分ひとりの問題だ、と身にしみて基本知っているからだ。ただまあ、自分が単なる引きこもりだった時期、その後、B型就労支援所で一月に最高一万二千円で頑張っていた頃はさすがに、私も相当苦しかったが。見るに見かねて、そこのシフォンケーキを大量に買ってくれる友人もいたけれども、親友たちはつかず離れずの距離感でそういうお節介は基本、しなかったように記憶している。ただ私が、H氏賞の候補になってからは、彼女たちもかなりほっとしたようで、お茶に誘ってくれる回数も現在は増えた。
同窓会からのメルマガも、めでたく復活したので、いつか機会さえあれば、バザーなどに顔を出そうかなぁとも思うが、そこにいるのはしかし今の時代の三淵嘉子さん達であって、例えば薫りに親しむというイベントでは、NHKの日曜美術館によく出演している、東大院の修士課程卒の香道研究家(この人は香堂の宗家のひ孫であられるらしい、)さんが講師ですとか、あるいは歌を通して身体の声を聞く、というメソッドでは藝大院卒のやはり、海外で活躍してきた声楽家で、国際公認資格者の方がコーチングしてくださるそうなので、私はありがたい筈の催しなのに、少しびびって相変わらず、二の足を踏んだりしていたりもする。女性の地位は、本当に上がったのだ。
・・・私が、いや私たちがあの頃信じていた、女性であっても男性と同等か、それ以上の職について当たり前だ、という信念は決してその頃の世間の一般的な通念では実は全然なかった。バブル期では少なくともそうだったし、それは現在であっても、相当に絞られた中での特権なのかもわからない。翼を生やして虎が飛び得るのは、何も本人の力だけで成し遂げられたことではなかったのだ。それを支える実家の図太い力というものが基本的に有り、その外に、本当の世間があった。もっとずっと、広くて暗く、恐ろしい一般社会というものが。私はあの頃、ただの世間知らずでしかなかった。世間の人には、そういう確たる信念に支えられた自分は普通、ない。
でも、その世間の外でも内でもない場所に、貴重な女友だち達が私にはやっぱりいる。そこにあったのは「自尊」の二文字だ。

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